第十九話「わずかなるトランクイッロ」
重い体を起こし、チェレステの家の奥へ向かう。
食卓では金髪のメイドがせわしなく動き回っていた。
ビクトリアだ。
「起きてたのか」
「あんたたちがいない間、ダヴィデが熱心にいじくりまわしてくれたのよ」
おももちはかたい。明らかに考え込んでいて不機嫌だ。一流のメイドの顔とは言い難かった。
ならば肝心のダヴィデはどこにいるのか。
それにはドラードが答えた。
「ダヴィデくんは寝てるよ」
窓の外は明るい。その時間帯にまだ眠っている。
睡眠時間をずらして見張り役をやるのはわかる。イデはもっと別の素朴な疑問をもった。
「死んでても普通に眠るんだな」
「よく生者に似ていても結局は作り物だ。習慣としてはあるものの、必要かは疑問だね」
ビクトリアが椅子をひき、二人に座るように促した。
親切ではない。
起きてから長い時間は経っていないはずだ。ダヴィデからろくな説明も受けないうちに、ダヴィデ本人がイデ達への救援に駆けつけてしまったのだろう。
殺されたと思ったら管理施設に備品のように収納されて。目が覚めたら、いきなり知らない島国にいた。
どうすればいいか呆けているうちに、とっくに敗北したはずの面々がゾロゾロ帰ってきた。
混乱もする。その混乱をまぎらわせるために体を動かしているのだ。
席に着いたトレモンティは、運ばれてきた珈琲をチビチビと飲みだした。
「トレモンティをどうやってしりぞけたかは、まだ話してなかったね」
「ああ」
「彼が眠っているのもそれが原因だ。あの人形の作り手は腕がよかったね。それかよほどの執着心をもっていたか。自己修復機能がなければ、トレモンティと引き換えに機能停止していたよ」
要は、かつてダヴィデと戦った時と同じ結果を起こしたのだ。
トレモンティも多数の人間の意識から成り立つ存在である。
ならば、無意識に、近辺にいる他者の影響を受けやすい。
普通の人間ならばなんてことはないだろう。
しかし、相手の精神を写すダヴィデは別だ。
ダヴィデがトレモンティの精神を写し取ったことにより、トレモンティもまた、ダヴィデの影響を受けやすくなってしまった。
結局、双方とも「精神」を核とした存在なのである。
「なら、ダヴィデがいれば、あんたら《アバター》を脅威とは思わなくていいのか?」
「結論から言えば、何度も使える手じゃないね」
ドラードが珈琲を置く。口をつけていた時間のわりに中身が減っていない。
「僕、猫舌なんだ」
恥ずかしそうにポツリと言う。目を泳がす様子は、本物の人間のようだ。
「僕たちは集合した精神からパーツを寄せ集め、そのあと肉体が後から出来ている。対して、ダヴィデは特殊な仕組みの詰まった肉体があってこそ能力が成立する。一つの精密機械だ。こちらがほぼ無限にパーツを取り寄せられる工業製品なら、彼はオーダーメイドの特注品」
ダヴィデが行った自死は、そのままトレモンティに写し取られた。
ドラードの言うとおり、彼の精神を形作る「もと」が複数人いる以上、かりそめの死だ。
時間がたてば、再び情報が集合し、新しいトレモンティを作る。
なのにダヴィデは替えが用意できない。
自己修復が追いつかないか、修復不可能な状態にまで壊れきったら終わりだ。
唯一製法を知る制作者も、ダヴィデ自身が殺してしまった。
「それでも、いましばらくはいないだけマシか」
トレモンティについて心配するなといったからには、そういうことだ。
パーツの取り寄せと組み立てには時間がかかるらしい。
「あんた――ドラードが来たってことは、他のアバターも来るのか?」
「足踏みをしていれば来る。僕達は普段、自分がアバターだという自覚もなく生活している個体も多い。アバターという能力じたい、この島で試行錯誤して組み立てている途中だよ。まあ、放っておけば、そのうち来る子もいるだろう」
そうして付け加える。
「仮に、今回の方法でアバターを退けるなら、あと五回。ネヴィちゃん本人に使うなら一回。それも、本人に対してであれば半壊もすればいいところだ」
当然の話だった。イデは黙って珈琲を一気飲みする。苦い。思わず渋面を作る。
だが目は覚めたし、気分も悪くない。予想よりも希望的な観測だったぐらいだ。
いまのネヴは複数人どころか、島の住民の無意識を丸々飲込んでいるかもしれないのだから。
「君達のとる作戦は根本的には変わらない。短期決戦だ」
「こっちがアバターに削りきられる前に、ネヴを攻略する?」
「そう。残るリソースは全て投入する」
「確実な消費はどれくらいだ」
ドラードは顎を撫でて、宙を眺める。
「どんなに考えても、ひとりか二人」
「あはは。大丈夫だよ」
アルフが作った湯気のたつ料理を前にしても、一向に食指が動かない。
戦闘のあいまの団らんというには凝り固まった空気に、間延びした笑い声が突き刺さった。
空気を読まないそれは、ダヴィデのものだ。
「そんなに重々しく受け止めることはないでしょう。だって、悩んだところで、目的を変える気がないのならやるべきことも変わらないじゃないか」
「ダヴィデ……おまえ、それでいいのか」
「勿論。実をいうと、連れ出される時に既にトリスくんから聞いていたことでもあるから」
バターブロンドの髪を優雅に揺らして、ダヴィデは目を細める。
「僕の仕事は、平民を護ることだからね。何も変わらない。何も気にしなくていいのさ」