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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
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第九話「ストーマコ」


 チェレステがあげた手に応じ、大地が揺れる。

 指揮棒のように赤い指が震われた。チェレステの片手は深紅の革手袋をはめたかのように、すっかり染め上がっている。

 指をかぎ爪のように曲げた。同時に、太く長い物体が、石畳をはじいて地面から飛び出す。


 手と同じ深紅の色合いをもつ触手が、天にむかって先端をつきあげていた。

 チェレステを囲む触手の数は五本。

 チェレステが指をふるうと、触手が鞭のようにしなる。

 現れたときと違って、かたい大地のうえを、水のなかを泳ぐように動いていく。

 

 悪食の体を触手がしめあげようとする。

 しかし、にゅるにゅると滑るうえ、形を変えて締め上げるスキマから抜けていってしまう。


「そうなるだろうとは思っていたけれど」


 チェレステは困りきった顔で眉を寄せる。

 怪物に口はない。絶叫もあげずに触手から逃げた。腹をすかせているらしく、体をまんまるの球体にして、てきとうな家を潰した。

 体表面にゆっくりと破損した家が沈む。悪食の怪物は全身が胃袋であり、筋肉であり、口でもあるのだ。

 その威力は凄まじい。近づくことは生命の危険に直結するだろう。


「目の前に俺達がいるっていうのに悠長だな」

「行動が欲求に忠実過ぎるというか、ほとんど動物的じゃないか?」


 イデの困惑にアルフも賛同する。

 一応イデは警棒を、アルフは銃をとった。二人がなにがしか、超自然的な現象を引き起こせたなら、手のうちようもあったかもしれない。

 この場にいるイデ、アルフ、シグマ、三人とも決定打を持たない。ネヴであれば、概念を切り裂くことができただろうが。


 異能者とばれずに愛護団体と戦うための選出だったが、ダヴィデを連れてくるべきだったか。攻め手に悩む三人に、ベルからテレパシーが届く。


「あれ、たぶん赤ん坊だって。複数まじってる。カミッロが言ってる」

「マジかよ」

「赤ちゃんかあ。だったら食欲に忠実なのも当然か。理性的なことはまだ何も教われない歳だもんね」


 げんなりするイデと反対に、アルフはこざっぱりと納得した。


「なら殺そう。増長したうえ、お仕置きの意味も理解できないような永遠の子どもなんて、バケモノでしかないよ」

「よくそんな切り替えられるな、あんた」

「会話ができるって人類の宝(ギフト)だよ。逆にいえば、会話できない奴にはどう接しても無駄。あそこにいるのがその好例じゃないか」


 あそこといって流し目を向けた先には、壁に隠れてアンヘル姉弟が様子見している。

 家を一軒たいらげた怪物が、ちっぽけな人間たちを睥睨する。

 宝玉のようなまんまるの瞳は純真だった。悪意のない、無垢な食欲で輝いている。きっと彼、あるいは彼らは、イデ達を小粒の苺を味わうように食べるだろう。


「ゴチャゴチャゴチャと。やることは変わらないわ。ためらってたらこっちを殺すでしょ、ああいうのは」


 真っ先に前に出たのはシグマだった。額に青筋をたて、背負ったゴルフバックを通路に落とす。

 なかからシュルリととりだすのは、長い銃身をもった愛用の銃だ。


