第十八話「トストマン姉妹」
ヴァンニの職員証で廊下を通過したあと、シグマはいたく不機嫌だった。
イデ達が選んだ『通路』はシャッターにより遮断された廊下。
遮断されているのには理由がある。
遮断された廊下という狭い区域には、脱走した異常存在のひとつがいたのだ。
その交戦を終え、なんとか中央層一階に辿り着いたというのに。
むくれるシグマをアルフがなだめる。
「最初から危ないなんてわかっていたじゃあないか。《蟻》よかマシだろ?」
「これは怒っているんじゃありません。近距離でバケモノと戦った興奮と恐怖が今更来ているんです。そのうち落ち着きますので」
シグマはしきりに服の上から腕をさする。
隔離されていたのは巨大で不格好な案山子の形をした怪異だった。
目を離すといつの間にか背後にたたずんで、鍬を振り下ろしてくるのだ。
後回しにされているように、瞬間移動は区切られた室内のみで、それ以外は物理的な徒歩。攻撃方法も比較的単純。
体が大きく攻撃のリーチが長いせいで回避しづらく、一撃くらうだけで容易く骨を数本持っていかれる威力であるところは、やはり怪物だったが。
シグマは本来は遠距離からの狙撃や耳を使ったサポートが担当だ。
突入時は冷静にハンドガンで撃っていたように見えたが、本当はかなり緊張していたらしい。
自らをなだめようと俯いていたシグマは、曲がり角を通って、新しい廊下に入ったところで止まった。
イデは軽く片手をあげる。トリス達だ。今となっては懐かしい顔も加わっている。
ダヴィデだ。鉄面皮と代わらない薄気味悪い微笑は変わらずだ。
イデの隣を歩いていたシグマが、イデの腕を掴む。
「お姉ちゃん?」
シグマにはぼそぼそ低く話す癖があるが、その一言は高くひっくり返っていた。
その目は信じられないものをみたようにカッと見開かれ、正面に釘付けになっている。
「ああ。そういえや双子の姉妹だっけか? すげえな。わかるもんなのか」
「知ってたわけ!?」
「あー……悪ぃ。次から次に色んなことが起こって、いうのをすっかり忘れてたぜ」
チッ。思いっきり舌打ちをされる。彼女たち姉妹の事情を思えば、今回は罪悪感がわく。
「あ、足音が一緒なんだよ。歩き方にも指紋みたいに個人差がある。姉さんのは特にわかりやすい」
シグマは寒くもないのに震えて、イデの後ろにまわった。
「無理……」
「あ?」
「わ、わたしいけないから。イデ。いって。お姉ちゃんのとこ。いって」
「はあ? 自分でいけよ、姉貴だろ」
イデは一人っ子だが、周りにきょうだいのいる下層民は山ほどいた。
誰しもが肉親の強い絆で結ばれているとはいいがたいが、仲の良いものは一蓮托生という言葉そのもののような働きをしたものだ。
シグマの姉への慕い方をみるに、彼女達は後者のきょうだいにみえる。
「だから無理だって言ってるでしょ」
シグマは道ばたに座り込む犬のように断固として動かなかった。
「なんでそんな」
時間内から早くしてくれ――という焦燥を押し殺す。
イデがネヴを案じるように、姉妹にも譲れぬ葛藤があるのだろう。
「……姉さん、あたしのこといやになってたらどうしよう、って」
「気にしすぎじゃねえか。嫌われる理由なんざねえだろ」
「わからないじゃない、そんなの。相手を嫌う理由なんて、本人のなかにあるんだから。そもそもなにが嫌われるのかわかってたらやらない」
うじうじ悩んだすえに、シグマはイデを「あっちへいけ」と突き飛ばす。
「とにかく。いってきて!」
「ああもうはいはい」
アルフにシグマを任せ、イデはしぶしぶひとりでトリスに接近する。
そうすれば、トリスもまたビクトリアの姿をしたビィに話しかけていた。
「それは……君の考えすぎではないだろうか」
「考えすぎじゃなかったらどうするのよぉ」
ビィは、あらかじめ聞いた作戦通り合流しようと前進するダヴィデの腰にしがみついて抵抗していた。
最初の底抜けに明るい性格が嘘のようだ。
イデがやってくると、ビィは露骨にびくんと跳ねた。
「あー。あのさ。あっちにいる妹さんが、あんたを呼んでるんだが」
「あ、あた、あたし、」
親指でシグマをさす。
ビィはシグマ以上に舌をもつれさせた後、ぺたりと座りこんで頭を抱える。
「く……クリスティナちゃんが、あたしを嫌いになってたら……どうしよう……」
クリスティナ。シグマの本名だ。
イデのなかで、ビィの姿がヴェルデラッテ村でのシグマに重なる。
姿の違う双子の姉は、外界を拒むように丸まって、ぶつぶつ言う。
「だってあたし、勝手に悩んで勝手に潰れて、あの子のこと置いていってずっと寝てたんだよ? 嫌われたってしょうがないじゃん。クリス、じゃなくて、シグマちゃんがあたしを嫌ってるんなら、もうあたし死んじゃいたい……」
「俺、少しはあんたの話をシグマから聞いてっけどよ。仮にあんたはシグマがそういうことになっても気にしなさそうに見えるぜ。だったらシグマも気にしねえだろ」
「わかんないじゃん! あたしがやられて平気でも、だからシグマちゃんが許してくれるなんてジコチューじゃん!」
トリスを見やる。彼は両手をあげた。彼も困り果てている。
「シグマちゃんはさぁ、あたしと違って素直で正直な子なんだよ。臆病なとこも棘もあるけど、それを隠そうとはしないしさ。あたしは嫌われていじめられるのが怖くてニコニコして、影でぐじぐじ悩むネクラで……あたしに価値があるのはシグマちゃんを助けてる時だけなのに、それを裏切って……」
ビィはすすり泣いて、すっかりパニック状態だ。
「……はあああ。あんたら瓜二つだな」
両腰に手をあてて溜息をつく。
イデは丸まって防御姿勢をとるビィを前にしゃがみ、そして力尽くで持ち上げた。
「ふぁ!?」
「こっちも早くネヴに会いに行かなきゃいけねえんだよ。強制連行だ」
「まままま、待って!?」
「知らね」
骨が軋みそうなほど重い体躯を横抱きにして、シグマのもとへ戻る。
ずんどこ近づいてくる姉の姿にシグマは虚を突かれてから逃げようとしたが、先にイデが彼女の前にビィを転がした。
「姉妹の感動の再会だな。手短に済ませろ」
アルフとトリスから「そんな言い方しなくたって」と非難の目が飛んでくる。イデは煩わしそうに二人を睨み返した。
早く踏ん切りをつかせたほうがいいこともある。
ダヴィデは親指をたててイデを評価した。イデにとって価値のない賛美である。
双子の姉妹は、口ごもってみつめあう。
それからシグマはおずおずと手を差し出した。
記憶以上に低い位置にある姉の手をとり、指先に控えめに触れる。
人差し指と中指と薬指の三本をやわやわと握る。その存在を確かめるかのように。
下唇を噛み、シグマの視線が下がった。
アイスブルーの瞳から、無言でぽたぽたとしずくが落ちる。
眼鏡が曇るのも構わずに泣くシグマの手を、ビィがはっとした顔で握り返す。
「……寂しい思いさせてごめんね、クリスティナ」
シグマはただ鼻をすすって、首を横にふった。