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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第六章 獣の愛
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第三話「ルヴァの人々」


「トレモンティさんか。オレはアルフ。しがない会社員さ。ここには友人を訪ねて来た」


 アルフは人好きのする笑顔でさっくり嘘をつく。

 握手をしながらトレモンティは疑問符を浮かべる。


「ご友人。僕はレトリ島の交番で警官をしていますが、知っている人かな?」

「しばらく離れていたらしいからわからないな。一足先にここへ来ているはずなんだけれど。見た目には特徴があるから見覚えはあるかも。大きな黒い瞳に艶のある黒髪をした子で、身長は150センチ半ば。東洋人の血が濃い、子犬のような子なんだけれど」


 トレモンティはしばし考えてから、眉を八の字に下げた。


「すみません。心当たりはないですね」

「いや、いいんだ。しかしこの状況で友人が無事か心配だし、探しにいきたい。手伝ってくれとはいわないから、この状況について詳しく説明してほしい」

 

 冷静に続きをうながすアルフに、親切に振る舞っていたトレモンティがいぶかしむ。

 あまりに動じなさすぎたのだ。人魚と負傷した島民というひとめでわかる異様を目撃しておいて、ここまでほぼほぼ平静を崩さずについてきていた。


「失礼ですが、会社員さんにしては随分落ち着いていらっしゃるんですね。この状況なのに」

「仕事がら、危険やおかしなものはよく見るんだよ」


 シグマがぎょっとアルフを見上げる。アルフは飄々と朗らかなままだ。


「どこにおつとめなのか、世間話ついでにうかがっても?」

「コシュタバワー探偵社。オレらはH&L社と専属契約してる」

「ああ。それで」


 トレモンティの目が驚きに見開かれ、得心したように大きく首を縦に振る。

 コシュタバワー探偵社とは、元々H&L社の警備を担当していた人員が独立した会社だ。

 大地震ののち、バラール国はあらゆる意味で混乱を極めた。

 主要な施設と交通機関がズタズタになったのは勿論、バラールの国民と母国へ帰れなくなった異邦人とで激しい争いが起こった。


 バラール国民の側としては、ただでさえ生活がめちゃくちゃになったのに、言葉も通じない他人に譲り渡せる余裕などない。

 異邦人だって好き好んで危機に陥ったわけではないのだから、災害に遭ったのだからしかたない、今日からホームレスになれと言われても素直に諦められるはずがない。

 あちこちの土地で、現地人と異邦人との諍いが発生した。

 警察も仕事が多すぎて優先順位をつけざるをえず、首都から離れた地方ではそれぞれの自警団が発生し、やがてマフィアやギャングと呼べる組織に成長していった。


 H&L社の「H」は、地震前に営んでいたヒュトギン海運という船を扱う企業の名だ。

 大地震後は他国との貿易が行えなくなったため、ヒュトギン海運は店をたたんだ。

 そして鉄道に乗り出した。

 ヒュトギン海運は以前から蒸気機関に強い関心を抱いており、大地震前から資材の貯め込みと碩学の援助を行っていたのだ。

 この碩学が蒸気機関車の発明者、リチャード・トレビシックである。

 