「不定形なやつは大抵コアっぽいのを攻撃すればいいって管理部の誰かがいってた」

「コアっつっても、形があるのは目玉しかねえぞ」

「じゃあ目玉を撃つ。ダメなら八つ全部を。それでもダメならまた考える」


 シグマは珍しく強気だった。流れる金髪を鬱陶しそうにまとめる。


「わたし、高いとこから狙撃するから。あんたもせいぜい頑張ってよね」


 いうなり一目散に走り去った。


「くそ。囮になるのはいいが、なにをすりゃいいんだか」


 体は人間だった《蟻》達のほうが何倍もマシだ。

 警棒を振るっても無駄だ。求めるなら、炎のような、打撃的でない攻撃が望ましい。

 イデはなんとか頭を動かす。


「……アレが使えるか?」


 イデは頭のなかでアンヘル姉弟に話しかけた。

 ベルは送信能力のみ。あの何を考えているかわからないカミッロは、しかしきちんとイデの思考を受け取り、ベルに翻訳した。

 面倒くさそうに、少女から了承の念話がかえってくる。


「よし。あとは」


 思考を口にだして、明瞭に考えをまとめようとする。

 その時だ。少しでも多くの道を得ようとやたらと周囲を観察していた目のはしに、異物がよぎった。

 イデは咄嗟に飛び出す。前方で触手(テンタクル)をあやつっていたチェレステの右脇を庇うように立ち塞がり、はしりがてらチェレステを突いた。

 脇腹に焼ける痛みが走る。脳に極小の火花が散った。


 銃弾だ。建物と建物、路地裏の影にくるまれるようにして、男がひとり銃口を向けていた。

 幸いかすめただけである。

 はじめて無駄に身長が高くてよかったと思った。足が長くなければ間に合わなかった。


「なに!?」

「誰も立ちいらねぇんじゃなかったのかよ」


 チェレステを撃ち損なったのを知り、襲撃者は通路の奥に逃げようとする。

 それを奥側から押し出してくるものがあった。

 中年の男だ。襲撃者も、中年の男も、どこにでもいそうな平凡な面構えと格好だった。

 チェレステが目を開く。


「ロドリさん、ポンプッチ!?」

「知り合いか」

「ええ……海側の愛護派よ」


 チェレステは忌々しげに眉をひそめた。赤い手の薬指と小指を深く折る。触手のうち二本が、チェレステとチェレステの近くにいたイデとアルフ、エルコレを守るように移動した。


「来ると思ってたわ。こんなに早いとは思っていなかったけれど。まさかつけていたの?」

「様子がおかしかったからな。この一週間、監視していたんだ。てっきりあの誘いは断ったものだと」


 ロドリと呼ばれた愛護派とチェレステが直線上に並ぶ。イデ達には話を見通せない。

 険悪な空気に煽られたように、他の路地裏からも、四人、六人と人が出てくる。

 チェレステを狙うものもいれば、他の乱入者に敵意を向けているものもいた。


「始末派までいるのね。もしかして陸側の愛護派も?」

「いくら朝で、直接的な抗争でなくとも、お前は目立ちすぎる。いやでも注目の的だ。いくら不思議な力があっても、あの赤ん坊達を倒すのは無理だ。何より、幼子を殺すなど。おれたちの思想に反するだろう」


 帰ろう。中年の男はチェレステに警告した。

 悪食の怪物の強襲は、完全にチェレステの独断専行であるらしかった。

 得意な能力をもつ女性が暴走するならば、粛正するつもりだ。

 貴重な戦力を温存できれば越したことにはないが、それが身内にむくとなれば、情けは命とりになる。

 

