第二十三話「閉じ込め」
ハニエルが意味深な発言をしてまもなく、バンシィの通信機にコールが入った。
「…………」
「どうぞ?」
ハニエルは小石を潰してまわって、邪魔をしないとアピールする。
「……わかった」
緊急の要件であれば、無視するべきではない。
ハニエルの目的がバンシィの足止めにあるならば、イデたちを追わなければ攻撃もしてこない。
「……バンシィ。手短に頼む」
『配置移動のご連絡です。バンシィ様、地下上層二階、C通路に応援をお願いいたします。大型のトルミロスクラスが二体、脱走中です』
相手は管理室のオペレーターだった。
トルミロスは異常存在を管理するうえでの危険度の指標のひとつだ。
管理法は発見されているが安定性に欠けており、不慮の事故が起こりうる異常存在が分類される。
バンシィは返事に迷わなかった。
「わかった。すぐ行こう」
『ご案内いたします』
「ところで、侵入者の件で……」
『その点についてもご報告がございます』
「?」
『現在、地下層に勤務中の皆様は地上への出入りはできません』
「……え?」
瞳の白眼を大きくするバンシィと反対に、オペレーターは忠実に疑問符に答える。
『収容室N-SM-B07、ダヴィデ・メチェナーデです。地下の各階層で、ゾンビたちに負傷者の救助と単純作業といった援護を行っていましたが、離反。ゾンビたちを地上階に繋がるあらゆる出入り口に詰め込み、脱出を妨害しています』
「……………………」
『他の異常存在たちも地上へでれません。ゾンビたちもいずれ駆逐し終えるでしょう。優先度は地下で暴れる異常存在たちの鎮圧です』
バンシィはゆるりと目頭をもむ。
後ろからはもう小石が潰れる音はしない。
「……そうか」
『幸い、先に地上に出た職員たちのなかに、脱走物たちの収容に関わった職員たちがいます。彼らが追う予定です。ご心配なく。とかく、地上層二階へおいでください。このままの現地メンバーでは死者の発生が危ぶまれます』
震える指で通話を終える。通話先と完全に切れたバンシィはうなだれ、髪にかくされて目しか見えない。その目がぴくぴくと痙攣したかと思うと、がっくりと脱力した。
「……逃げられた……ああ……リーダーなのに……」
「まあまあ。ほら、上層二階だろ?」
武器をしまいながら、ハニエルが上層二階へ降りるために扉をくぐる。
「……ハニエルサンも行くのか?」
「そりゃあ行くぞ。仕事だ。ここを裏切ったつもりはねえよ」
肩をゴキリと鳴らして、広い背中をあっさりバンシィの眼前に向ける。
「それに、お嬢ちゃんを相手どるのに比べたら昼寝みてえなもんだよ。そっちに行きたいに決まってる」
「…………」
薄い唇をむっつり閉じて、バンシィは彼の横に並んだ。
「ワタシもです」
◆◇ ◆
地下層二階C通路。横に大人が三人寝そべれるぐらい広い廊下は、タコツボのなかにエビの群れが放られたような有様だった。
広いはずの廊下が狭く思えるほど巨大なヒルが壁伝いにうねり、のっぺらぼうの顔についた吸盤をひくつかせる。
警備員の何人かが火炎放射器でヒルをやく一方で、別の怪物が職員を襲う。
ゾウに似た長い鼻をもち、まぶたと口を縫われた不格好なヌイグルミのようなそれ。全体的にまるく膨らんだ、愛らしくさえあるフォルムと裏腹にこちらもまた巨大であった。
ナイトキャップをかぶった頭がしょっちゅう天井をかすめる。
ゾウはゆらゆら滑稽に揺れて、鼻から泡をふく。
職員たちは怪物と戦いながら、必死に泡を避けた。この泡は浴びたものを不可避の眠りにいざなう。そして怪物が満腹になるまで悪夢に閉じ込め、精神力を貪り食う。
よしんば泡に触れずとも、気まぐれに昂ぶる鼻の乱舞に巻き込まれれば、強烈な衝撃に骨を折られる。
「負傷者を助ける立ち回りをしろ、餌をとれば勢いを増すぞ!」
身動きが重いものを狙って、ヒルの体からグロテスクな肉色の触手が伸びて血肉を狙う。
現場にいた六人のメンバーは、三人ずつでグループをつくって背中を合わせた。
「泡を見逃すな! 隣の奴と助け合え!」
「もうすぐリーダーたちが来る、耐えれば僕らは助かるよ!」
