第七話「フレスコなる旅先」
チェレステと名乗った女性は宣言通り、イデ達を「家」へ招待した。
窓を開けば、絵画を切り取ったかのように美しい海を楽しめる。月明かりに照らされた波が貴石を砕いてちらしたように輝く。
はるか遠くで、魚の尾びれが跳ねて飛沫を散らす。……本当に魚だろうか?
チェレステがカーテンをしめる。
「アタシは山のほうに住んでいて、親が猟銃持ってたんだ。野生動物が出た時の自衛のため、って言ってたけれど、使ってたのは見たことがない。今はこうしてアタシが使ってる」
チェレステの本当の家は中心側に近いため、今は使われていない海際の家を借りているのだという。
いうわりには勝手知ったる我が家といわんばかりの振る舞いだ。
本拠地として使い込んでいるらしい。
また海が近いのがかえって都合がいいようだ。
チェレステの従兄だという魚人、エルコレは家につくなり家の奥にそそくさと去ってしまった。
シグマが露骨に顔をしかめたのにチェレステがめざとく気づく。
「体が乾いたので水浴びにでも行ったんでしょう。帰りに料理でも持ってきてくれるはずです。ああみえて調理は満更嫌いでなくて。お疑いでしたら、着いていっても怒らないと思いますよ」
「……別に。いいわ」
ひとり追っていくより、かたまって過ごしたほうがいいと判断した。
シグマはすっとアンヘル姉弟の後ろにつく。性格に難はあれど、今は重要な役目を果たす協力者である。肉体的に最もか弱い二人の警護になった。
チェレステが椅子をひき、座るよう促した。
アルフがチェレステの正面につこうとすると、やんわりと制止された。
「まず先に謝るわ。勝手な話で悪いけれど、話し相手を指定させてもらってもいいかしら」
「おや。それは何故」
「赤毛のあなた、くちがまわりそうなんだもの。思わずなんでも聞いてしまいそう」
そういわれては困る。
胡散臭い人柄ではない。しかしアルフの穏やかで人当たりのいい話し方は、うっかり鵜呑みにしてしまいたくなる安心感を抱かせるのは事実だ。それを頻繁に利用するのも。
「なら誰が」
「大柄な銀髪のあなた。よろしくお願いできる?」
イデは面食らう。他の面々もやや渋る表情だ。
イデはお世辞にも人当たりがよいとは言えない。目つきが悪く、威圧感もある。今までだってずっとむっつり口をつぐんでいた。
沈黙が通っても、チェレステはにこにこイデを見ている。
仕方なくイデがチェレステの前に座った。
話し相手に選ばれたイデは、早速質問をはじめた。
「まず最初の質問だが。さっきの奴らも愛護団体には間違いはないんだな。あいつらは俺達の命を狙っているように見えた。あんたらは信頼できるか?」
疑いを隠さないイデに、アルフが「ちょっと」と耳打ちする。チェレステは構わなかった。
「さっきもいったけれど、最終的な目標は同じなの。でもやり方が違う。アタシは貴方達を狙うつもりはないわ」
「その目標っていうのは俺達が聞いてもいい話か」
「いい話よ」
「正直、俺らはどんな事情を話されようが、手伝う気はねえぞ」
「イデくん!」
今度ははっきり叱咤された。
イデは「しょうがねえだろうがよ……」と我ながら情けなくなりつつ、頭をかく。
「疑いがあるのも、こっちも本命があるのもホントだろ。あとからひっくり返すより、土台は最初にきっちり伝えといた方が、お互い話しやすいだろうが」
「そう。あなた、イデっていうのね。でもいいのよ。アタシ達も、貴方達に愛護団体に入って欲しくて話をしたかったわけじゃあない」
チェレステは足を組み、くつろいだ姿勢をとる。
その後ろから、魚人のエルコレが戻ってきた。
ざらついた肌は鮫の皮膚を思わせる。こころなしか色づきが濃い。簡単な水浴びを済ませてきたかえりだ。