「一ヶ月も進展がなくて焦るのはわかる。若いからな。だが他に方法があるはずだ。他者を犠牲にした偽善に溺れてはいけない」

「偽善者? お前達は善のために愛護すると?」


 チェレステは短い哄笑をあげた。

 上品に振る舞うようこころがけていたチェレステの唇が、いびつに吊り上がる。


「ふふ。ふふふふふ!」

「なにが可笑しい!?」

「おかしいわ。狂っているわよ。お前もアタシもみんな馬鹿」


 剣呑な表情で言葉を交わす面々の頭上に、悪食の怪物が空気を読まずふりかかろうとする。

 中指と人差し指が、デコピンの形ではじかれた。


 二本の触手がひとつにからまり、一本の強靱な柱となってたわむ。勢いづいた柱は、豪と風圧をまとって悪食の粘性の体を打った。

 瞬間的な衝撃は暴風となって悪食をはねた。

 水の入った風船が転がるように怪物はとぶ。大地に着地してびちゃりと四つ程度の塊に分散して、またすぐひとつの球体に戻っていく。


「アタシは善のために海に行きたいんじゃない。愛するものを護るためにやっているの」


 凜とのばされたチェレステの背筋が、怪物と人、両方を相手取れるように横向きになる。


「こいつを殺すのと、始末派を殺すのと何が違う? 人殺しの人間を恐れるのと人殺しの怪物、人を殺していない人間と人を殺していない怪物。何が違う?」

「チェレステ! 俺達は海派だぞ、陸派じゃない!」


 複雑な派閥の違い、思想の違いをもって、中年男ロドリはチェレステに同胞の絆で訴えかけようとした。

 イデは内心で首をふる。チェレステが海派でないのは明らかだ。

 海派だから海の世界に行きたいのではない。海の世界に行きたいから海派なのだ。

 同調意識など、圧力に過ぎない。

 チェレステは更に言いつのる。


「怪物になってしまったなら、可哀想だから人を殺した責任も免除してあげましょうって? ふざけるな!」


 血反吐をはくような感情的な怒声とともに、白い手で融合中の怪物をさす。


「アタシの、アタシとエルコレの家族は! こいつに喰われた!」


 灼熱の吠え声は奪われた被害者の憎悪の声だった。

 内臓を引き絞ったような憎しみは鋭く尖り、切っ先に毒々しい悪意が塗りたくられている。奪った者から奪い返す。

 すり切れた心身に真っ黒な覚悟をのせた、復讐者の声だ。

 

「だが元人間じゃないか! 俺達と同じ命じゃないか!!」

「命が平等であるもんか。知らない人殺しより知ってる家族の方がずっとずっと大事に決まってる。母さんが、父さんが、妹が殺されたことより、こいつが護られてこれからも食べ続ける方が大事だなんて。侮辱よ。生を奪われ、死後も踏みにじられるとは。こいつは後悔すらしてくれないわ。自制が、恥が、知性が無いのよ」

「君の怒りはわかる! だが気を急きすぎてはいないか。まずは落ち着け」

「我慢した先は?」


 騒ぎを聞きつけて駆けつけた内外の監視者達が、武器を構えだしている。

 ぴりぴりと空気が張り詰めていく。


「いつか救いがあると耐えて、数十年経ったとして。仮に答えがあったとしてもだ。いつまでも、あのときこうしていれば時が無駄にならなかったのにと後悔が残ったら?」


 イデも冷たい汗を流す。チェレステは間違いなく孤立する。

 獣憑きはみな強情だ。ここまで啖呵を切って引き下がる女性には思えなかった。


 ここで失敗すれば、彼女は身内に制裁を下される。それ以前に、ここで死ぬ。

 そうすれば、彼女が持っているという『重大な情報』が手に入らない。

 獣憑きであるためか、アンヘル姉弟も思考を読み切れなかったが、彼女が嘘をついていないことは判明している。

 イデはチェレステを守るように寄り添う。アルフも同意見に辿り着いた。鏡映しのように反対側を守る。


「アタシはこいつを殺して、エルコレだけでも護る。家族の仇をとる。残った家族を『愛護』する。それができればいい。それができればアタシの人生はもう満足だってことでいい」


 チェレステはイデとアルフの意図を知ると、かき消えそうな声で感謝を呟く。

 そしてイデ達に背中を任せ、くるりとまわって悪食の怪物をみた。


「わかってもらおうとは望まない。だからアタシは、アタシの意志を譲らない」


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― 新着の感想 ―
[良い点] そりゃそうだよなぁ……。 食欲しかない怪物に、「同じ怪物化した仲間の家族だから」なんて意識はないはず。愛護派の中にも、そういう人がいるのは当たり前のこと……全然そこまで考えが及んでなかった…
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