第十話「オルディナリオ・スフィーダ」
「まあ、ある意味これでよかったかもな」
人間相手ならイデにもまだやりようがある。
イデ達がチェレステにくみするつもりだとわかると、銃を胸より高くあげようとした。
銃にトリガーをかける。それを待っていたかのように、労働でかさついた手が爆発する。
熟れた果実が割れるように肉が裂けた。銃をもっていた男は悲鳴を上げて地に膝をつき、どくどくと流れる手を必死に抑える。
トリガーにかかるより早く、別の銃弾が手を撃ち抜いたのだ。シグマである。
(あんなちっこいもんを撃ち抜けるのかよ、スナイパーすげえな)
チェレステの慟哭のあいだに、いずこかのポジションをおさえたらしい。
すっかり短くない付き合いのつもりになっていたが、思えばイデはシグマの狙撃をほとんど見たことがない。
気難しい友人の意外に感心している場合ではなかった。
アルフは他の島民が動転して周囲を見渡すすきに目を光らせる。
狩りに熟練した狼のように駆けた。
島民は慌てて銃を構えた。
猛スピードで動く生き物にマトをあてるのは、並々ならぬわざだ。
長年の職務で培われた胆力をもって、アルフは眉一つ動かさずに銃の持主に迫る。
「来るな!」
警棒をそなえた美丈夫が、殺傷能力の高い武器の前に我が身を晒して突っ込んでくる。
狂気すら感じる行いに、島民の声がひっくり返った。
島民にはアルフの涼しいおもだちと黒い警棒ばかり見ていた。だからアルフが拾った小石を隠し持っているのに気づけなかった。
アルフは注意をひきつけたところで、ひとりに石を投げつけた。
予想外の攻撃は、実際以上の衝撃をもたらす。思考をかき乱されたのもあって大仰に反応した。
つまり、いい獲物だ。草食動物の生存戦略は逃走なのだ。
アルフは流麗な動きで島民の意識を刈り取っていく。
イデはといえば、敵の数を減らすのは他に任せた。
最も体の大きなものが、最も暴力的である必要は無い。
「チェレステ。あんた、その能力は相手が真っ正面から見えていなくちゃ使えないか?」
「えっ?」
いきなり言葉をかけられ、チェレステは目に見えて戸惑う。
「体が余分にあるようなものだから、見えてさえいれば正面でなくともよいけれど」
「よし」
律儀に答えるチェレステの胴をかつぐ。
チェレステはわずかにみじろぎした。暴れず、怪物を貫くような視線で睨み続けている。たいした執着心だ。
イデはチェレステを壁と壁の間、つまり裏路地に降ろす。
「ここなら両脇からは襲われねえ。気を配り先が減れば、やりやすいだろ」
「ありがとう」
「別に。俺も仕事が減るからな。後ろにそいつがいるし」
日の光が遮られた壁の奥から、魚人エルコレがひょっこり顔を出す。
鱗でわかりづらいが、顔の造形じたいは人を大幅に残している。従妹を安心させようとして好青年らしい微笑みを貼り付けている。
口角はひきつっていて、どちらかといえば捕食者の笑みに見えてしまうが。
チェレステ含めたイデ達のなかで、一番戦いの空気に気圧されていた。
「エルコレ。あなた見目こそ人から離れたけれど、そんなに血の気が多いほうではないでしょう。無理しないで」
従兄を案ずるチェレステの肩をぽんぽんと叩く。「安心して」といいたそうだ。
不安がないといえば嘘になる。しかし、イデも管理センターで骨折をはじめとした大小の負傷がある。
とてもアルフのように機敏に動けない。
「エルコレだっけか。あんたはその姉ちゃんを守ってくれればいい。無理して強く振る舞う必要もない。時間だけ稼いでくれ」
「陸、ズットイル、難シイ。走ル、デキナイ。体、カワク。チカラ、人ヨリ強イ。鱗、硬イ」
「難しく考えるな。命を守ることを考えりゃいいんだ。わかりやすいだろ」
チェレステを守りたいものの緊張しきっているエルコレを落ち着かせるように説明した。
甘い接し方がわからないので、突き放すような言い方になった。
だがエルコレはうんうん首を振った。
あれこれやろうとして半端になるよりは、ひとつを達成しようとするほうがうまくいく。溢れる気力と注げる集中力がずっと多く、強くて太い意思力に変わる。
まもなく、動きの鈍いイデ達を狙った島民達が来るようになった。
イデはわずかに腕に切り傷を負った。せいぜい赤い筋ができ、小さな血の玉が浮かぶ程度だ。狭い路地は視界が限られている。
島民はイデ達は避けられないと思っていた。同様に、島民達もまた逃げづらいのだ。
前から出てきた顔を、モグラ叩きよろしく打ち砕けばよい。
エルコレは無傷である。宣言通り動きは弐分方。そして宣言通り、鱗が鋼鉄のように硬かった。
その甲斐あって、チェレステは痛みで気がそれることもなく触手に集中していた。
時たま銃声と、断続的な怪物の咆哮が聞こえてくる。
シグマだ。狙撃はうまくいっているらしい。
見えてきた希望にほっと胸を撫で下ろしかけたのもつかの間。
島民達の「見つけたぞ!」という声が続いた。
「くそ、シグマのやつ見つかったか!?」
「目玉を撃ってる人? どこにいるの?」
「多分、どこか高いところに位置取ってると思うが」
「わかったわ、任せて」
チェレステの小指が曲がる。
すぐに島民達の驚愕と怯えの悲鳴がした。シグマのおっかなびっくりする怒声も。
チェレステの触手で、上の階を移動しながら狙撃していたシグマを掬い取ったらしい。
慌てたのも短時間で、シグマはすぐ狙撃に戻った。
「あの人、触手のうえから撃ってる……」
触手を外付けの器官のように扱うチェレステが、静かにうめいた。
シグマもやはり獣憑きか。多少の度胸は身についていた。
目玉は順調に砕けていた。ただ、その発砲音も五回を超えたあたりから、うまく行かなくなってきた。
チェレステの冷や汗も増える。ようやく命の危機を覚えた怪物の抵抗が激しくなってきたのだ。
イデはアンヘル姉弟の到着を今か今かと待つ。
そして、彼らは帰ってきた。