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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
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第十三話「アノルマーレ・マーレ」


 問いかけてくる名も知らぬ魚人を、イデ達はじっと見つめ返した。


「お前タちも、石を集めるニは集メた。俺たチに何ヲ願う?」


 イデ達が黙り込んでも、魚人は海に戻らず、なお願い事を待っていた。

 まるで願いをきかなければ帰れないとでも思っているようだ。

 異生物への敵愾心は感じられない。むしろ、気怠げだ。面倒臭そうに耳をそばだてる。

 アルフが慎重に振る舞うように、ゆっくり口を開く。


「石への対価ということかい? なら、それは質問への答えでも?」

「ソんナことでイイのか? まあ、ものニよるか。いいだろう、言ってみろ」


 質問はすぐに複数浮かぶ。

 幸い、魚人はゆらゆらとたゆたっている。問える質問はひとつだけというような、緊迫した問答にはならかった。

 ひとまず、この行動にいたった原因から、時系列を追ってきくことにした。


「君達はどうして竜灰石が欲しい?」

「俺たチでは採れないからダ」

「どうして。君達は海で生きているのだろう。だったら陸にいるオレ達よりずっと容易く石を採れるはずじゃあないか」


 アルフの指摘に、魚人はちゃぽんと海に潜る。

 機嫌を損ねたのか。慌てたのもつかのま、すぐ魚人は戻ってきた。

 尖った長い爪でつまむように、とろりとした橙色の石を見せてくる。先ほどエルコレが渡した竜灰石だ。


「これは、えねるぎぃ(、、、、、)だ」

「極めて優秀な燃料であるのは知ってるけど」

「ソウいう意味でハない」


 人間にとって、魚人の語る知識は異質だ。

 裏返って、魚人にとっても、自分達の常識を知らない人間はやりづらい。面倒臭そうなのはそれが理由だった。


「この世のあらゆるものごとには、えねるぎぃがいる」


 指先で遊ぶ石は、イデ達からみればどうみてもただの燃料の石だ。

 海のなかでは到底用いられない一品である。


「機械を動かす動力源のミならズ。人が思考し、意志を持チ、願いを抱いテ実行に移スことモ、『何かを動かす』とイウ意味において、えねるぎぃを使っている」

「……魔力……精神力も含むってことかな?」

「別にドッちでもいイが」


 遠回しに肯定される。


「こイつは、俺たちにとッては【引換券】だ。外付ケのえねるぎぃとして使エルには使えルが、本質とはチがう」

「うん。それなら君達が自力で石を採れない理由にはなってないしね」

「お前たチには理解しがタい話かもしれナいガ。俺タちはコレを渡サれたら、人間の願イに応えル義務がある」


 魚人の答えは想像のはるかうえにあった。

 人ならざるものが人の願いを叶える物語は数多い。

 だが真実、そんな約束が知られていたら、魔術師達がもっと積極的に利用されている。

 下層民ならともかく、それなりの地位と富があれば竜灰石は用意も容易い。

 使い魔はいるが、竜灰石を使う方法は、ANFAに所属するアルフ達でも知らないという。


 竜の鱗という【いかにも】な(しな)であるのに、だ。

 これは単なる燃料だった。魚人のいうように、追加のエネルギーにはなっても、金や妖精の鱗粉だとか、マンドラゴラの根と違って、これといった重要な意味は持たない。


「いヤ。だから、【引換券】だっテ言っタダろう。これはタダの道具ダ」

「意味がわからないな」

「試練だ。試練を与えラれ、乗り越えたものにハ褒美がアる。そうイうもんダロ。俺タちは試練を課し、挑戦者に報イを与エる」

「なんのためい」

「残さレた人間の可能性を大きくすルためだ。救済措置は多いほうガいい。獣憑きだッてそうジゃないか」


 魚人の瞳が歪む。情報に翻弄されるイデ達を眺めて、面白がっているようだ。

 イデも渋面を作る。混乱しているのみではない。