 H&L社は半ば強引に、しかし迅速に動いた。

 国中に鉄道を張り巡らし、多大なる恩恵をもたらすとともに、大企業の名を不動のものにした。


 全てが順調とも言えなかった。鉄道を敷くに問題があったわけではない。

 首都外では地元民との「言い合い」が起きた。

 H&L社がかたくなに線路の扱いを押し進めると、今度は力づくの妨害だ。

 地元のギャングが作業を妨害し、線路を破壊してきた。

 これに対抗するために、H&L社は社内・社外問わず適性のあるものを選び、探偵社コシュタバワーを結成した。


 警備員を配置しても、できることには限界がある。線路に近づいた者を追い払うのが限界だ。

 そこで【探偵】だ。

 探偵は自由に動き回り、独自に捜査を行う。手段と判断はコシュタバワー社任せ。依頼しただけのH&L社は知らぬ存ぜぬ。

 この手段と判断にはかなり苛烈なものも含まれた。


 こうして無事国中に巨人の血管の如く線路を張り巡らせた後もコシュタバワー探偵社は残った。

 探偵社というより腕のたつ警備や用心棒としての側面のほうがよく知られていたが、全く捜査能力がなかったわけではない。

 警察が後回しにしがちな下層民からの依頼、現実味のない荒唐無稽な仕事の多くを担うようになっていった。


 この荒唐無稽な依頼こそ、異常存在に関わるものだった。

 コシュワバワー探偵社こそANFAの前身である。そして表向き活動する際に持ちいらえる、二つの役職名のうちのひとつでもある。

 正常で立派な人間とみられたければH&L社を名乗り、怪しげだからこそ何でもありに動きたいならコシュワバワー探偵社を名乗る。


「しかし、ああいったものにも心が動かないなんて。コシュタバワーの人は肝が据わっているんですね」

「君もさして動じていなかったじゃあないか」

「俺達はもうこの状況になって一ヶ月ですから。麻痺しているだけです。最初の一週間は酷いものでしたよ」


 トレモンティは苦く笑う。苦虫をかみつぶしたまま無理に口角をあげた、歪な顔だ。

 本人の言うとおり、明るいのは表面だけで、疲れ切っていた。


「一ヶ月か。愛護団体とか抗争も気になるな。もし俺達が外に探しにでたとしたら危険か?」

「ええ。皆さんコシュタバワー探偵社のかたならば腕に覚えはあるかもしれませんが、あちらはそれを知りません」


 まずはっきりと、愛護団体とやらがアルフ達にとって外のある存在だと示したから溜息をつく。


「立ち話もなんです。部屋のひとつにこれまでの経緯をまとめた資料を置かせてもらっているんです。いつか外の人を招ける日が来たときのためにと……無事使えてよかった」


◇◆ ◇


「一ヶ月前といいましたが、実際はもう少し早く始まっていたのかも知れません。それはほんの一部でわずかに発生し始めたんです」

「それ?」

「怪物です」


 連れてこられたのは集会所のなかでも奥まった小さな部屋だ。

 ひとが二人むかいあって座ればじゅうぶん。そのまま横になって安らぐこともできよう。恐らくもとは休憩室か楽屋か何かだったのか。

 そこに何人もぎゅうぎゅうに詰まっているので蒸し暑い。特にイデのいづらさといったらなかった。

 トレモンティは構わず机に写真を広げている。


「ごくごく一部の島民が、体を崩し始めました。比喩ではありません。夏の日のジェラートのように、体がどろどろ溶けるのです。そして再びかたまり、別の部位になる。ああ。そういう意味では、ジェラートというより蝶の蛹といったほうが正しいかもしれません」


 写真には、左腕が鱗に覆われた男が映っていた。その横に別の写真が並ぶ。縦長のつるんとした頭いまるい胴がくっついた生物だ。実に奇妙だ。

 あえて知るもので例えれば、ゆきだるまの胴をもつ真っ白いナス頭のバケモノである。


「最初、彼らのすぐそばにいた親しいものは、これが他にも起きているなど夢にも思いませんでした。なかには殺した者もいましたが、多くは人情から隠し通し、保護しました」

「それがあの人魚か?」

「いえ。あのなかに島民だったものがいるのは正解です。ですがあれらが来たのはもう少し後でした。怪物と化した島民が増え、隠しきれなくなり、島全体に異常が起きていると知り合ったのちに現れたのです」


 像ははっきり結べているのに、日付が崩れて読めない。

 写真は前、後ろ、左右と全ての面から撮られていた。島民達が事態に気づいた後に撮ったものだろう。 

 島民の変化は現在進行形なのだ。


「海に怪物が現れるようになりました。漁師達が船に乗って救援を求めても、一向に帰ってこなかった理由もわかりました。彼らは人を襲うのです。海に引きずり込まれて、それきり」

「島から出られなくなったのか……」

「そうです。外から来る者もない。連絡を取ろうにも、通信機器も島内以外では一切使用できませんでした。唯一の救いは竜炭石は豊富。月替わりの時期で食料も豊富だったこと」

「生活環境がしばし保てても、それは理屈だ。大なり小なり恐慌状態(パニック)になるのでは?」


 アルフの言葉をトレモンティは沈痛に肯定した。


「そうです。島から出ようと躍起になるもの、自殺者も出ました。しかし現状を見て頂ければわかるとおり、それ自体は意外にも大多数には及ばなかったのです。心持ちはまだありました」