青みがかった長い爪のついた手で、器用に盆を運んでくる。盆の上で氷入りの茶がカランと鳴く。
エルコレはどこかチェレステに似た笑顔を浮かべ、客人の前に茶を置いた。
「ドーゾ」
短いが、確かにエルコレは喋った。
水中で話したような、妙に泡だった発声だ。人ではない話し方で、人らしく話す。
驚くイデ達に、チェレステが眉を下げる。
「驚きました? 怪物になった人間のなかには、人を食べたものもいますが、全員ではないのよ。エルコレのように知性も品性も人がましいままの人は少なくありません」
茶をひとくち含み、喉を潤して話を再開する。
「前置きが長くなったわね。アタシが聞きたいのは外の話よ。貴方達は外から来たのよね? 外ではこの島のことは広まってるの? 次々ひとが来たりする?」
「いいや。ここでは太陽が現れて一ヶ月だっつうが、俺達はそれすら知らなかった」
「そう……」
チェレステは思案するように目を閉じた。らちが開かないと判断したのか、赤いまつげに縁取られた瞳はすぐに再びあけられる。
「次は俺達の質問だ。あんたらの最終目標ってなんなんだ? 話をしようにも、互いの目的がわからねえんじゃ、何について話してえのかもわからねえ。先にいえば、俺達は友人を探しに来た」
イデは簡潔にネヴの身体的特徴を教える。
「残念ながら、そういった特徴の人は見ていないわね。黒髪黒目までならともかく、東洋人混じりは珍しい」
「そうか」
「目標のほうは、多分あっちの方で聞いているのかしら。アタシ達の目標は、まあ、家族を守ることよ」
チェレステとエルコレが目を合わせて微笑みあう。仲のいい親戚同士だ。
まだ若いだろうに、両親が一向に現れず、気配も感じない。玄関におかれた靴も種類はあれ、二人分だった。家は二人で使っているようだ。
「あっちはその家族愛を迷惑に感じているようだが」
「でしょうね。アタシ達だって家族を生かしたいからここにいる。あちらだって、家族を殺されたくないから、先んじて殺そうとする。理解できるわ。納得できないけれど」
チェレステはさっぱりと言った。彼女のなかで、それらはもう区切りがついていることらしい。
そこでベルが口を挟む。
「ねえ、ひとつ聞きたいんだけどさー」
この状況で、エルコレを前にしても一切怯える様子のない少女に、チェレステが相好を崩す。頬杖をついて、低い位置にあるベルに視線を合わせる。
「なあに、お嬢ちゃん」
「一番最初の人は、お父さんが死んで娘が人になって帰ってきたんだよね? なんで身内が死んで終わりにしないで、よその家族をさらってくるわけ?」
子どもにしても人情のない問いだった。
咄嗟にアルフが謝罪をくちにする。チェレステはわずかに傷心したように目尻に皺を刻んだが、微笑みを保った。
「いいのよ。当然の疑問だし」
「…………」
「善悪でいえば、アタシ達の方が間違っている。ただアタシ達は信用の問題で、こちらの選択肢を選んだ」
「信用」
「ええ。大切な家族を守るための自己犠牲で済めば、美談の範囲で済むかもしれないわ。でも、一度怪物になった人間を彼らが受け入れてくれるかしら。かつては始末しようとしたのに」
それは始末派トレモンティからは聞けなかった、愛護団体の考え方だった。
「一度助かればいい、一度裁けばいいというものではない。人生はその後も続いていく。捕まった犯罪者が、刑期を終えれば再び俗世に解き放たれるように。虐げられ、おびやかされた恨みは消えない」
イデはこっそり唇を噛む。
一方的な都合で殺されるなんて、まっぴらごめんだ。
イデは愛護団体に賛成できない。しかし、こういわれては反対もしきれなかった。
怒りと恐怖に任せた断罪は、下層民にとって非常に身近な問題だった。身に覚えがある。