 これは――とてつもなく陳腐な言い方になってしまうが――イデ達どころか、バラール国の住民全員が一度は考えることを、知らされているのではないか。

 つまり、この国を襲った大災害と、その裏に芽生えた真実を。現在の世界の実態を。


 海を越えようとしても狂う機器、戻ってしまう船。孤立した島国バラール。

 海の住人であり怪異の生命である魚人ならば、その全てを知っているのかもしれない。

 この場に碩学はいないが、千載一遇のチャンスだった。

 シグマが、アルフに質問を任せるのも忘れたのも無理からぬことだ。


「……じゃあ、あんたらは、海の外に人を出せるってこと? エルコレとチェレステを連れていったように」


 震えた声できかれて、魚人は憐れむような目を向けた。

 そして長い尾をたくみにつかい、優雅に泳ぐ。人と異なる肉体を見せつけるように。

 背泳ぎの体勢で、ぐるりぐるりと渦を巻くように水をかき混ぜる。


「海の向こうなどナイ」

「は?」

「お前達は取り残されタのデはない。生き残ったンだ。海の果てに、人間の世界は残されていない」


 沈黙が支配した。潮騒(しおさい)が明瞭に響く。

 そのなかで、イデが重々しく口を開いた。魚人は、言葉の意味を考えて考え込む面々を眺めていた魚人は、イデを真っ直ぐに見つめる。


「ドうすル?」

「ネヴは海の向こうにいるのか? 黒髪の……多分、この異常事態の原因になってるやつ」

あわい(、、、)にいる娘か。まだ海にはいない。変質を遂げた先なラ、いずれ来るかもしれなイが」

「今はいねえんだな?」

「ああ」

「この島の、陸にいるんだな」


 イデは「ネヴが陸にいる」事実を念押しした。魚人は水中で首肯する。


「あいつの場所はわかるか」

「知ラん。俺たちが知るのは俺タちの常識。現世の全てを見通セるものか」

「そうか。もうひとつききたい。あんたらの常識にあてはめれば、この世界がどうなってるか知らなくちゃ、アイツを連れ戻せねえのか」

「……イヤ? しかし理屈としてハ関係ある」

「問題解決に直結はしねえのか。その説明には時間がかかるか?」

「…………だいぶカカる」

「わかった。なら、世界の秘密ってのはどうでもいいや」


 イデの発言に、魚人のみならずアルフ達まで目を見開いた。

 イデも若干気まずさを覚える。罪悪感を振り払う。


「俺ぁ正義漢でもねぇ。ここにきたのだって、あいつを連れ戻しにきたんだ」

「君って子は。全容がわからないと、失敗するかもしれないよ。時間をかけるメリットはあるかもしれない」


 それに関しては鼻の下をこすって目をそらす。


「……余計なこと知って、アイツの顔をいつも通りにみれなくなるのは嫌なんだよな。それに、あいつのことだからややこしい謎を張り巡らすより、力づくで即効で攻めてくる気がする」

「それは……確かに」

「ネヴちゃんなら、うっかり慎重に構えているあいだにとんでもないことしてきそうですね」


 アルフが困り顔を浮かべた。シグマも表情を曇らせる。

 二人は秘密も気になるようだったが、それ以上に、ネヴの暴走機関車ぶりが脳裏に蘇った。


「ていうか、イデくん、いつからそんなにお嬢が大好きになったの」

「……は!? 別に、そういうんじゃ」


 口ごもるイデをからかって、アルフがわざとらしく口元を手で覆った。

 手のはしからニヤニヤと吊り上がる口角が見えている。


 イデは口ごもって嫌がる。

 短く伝えようとこういう言い方はした。内実は、もう少し酷い。

 

 単純である。世界の秘密を知ったところで、イデに得がないのだ。なにひとつ。

 外の世界を求めるのは、元に戻るというのも一番ではある。しかし大地震から二世代以上の交代を経るほど時間がたてば、もはや様々な国が存在した歴史は本のなかの過去だ。

 今を生きる人にとっては、とうてい故郷とは呼べない。


 なのに外の世界を夢見るのは、それが未知であるからだ。知らないからこそ、夢は無限大に膨らむ。ここにない広大なフロンティアが、【可能性】という希望に見える。

 