脇腹から血を流す負傷者を他の警備員が励ます。
泡は割られた飛沫のみでもじわじわと気力を奪う。ただでさえ気の張る戦場で心を削られるなか、精細もかけ始めていた。
巨大な異常存在二体との交戦を開始して十五分。弾切れも目前だ。
そこに三つの人影が飛び込む。
「邪魔だ」
一言ともに、バンシィの長い足がゾウに飛び膝蹴りを放つ。
ぱん。風船が弾けたような――といえば可愛らしい。だがしかし、ただひとりの人間が放ったはずの攻撃は、居合わせた職員の鼓膜を痛いほど揺らした。
張り詰めた空気が爆発したような衝撃とともに、ゾウの胴が上下真っ二つに裂ける。
ちぎれたゾウのはらの間を通過したバンシィは四肢で着地した。
彼女が見上げた天井に、ハニエルが走っている。
天井を蹴って、四回転半。回転の威力の加わった剣がヒルの脳天を刺した。振り下ろした腕に慣性が働くまま直線に刃を走らせれば、脳天から尻尾まで一直線に開く。
魚の開きよろしく割れたヒルの肉に着地して、今度は刀も抜いて三回転。
二本の刃で八等分に解体された肉片が、水っぽい落下音をたてて床にまき散らされる。
納刀したハニエルは、やる気のない顔で立ち尽くす警備員をてまねく。
「警備、早く焼け」
「は、はい!」
火炎放射器がヒルを焼く。腐った生ごみの悪臭が鼻腔をいじめるが、リーダー二人は構わない。
「急ぎで呼ばれた割にあっさりしすぎだな。ヴァンニまで来てるのに。こりゃまだくるぞ」
「………本当にちゃんと仕事するんですね……」
「そりゃそーよ。いらん嘘はよくねえ」
苦笑するハニエルを図りかねてバンシィは曇った顔を晴らさない。
気まずい雰囲気の流れる二人をうかがうようにヴァンニが近づいた。
副リーダーの存在に気づいたバンシィは「あっ」と声をあげ、彼を引き寄せる。
「聞いてくれ、ヴァンニ」
「なんすか?」
わざわざ耳元に口を寄せ、他に聞こえないようにされた。
たっぷり暴れて皺だらけの服を整えていたヴァンニは、リーダーの真剣な面持ちを思いっきり見上げた。バンシィの身長が高すぎて、全力で首をあげなければ顔が見えないのだ。
「さっき、侵入者にあった」
「! それで?」
胡乱に目を細めていたヴァンニの表情が好奇心に輝く。
しかし、続く言葉をきいてすぐにまた半眼に戻った。
「……知らない人がいっぱいで、怖かった」
ははは。上司の性格をよく知るヴァンニから乾いた笑いがもれる。
「うん、重度の人見知りで収容チームでやっていけなかったアンタにしては、頑張ったんじゃないスか!」
「あ゛あ゛あ゛……そうだよなあ……ありがとうヴァンニ……ワタシ頑張ったんだよ……でもそんなの部下に言えないだろ……」
「うんうん。じゃ、得意な仕事しましょうねー。侵入者は他のひとがなんとかしますし」
どこか楽しそうに唇をつりあげるヴァンニにバンシィは小首を傾げた。
「バンシィさん、気にするこたぁない。あいつら、なかなか面白そうでしたよ」
「ヴァンニ……キミは……すぐそうやって楽観する。不謹慎だぞ。早く片付けて追いかけないと……」
「バンシィさんとバランスとれてちょうどいいっしょ?」
けらけら愉快そうなヴァンニを横目に、次の騒乱が向かってくる音をききつける。バンシィはゆるやかに息を吸い、警棒を握り直す。
文句をいいつつ、彼女は臨戦態勢に入る。
バンシィは「たまたま」群をぬいて強かっただけの職員だ。
強いものが賢く、正しい判断をくだせるとは限らない。バンシィは自ら考え行動することで、最善の答えを導き出せるとは思っていなかった。
必要だからといって死ぬほど鍛えても、必ずしも怪物を倒すちからが手に入らないように、賢さもまた学べば最高の知性を得られる保証はないのだ。
ゆえに他者の指示に従う。純粋に、賢きものが欲しながら保たぬちからとして存在し、脅威を排除する。
その「賢きもの」が休養中で、代理の管理室から鎮圧優先の命令が出ているのなら、それがバンシィの行うべきことなのだ。
文句をいってみせても、結局ヴァンニの指摘は正解だった。
「……素早く鎮圧、再収容。存在するものは……壊せば死ぬ。壊すのは……得意だ」