表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
158/168

第二十九話「宵闇のバッカーノ」



 指が鳴る。

 灯りのスイッチを切り替えるように、ささやかに。

 しかし、イデ達は、「ぱちん」というたった一音の恐ろしさを知っている。

 広大な白い海が暗闇に包まれた。


「《匣》」


 ネヴの一言とともに、足場の感覚が消失した。

 イデ達を奇妙な浮遊感が襲う。

 彼女は機械のように、工程を歩んでいく。淡々と。粛々と。

 その行動原理は、どこまでも人間らしくおぞましい高潔さに満たしながら。


「宿星の再観測開始。模型世界(ドールハウス)、着工開始」


 世界がガラガラと砕ける。砕けた海がガラガラと回転する。

 砕けた海のしぶきは物質に変化した。

 物体はパーツだ。一体感はない。

 公共施設を思わしき階段から、木々といった自然物、古びた建物の壁まで、多種多様な光景のかけらが無差別に舞った。


 闇が少しずつ晴れていく。浮かぶパーツたちは、狂ったように激しく流動を行う。

 ネヴはイデ達に背をむけて、上下逆さまになった階段のうえを歩いていた。


「降りて」


 浮遊感が消える。

 逆らいようのない、肌の粟立つ落下の気配。

 実際には、暴力的な転落の衝撃は訪れなかった。

 鼻腔を、くすぶる煙と外気の匂いが通り抜けた。イデにとっては郷愁を喚起させられる、絢爛と退廃の燻りである。

 イデ達は新しく組み替えられた光景を見て、息をのむ。


「俺の街?」

「ここは……首都、か?」


 見間違えようがなかった。

 たったひとつ残った国、バラールの首都。

 中心は薔薇もかくやの輝きと才覚に満ち、貧困と凡夫は隅の隅へ追いやられる魔都。


 異なるのは、天にまばゆく輝く純白の月だけだ。

 その時、この世のものとは思えぬ叫びが空を貫く。長大な獣の遠吠えだ。

 イデとシグマは咄嗟に、敵を警戒して背中合わせになった。ドラードも送れて背を合わせる。

 ネヴのアバターに比べると、本物のドラードは震えて頼りない。


 都じゅうに響くのではないかという吠えが、遠くでおきたのか、近くでおきたのか。

 そんな予想をたてる必要はなかった。

 眼前に、獣が現れたからだ。

 傷んだ毛並みをもつ、大のおとなをゆうに超える巨大な狼が。

 シグマが舌うつ。


飛び移る狼(ルーカス)!」


 既に、狼は遺体となって収容センターに遺体が保管されている。

 死した獣の影は、いま獲物を前にして、黄金の瞳を爛々と輝かせた。


「今まであなたたちが辿ってきた旅路です。皆さんで揃って戦うには、絶好の舞台でしょう」


 狼の後ろでネヴが手を振る。

 獣はイデ達三人には明確な殺意を向けていたが、彼女は見えてもいないようだ。

 獣憑きでもないドラードは、怪物を前に、声をひっくり返す。


「生憎、僕は伝聞で直接見聞きしたわけじゃあないんだけれどね」

「あら、もとはあなたのせいでしょう? 一度は襲われたはずですし?」


 ネヴの思わぬ嫌みに、ドラードは閉口した。

 一方、つまらぬ人間達のいさかいに、狼が興味をもつ理由はない。

 狼が三人のなかでも選んで、イデを狙って飛びかかる。


「イデ! つったつな!」


 銃声が響く。シグマだ。

 シグマの服装は、デイパティウムの時のような接近戦向きの装備に変わっていた。

 イデのものも、いつのまにか、あの夜と全く同じ服装になっている。


「膂力はあっても戦略は無い。まだ(・・)大したやつじゃない!」


 シグマの言うとおりだった。

 光景と服装が過去に戻されても、記憶と経験は違う。

 狼の動作は、ネヴ達と初めて出会った事件とすんぷん違わず凶暴だ。つまるところ、力任せで、愚直なばかりである。


「本当俺ばっかり狙ってたよな、テメエはよ」


 どうするかわかっていれば、対応は容易い。

 イデは狼の視線を正面から受け止めた。

 まばたきひとつせず視線の揺らぎをみさだめる。

 舌を出した狼の、浅く獰猛な呼吸。一定だったリズムが変調するタイミングで、飛び退く。

 それが、自分の首めがけて飛びかかる合図だと理解していたからだ。


 すんでのところでかわす。

 紙一重で過ぎ去っていく鋭い顎を横目に、恵まれた体格にそなわった両腕で、狼の喉を押さえつける。


「すぐ終わる」


 一方的に襲ってきた相手だ。情があるとはいいがたい。

 しかし、顔見知りを二度も三度も死なせるのは、目覚めが悪かった。

 イデが狼を止めたのはひとときだった。そのあいまに、シグマが冷徹に引き金をひく。

 弾切れになるまで発射された弾丸は、眼球や口内といった柔らかなところを貫き―――


 光景が変わった。

 濃密な土の香りが充満した、うち捨てられた穴蔵へ。

 生きた命の気配は、イデ達本人のぶんしかない。

 そう、生きた命は。


「今度は……デイパティウムか」


 ダヴィデが守護したつもりになっていた、滅びの迫る街。死者の這いずり回る廃坑。

 自己満足のかりそめの希望でまわる、くず鉄の城。

 断絶の決まった魔術師の一族が、最後の夢と狂気を託した土地。


「まあ、そうなんですけれど」


 みたび、少女の声がふる。


「私、あの人達嫌いですからねえ。多少はアレンジしましたよ。ルーカスさんはチュートリアルというやつで?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] わっわっわっ……! 良いなぁ!こちらはネヴちゃん(とついでのアルフさん)抜きの常態で、次々出てくるこれまでの強敵たち! デイパティウムでなにが起こるか楽しみです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