イデの周りには罪を犯す者が多かった。近しい立場にあるものはあえて口に出すことはなかったが、中層以上となると、一気に口さがなく責めるものが増えたものだ。
悪を憎め、正しい人を守れと言わんばかりに追詰める。そして『その後』や『いつか』は与える価値もないとふんぞり返られる。
一方的に人格を貶められ、自分達にばかり慈悲をもたらす綺麗な人々に、何度屈辱と怒りを覚えたか。
「そして、アタシ達がいなくなった後、残された家族はどうやって生きていく? そばにいて支え、一緒に生きていく人間がいる。アタシ達が犠牲になったところで、彼らが残された家族を助けてくれるとは限らないわ。むしろ更なるはりのむしろにおいて、死に追詰めるのでは?」
チェレステがいうのは、エゴといってしまえばそれまでだ。
しかし、エゴを捨てて、正しさに従っても、正義の鉄槌は前身をたいらになるまで叩き潰してくるばかりで、助けてくれたことはなかった。
生きること、正しいこと。そこには、今生きている立場によって、残酷な絶壁がある。
「自覚もない綺麗事で殺させるために、助けたいわけじゃない。幸せに、人並みの人生を生きて欲しいから助けたいの。でもあいつらは信じられない。だから家族だけじゃなくて、アタシも生き残らなくちゃいけないのよ」
「成程。それが愛護団体の主張か」
「ええ。始末派と愛護団体、どっちが間違っているとは言わないわ。これはお互い、何を重要視するかの違いよ。もしかしたらベストな解決策もあるのかもしれないけれど……ここにそんな奇跡を咲かせる天才はいない」
チェレステはそこで初めて、悲観的な感情を見せた。
溜息をつき、自嘲するような笑い声を響かせる。疲弊と悲嘆がいりまじるくちもとは、奇しくもトレモンティと瓜二つの形をしていた。
イデは同情しかける気持ちを、紙ゴミをまとめるようにくしゃりと握りつぶして放る。
イデが彼らに与えられる答えなどない。
目的をかなえるために、話を本題に戻す。
「で、あんたらと愛護団体の違いは」
「愛護団体のなかには……そうね、わかりやすくいえば、『陸派』と『海派』がいるの。陸派は始末派と敵対している、始末派の人間を生け贄に家族を取り戻そうとしている人達よ」
「海派は?」
「アタシ達。怪物を人に戻すのではなく、怪物と化した家族とともに、海を渡ろうとしているもの」
「……どういうことだ?」
「この状況が続く限り、結局、決着なんてつかないでしょう。だから原因ごと変えるの。どちらかが滅ぶまで争うのではなく、片方が舞台を去ればいい」
チェレステがてのひらで、そばに待機する魚人エルコレをさす。
「海の怪物と取引をしているの。人でなくなってしまった以上、もう人の土地で安らかに生きていくことはできないから。いっそのこと、家族まるごと、あちらの世界へいけないか? って」
「マジでいってんのか? 自分から怪物になろうって」
「詳細は省略しているけれど、大真面目よ。あなたたちと話したいのも、要はそれ」
チェレステのいう海派のいいぶんは、突拍子もない。
年齢にしてはどうのいった様子は、イデ達を騙すそぶりにはみえないものの、正気を疑う。
この島が狂った島と化しているのであれば、ここでの正気とは狂気のことであるのか。
彼女は本人の宣言に違わず、大真面目だった。
くっきりとした強い目で、改めてイデ達に話を持ちかける。
「海の怪物たちに頼まれたことがあるの。手伝ってくれないかしら。なに、始末派に被害を出すようなことではないわ。それならいいでしょう? 目的を果たしたら、アタシ達も貴方達が知らないだろう秘密をひとつ、教えてあげる。きっととっても重要なことをよ。島のこの先にいきたいのなら、知る必要があるでしょうね」