「じゃあ問題になったのは、その愛護団体ってやつらかい?」

「ええ」


 トレモンティは新しく一枚の写真を選んで差し出した。

 絵の中心に天然パーマのかかった黒髪の主婦がいる。彼女は包丁を構え、同じ人間に切っ先を向けていた。


「怪物と化した者の家族です」


 それは前者の説明を思えば、当然の帰結であった。


「怪物達と意思疎通を図るのは難しい。人を襲う。言葉を通じても大抵狂ってしまっている。怪物の扱いを巡って、島民は二分しました。バケモノになって生き続けるより、いっそ死なせることが人としての尊厳だとするもの。愛する家族の帰還を信じ、守ろうとするもの」

「いや、それだけならよくわかるぜ。だがなんで殺し合いになるんだよ」


 イデは思わず口を挟んだ。

 扱いを巡るだけなら、あんなバリケードを作ってまで殺し合う必要は無い。命を守るために、自分と違う異なる考えは存在ごと消してしまおうなんて、矛盾した話だ。


「……ある追い詰められた島民が、限界に達し、自ら海に近づきました。将来を悲観し、食われにいったのです。怪物と化した娘も一緒でした」


 トレモンティのまぶたがおろされ、目が細くなる。その色の濃い瞳は遠のいていた。


「人魚達は父娘を海に引きずり込んだ。その数日後、娘が地上に戻されたのです。他ならぬ人魚の手によって。……娘は人に戻っていました」


 シグマが「うへえ」と渋面を作る。イデも嫌な怖気がはしる。

 思い出すのはウェルデラッテ村だ。人のなかには、己のためならいくらでも残虐になれる。そしてダヴィデの領地、デイパティウムを思い出す。

 たとえ自ら悪行を行使せずとも、それが我が身のためになるのなら、平気で無知にひたれるものもいる。


「それからです。愛しい者を人間に戻すため、彼らは、僕たちを生け贄に狙い始めました。怪物化した島民を殺そうとする派閥をです」

「うわあ」

「人魚達となんらかの取引もあったかもしれない」

「どうしてそう思うのかな」

「重傷化させて、言い方は悪いが必要数以上にやたらめたら生け捕りにしようとする。人を選び、最小限にとどめようというためらいさえない。たちが悪いことに、平時は僕たち始末派を装って、愛護派を導くものまでいた。いざ仲間が襲われた時、隣にいるというのに無視するのです。そして報酬を受け取らんと望む」


 話し続けたトレモンティはコップに入れた茶を一気に喉に流し込む。

 この季節に氷が入っていた。からんと冷涼な響きに、淀んだ空気が一瞬清められた気がした。

 氷があるということは、水道と機関の類いは生きているようだ。


「不幸中の幸い、自力で助かって逃げた者のおかげで、愛護派と偽装者の存在がわかりました。僕達は慌てて彼らを探り出し、追い出しました。現在、島の内側は僕たち始末派、外側は愛護団体の領域になっています」

「愛護団体というのは皮肉だねえ」

「ええ、まあ。我が身と身内可愛さで他人の命を消費しようとするやからを、人権派とは呼びたくはないでしょう」


 トレモンティはうつむき、低く笑う。この三度目の笑みはそれまでとは質が違った。

 目は虚ろで、唇は歪んでいる。なにも面白くないからわらうしかないのだ。

 あまりに卑劣すぎるがゆえに嘲り、嗤う。そうして己をおびやかす薄汚さから身を離し、かろうじて乗り越えようとする。そういうどす黒い類いの笑みだった。


「父娘の身投げが始まりから二週間目、愛護団体とのいざこざが、まあ、だいたい一週間でしたから……ああ、なんてことだ。まだこの抗争から一週間ですか。もうずっとこうしているつもりでしたが」


 怒りに染まっていた顔をごしごしと乱暴に拭う。

 顔をあげたトレモンティは、またどこにでもいる少ししっかりとした好青年に戻っていた。


「詳細を省いた部分もありますが、この一ヶ月のことは概ねこのような流れです。コシュタバワー探偵社のアルフさんたち。これをどう思われますか? そしてどうしたいですか」


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― 新着の感想 ―
[良い点] アルフさん、この短時間で怪しまれない設定詰めてくるのさすがです……! それにしても、愛護団体、前回から気になってましたが、なるほど……。 食われたくないがために他人を蹴散らすのも、身内を戻…
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