第二十一話「バンシィ」
バンシィはしかめつらで、イデたち侵入者とハニエルを交互に見る。
テストで難問にあたってしまった子どものように真剣に、正解を導こうとしていた。
その間にイデとアルフは、バンシィの攻撃を警戒して壁としてたつ。
二人に守られて、トリスが小声で呪文を紡ぐ。
異能ではなく魔術。イデは初めてみるが、前方と後方につちくれの人形が二体ずつ出現する。
バンシィが思案を巡らせていた時間はそう長くなかった。
「ハニエルサンがそっち側な理由。考えてもさっぱりわからん」
トリスはダヴィデに目配せする。ダヴィデは最後尾に下がり、目をつぶって集中し始めた。
「考えるのは苦手だ」
長大な足がのばされる。
鍛えられてはりのある太ももと尻が強い踏み込みを生み、警棒の突きが「ごう」と風をまとって空気を裂く。
ハニエルが短く言う。
「当たんなよ」
トリスのたぐるゴーレムがイデを庇う。
イデと変わらぬ大きさのゴーレムの胸元を突きが抉る。
この時点で釘打ち機でも使ったように、岩肌が砕けた。だがイデが本当の意味で目を剥いたのは、約一秒後だった。
聞いたこともない音がする。
あえて表現するなら「がろがろがろ」、あるいは「ごるごるごる」。
重厚なゴーレムが、先ほどの斧宜しく、ぐちゃぐちゃの小さな塊に圧縮されていった。
それなりに荒事に慣れているはずのイデも唾を飲む。
(当たるなって……まさかあれ、当たったら即死か?!)
ただでさえ尋常でない長身によるロングリーチに加え、警棒という長物。
しかも、触れたあとで得体の知れない破壊現象が起こるとしたら、あの岩を削った初撃は自力ということになる。
つまり元々怪力なのだ。異能を抜きにしても脅威である。
まだ格闘術のほどはうかがえないが、これに技術が上乗せされれば――想像するだにぞっとしない。
(これ相手に一分半もたせりゃどうにかするって、このおっさんどうする気なんだ)
危険とは思いつつ、ハニエルを見やる。
ハニエルは腰の左右に手斧を一つずつ、後ろに交差した形で鉄板の剣と刀を一本ずつと重装備であった。
手斧のひとつは破壊された。彼はバンシィの攻撃を受け止めた鉄板の剣を使っていた。
なにをしているのかと思えば、トリスのゴーレムを叩き切っている。
「はあ!?」
なにやってるんだ、といいかけて、思い直した。
わざわざ後方にゴーレムを出現させたのはトリスのほうだ。イデの知らないハニエルの異能を、トリスは知っている。
後方からの援軍を警戒してゴーレムを設置したと思ったのだが、他の理由があるのかもしれない。
「イっちゃん前みろ!」
アルフが適当なあだ名でイデを呼ぶ。
バンシィに拳銃を二、三発打ち込むが、それも彼女を傷つける前にパンとはじけて粉になった。
弾丸のつきた銃はリロードせずに顔面に投げる。
鬱陶しそうに手で払われ、また潰れた。
「一分半保つかコレ!?」
「こんなことならサブマシンガン持ち込めばよかった! イっちゃん後ろお願い!」
アルフがみずからの警棒を手に飛び出した。
上からバンシィの警棒が振り下ろされる。アルフはそれを受けてから、一秒たつ前に手を離した。
ホームラン後のバットのように投げられたアルフの警棒が潰れる。
イデは急いで自分の警棒を投げてアルフによこした。アルフは後ろ手に警棒をキャッチした。
バンシィの二撃目を、イデの警棒を持ちあげるついでにのばしてはじき、捨てる。また潰れた。
「ト!」
頭文字に応じ、トリスも警棒を投げた。
足下に転がってきたそれを拾う。
アルフはバンシィの大ぶりの横凪を避けようと大胆に後ろに飛ぶ。
後ろに倒れ込み、尻餅をつくアルフめがけて下方へ向く突き。
だが腹筋によって腕を用いずに後転でたち直すという曲芸を見せて、間一髪で逃げ切った。
そこでバンシィが重い髪をかきあげた。
髪の先端がアルフの肩を撫でた。そこからびしゃりと血が舞う。
バンシィの異能がカバーする範囲は肌と武器のみではなかった、その髪までも!
「ああもう!」
イデはアルフに最後の警棒を投げた。
同時にバンシィに向かって走る。バンシィはいぶかしげに眉をひそめ、アルフが素っ頓狂な悲鳴をあげた。
「なにやってんだ馬鹿野郎!」
直球な罵りに、イデもまた頭を急いで回転させて答える。
「足!」
その一言で、アルフは読み取ってくれた。必死の形相で歯を食いしばる。
最後の警棒で、アルフがバンシィに殴りかかる。
顔面めがけたそれは、あまりに単調で、拳銃の時とおなじく、バンシィはそれを手で振り払った。
離れるアルフの手。壊れる警棒。
「やってやらァアッ!」
そして、イデは身をかがめて突進し、バンシィをタックルで押した。
触れざま、バンシィの手がイデの手を絡め取る。
しかし強引に突き飛ばした。二メートルをこえるバンシィであるが、イデも190は上回る。全体重を込めれば、彼女もアルフのように尻餅をつかされた。
三秒間の短い接触。警棒を壊すためにかかった時間の三倍の猶予。
たおれてもすぐにバンシィは横に転んで、女豹のポーズで臨戦態勢をとる。
「はっ、はあッ」
緊迫と突進のために暴れる心臓をおさえ、イデは胸板をさする。
生きていた。どこも崩れていない。左手が気絶しそうなほど痛いが、ヴァンニにやられた傷だ。
突き飛ばしたときに腹も蹴られた。黒ずんだ血を吐いたけれども、穴はなかった。
タックルの際に更に複雑におられたらしい。関節も外れたかもしれない。されど外観は残っていた。
せいぜいバンシィには、よくても痣が残る程度であろうが、まだ五体満足である。
(あ、あっていた!)
髪すら凶器となるバンシィに触れて、何故無事なのか。
理由は彼女の足――足下にあった。
体の延長ともいえる武器でさえあの威力を発揮するのだ。イデには最初から、身体そのものでも同様の効果がある可能性がわかっていたのだ。
ならばおかしな点がある。
まごうことなく彼女の足が接している床が無事であるという不可解だ。
銃を手で払ったのもそうだ。銃弾は手をあげるそぶりもないのに、銃器は落とす。
バンシィの異能は意識的に対象を選択している。
もしくは、無意識に異能が発動させられない場合がある。
一番最初にハニエルがバンシィの攻撃を受けとめてしまったように、傷つけたくない相手に触れてしまう時もある。
だから、壊していいか確かめられないと、壊せない。
足場は壊れないし、大切なものだと困るから見えないものは潰さない。
アルフのほうを見ている間に間合いに入られれば、見えない攻撃へは異能にセーブがかかる。
残心の心得はあるらしく、見事腕はとられるも、命は拾えたのはそういうわけだ。
「近づいたら死ぬけど、殺すためには近づかなくちゃいけねえなんて、神話の生き物かよ」
いつまでも鳴り止まない心臓に苛立って愚痴る。
上下するイデの肩をトリスが掴んだ。
「イっちゃん、アっさん」
入れ替わりに、緑の腕章が前に出る。
イデが与えた攻撃は、ケルベロスにじゃれつく目も開いていない子猫程度のものだ。
必殺をかわし続けていたアルフの攻防を含んでも、時間にしておよそ一分半。
一分半が経過していた。