 だとして、そこにいったところでなんになるだろう。

 魚人がいうように、そこが人の住む世界がなくなっていなくても、イデは同じ答えを選んだ。

 仮に、完全に新しい場所で、実際に可能性を芽吹かせられるのは、どんな人間だろう。


 誰しもに無限大の可能性があると、無邪気に信じられる人生ではなかった。

 実際の幸福を掴むのは一握りだ。才能と精神力を併せ持つ傑物と、金持ちである。

 平凡で善良な一般市民なら、最低限文化的に生きていくための手助けぐらいは受けられるかもしれない。


 そこにイデ達のような下層民の居場所はない。

 生まれ持ってマイナスを背負わされた人間には。

 資源は有限だ。誰かを優先し、誰かを後回しにする。

 それを負担なく行うために、レッテルばりと迫害が起きる。

 なにももっておらず、なにももてない人間は、努力不足だの自己責任だので、【助ける人間に比べて、助ける必要のない人間】にふりわけられる。


 あるいは、碩学なら、絶望をもたらす情報も大喜びで迎え入れるかもしれない。

 碩学は研究と知識欲の怪物だ。

 だが、イデは栄誉すら得ることは叶わないだろう。ろくな学歴もない下層民だから。

 真実も、真実を探り当てると信じられるに足る証明書をもつ人間が言ってこそ、真実になる。


 イデが言っても嘘つき扱いされるか、碩学が自分の名前で発表するかだ。

 世界がそれで一気に変革しても、イデにはなんにもならない。


 どころか、それをしてイデに何が起こるか。

 まず、トリスとたてた計画がパアになる。


 秘密を教えようとすれば、知るに至った経緯を説明しなければならない。

 科学者連中は与太話で片付けても、魔術師であれば別だ。

 ネヴは戻ってこないだろう。


 世界がイデになにもくれなくても、ネヴはイデを好ましく思ってくれる。

 顔も知らない善良な一般人の、あったかもしれない未来を潰すことになったって、どうでもいい。

 イデのあったかもしれない未来は、そのどこにでもいる一般人に弄ばれて、踏み潰されたのだ。

 どうしてただの人間が、そんな慈悲深い英雄のような犠牲を払ってやらねばならない?

  

 魚人にそんな人間世界の煩雑さが伝わっただろうか。

 じゃれる男二人を、魚人が詰めたく睨む。


「変な奴ラだ」


 魚人は海のなかで一回転した。魚人特有の呆れの表現だろうか。


「だっタラ、もうコレでイイカ? 帰ルぞ」

「あ、待て! あとひとつだけ」

「ナンダよ」

「チェレステは俺達に交渉した。俺達が石を手に入れるのを手伝えば、重要な情報を渡すと。それが何かわかるか? 俺達が知らなきゃならねえことらしいんだが」

「曖昧な質問ダ。確か、お前ラは始末派の奴ラに出会い、その後チェレステに接触したのだッタナ……」


 海の怪異同士、情報を共有したのか。魚人はイデ達が最初に接触した島民が、始末派であることも知っていた。

 魚人が考え込むあいだに、波が十二回打ち付けた。


「ソウダ、思い出しタ。愛護派がこぼした話ガあった。アレかも知れン」


 懐かしい記憶を掘り起こした快感に、泳ぐ速度があがる。


「墓だ。墓だ。墓にイケ」

「墓?」

「死んダ島民を一時的に埋葬した、簡易的な墓地があル。どの墓地かはどうデモよかったので忘レタ。そこに、おかしな墓がアルと怯えテいるノヲ聞いた」


 成人の胴ほどもある太い尾が高らかに跳ねた。

 イルカのようにジャンプして、魚人は深海への帰還の旅に入った。

 褒美は払った、話はこれで終わり。

 最後にもう一度、魚人自身すら真実を知らぬ謎をあおりながら。


「墓だ。墓だ。墓にイケ! オオ、何が起コルのか、楽しみダ!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 異常なのは海か世界か。 この島国から出られないのではなく、世界はそこまでしかなかったのですね……。多分、保護されてるからには保護した人がいるのだろうけども。 そんなことよりネヴちゃんを選ん…
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