第二十二話「ピエタ」
イデ達が精神の深海にとりこまれている頃、ダヴィデはひとり取り残されていた。
広い屋敷でぽつねんと立ち尽くす。
だがダヴィデは冷静だった。混乱する知性、心がない。
(僕は通常の精神状態ではないから、はじかれたのか。元々なんらかの条件があって、それをクリアできなかったのか)
ネヴが望んだのは、くずおれる人間を救うこと。
折れるような精神はおろか、葛藤と苦痛じたい覚えないダヴィデの精神は、彼女にとって人間とは呼びがたいものだ。
「さて。イデくん達は急に消えてしまったけれど」
周囲の精神を反射する性質をもつダヴィデは、精神に働きかけてくるちからにも敏感だ。
いま、どんな働きかけをしているかも、理解できる部分がある。
ダヴィデにも非現実の屋敷は認識できている。
たったいま、床にイデ達が落ちていくのも見ていた。
「認知と精神に強い影響を与える異能。ならばイデくんたちの精神も、どこかへ連れて行かれたとかんがえていいのかな?」
ダヴィデは『見る』ところまでは許されても、『招かれなかった』ようだ。
ならば勝手に入るしかない。
ダヴィデは空間そのものに意識を集中させる。
モノの意識を反射できるわけがないが、この屋敷自体、意識から生まれたのだから。
異変はすぐに起きた。
負荷を感じて深く息を吸う。ともに、こみあげるものを感じ、口から吐き出す。
血だ。明るい色合いの赤い血がぺしゃりと床を汚した。
「胃ではないね。うーん。内臓がちょっと壊れちゃったな?」
自分の体のことはよくわかる。
高度な技術と魔術によって構築されたダヴィデの肉体が崩壊しはじめていた。
縫合された臓器がねじくれ、定位置から逃れるように暴れている。
(情報量が多い)
反射する精神の量が多すぎるのだ。
ダヴィデが反射するのは周囲にいる人間だ。それは少なくて一人、多くて数十人。
(まるで、島中の人間の意識を一気にとらえてしまったような。成程。彼女の異能で構築された、巨大なネットワークのなかというわけだ。これは壊れてしまうね)
ダヴィデの異能をショベルカーに例えれば、ショベルカーで山を動かそうとしているようなものだ。
肉体を形作っていた魔力が暴走している。
ネヴからの攻撃などではない。ただ、認識し、触れるのみでも、たった一個体が抱えるには重すぎる。
「さて。このなかからイデくんたちの意識を探り当てるのは、骨が折れる。僕が壊れる前に間に合えばいいんだけれど」
ダヴィデは躊躇わなかった。
再び、この場に存在する巨大な意識に接触する。
そのたび、あわせられた肉と肉が離れ、血の流れが狂う。
自身がちぎれ、明確に『本当の停止』に近づいていくのを認識しながら、知人の精神を探す。
最初から知っていたことだ。
収容センターにいた頃、ダヴィデに会いに来たトリスは言った。
「恐らく君には死んでもらうことになるだろう」と。
ネヴの異能が本来精神に働きかけるものであり、イデ達のなかにそれに近しい異能者がいないのだから、誰か、精神に接触できる異能者が必要だ。
なんとか彼女の異能に割り込んで、接触を図らねばならない。
ダヴィデも最初は渋った。
トリスは説明の手間を惜しまなかった。そしてダヴィデはそれに納得したのだ。
(彼女がここで異能を完成させて、島の外に出ればもう止められない。終わりだ。その先には、デイパティウム――僕の守るべき土地がある)
ダヴィデは土地と人々を守るために作られた。それがダヴィデの家の役目であり、誇りであったから。
ダヴィデは家の役目を果たすために作られた道具だ。
ならば、何をいとうことがあるだろう。
土地と人々を守るためにダヴィデの命が必要ならば、当然使い潰すべきだ。
ネヴの【支え】を住民達がどう思うかは知らない。
今ここに彼らはいない。いつも通り意識を反射して、望みを知ることができない。
しかしまあ、恐らくは、得体が知れない未知の変化を恐れるのではないだろうか?
少なくとも、そうなってしまった人類は、ダヴィデの知る人間達ではないだろう。
そんなパターンは、ダヴィデの行うべきプログラムにインプットされていない。
(イデくん達の意識をひきあげる。どういった性質をもつのかは、触れてみて理解できた。まだ僕がもつうちに、ネヴィちゃんの意識を選んで反射して、送り込む)
数多の意識が集う場所。ネヴがいるだろう奥底にまで潜り込めば、ダヴィデの廃棄は免れない。人がましい体の形が残っているかも怪しい。
目から赤い筋が流れる。左の目は機能が停止した。
鼓膜も破裂するなか、ダヴィデはイデ達の意識を発見した。
「今ひきあげるからね」