第十七話「医療チーム」
トリス達は階段を使い、中央層二階をなにごともなく通過した。
押し負けているように見える《蟻》も奮闘しているらしい。
ヴァンニ以来、トリスにかかる電話もなかった。
トリスが休みの場合は、管理室は秘書であるミアキとティキが交代する。二人が頑張っているらしい。
こういった緊急事態は稀によくある。変な言い方だが、管理センターを運営する以上、事故の確率は下げられても必ず発生するのだ。
トリスが不慮の事態で死んだ時に「いきなりだったからうまく対応できなかった」では困る。
今回は二人のいい練習台になるだろう。
「このぶんなら、地上へ収容物が出る心配はなさそうだ」
「僕たちがでれなかったら困るんじゃあないの?」
「それはそれ」
一階への階段に足を踏み入れる前に、トリスは一度あしを止めた。
「ダヴィデ。死体達は?」
「なるべく各所にわかれて、怪我人から距離をとって行動しているよ。いわゆる肉壁だね」
「わかった。ではあと二分ぐらいしたら、手はず通りに頼む」
短いやりとりに、ダヴィデは頭を縦に振る。
登り際、三人の職員とすれ違った。
サンドカラーの上着も腕章も着ていない。トリスにとってよく見覚えがある顔ぶれだった。
探索チームのメンバーだ。
性格のクセが強いメンバーが多く、反省文の常習犯だ。
さしずめ、収容の手伝いに駆り出され、現場に向かう途中といったところか。
トリスは首を傾げる。数が足りない。いつもなら、猫背で着いていく頭ひとつ背の高いリーダーも混ざっているはずだ。
(サボりか? いや、ハニエルさんは他に支障が出るような働き方はしない人だ。でも五年前にミネルバさんが亡くなってからちょっと様子が危ないし)
管理室長を交代する際も、何かと手助けしてくれた頼れる恩人だ。
トリスは室長として、なるべく職員を気にかけようと努力している。
(何か他に気になる仕事でも見つけたのかな)
ハニエルは自発的なやる気に欠ける人物というのが定評であるが、相方が死んで以来、危険度の高い仕事に進んで挑む傾向があった。
腕っ節が強いせいでなんだかんだ解決してしまい、結果的に、リーダーに出世してしまっても、以前、命の関わる仕事は代わってやってしまう。
妙な胸騒ぎを覚えた。
地下中層三階へ降りていくのをチラリと見送り、一階に出る。
降りるなり、喧噪がトリス達を出迎えた。みれば、男女兼用のパンツスタイルのナースウェアを着た男女がせわしなく走り回っていた。
彼らは揃ってサンドカラーの上着をぶらさげる《蟻》達を怒鳴り、ひきずり、担架に乗せて運ぶ。
なかには、やはり「まだ働ける」と抵抗する《蟻》がいて、そうした困った患者とナースウェアの男女が大喧嘩していた。
基本的に管理センターのみで働くチームには、制服が存在する。
ナースウェアと黄の腕章は、治療チームの特徴だ。
強情な《蟻》に手間取る治療チーム職員がいるそばに、他の職員と違った服を着た女性が立ち寄った。
独りだけ丈の長い長袖ワンピースに袖なしの白いエプロン、おそろいの黄の腕章。治療チームのリーダー、サラである。
軽傷者はその場で手当、重傷者は治療室に運ぶため、次々エレベーターに担ぎ込まれていく。凄まじい勢いはさながら豚の出荷作業だ。
「何をごちゃごちゃ止まってるの? 《ナナカマドの太鼓打ち》と《ブルートレイン》との遭遇者は強制的に入院だよ」
「それが……興奮状態で、言うことをきいてくれないんです」
困り果てる治療チーム職員に、サラはきりりと眉をつり上げて一喝した。
「言うこときかない? こちとら治療チームだ、命を保護するさかいの見定めはこっちに委ねられてんだよ。あたしらが治療室行きっていったら治療室行き。問答無用で連れて行け」
滑舌よく言い切られる命令に、《蟻》のほうが文句を言おうと口を開く。
そのくちに、先ほどまで困っていた治療チーム職員が清潔なタオルを突っ込む。
「はい、わかりました! すぐ安全で清潔な場所に運びます!」
異能の影響が抜けきっていない《蟻》をベルトで担架に拘束し、治療チーム職員はエレベーターに入っていく。
サラはそれに満足げに頷いて、まだ残っている面々を見渡した。
「あんたたち、まだ親にウェットティッシュでケツの穴拭いてもらってるタイプかい!? 悩んでないでキリキリ動きな、今はあんた達が血穴ふさぐんだよバカタレッ!!」
「はいッ、すみません看護長!」
「あとひといきで重傷者の運び込みは終了だ、きばって治療室にぶち込みな!」
「はいッ、看護長!!」
連れ去られる患者がいなくなるたび、わずかな炭の匂いが残る。
《ナナカマドの太鼓打ち》の被害に遭った職員の肉が焼けた匂いだ。
トリスはどうしても気になって、サラに呼びかけた。
「サラ看護長。どうですか、死傷者の数は」
「流石に何人かヒールストックが逝ったね。悔しいのは変わりないが、脱走数にしちゃ軽傷だと前向きに考えるしかないよ。よく戦った」
サラの面持ちは芳しくない。
死傷者が出ざるを得ないことと、それを受け入れてしまうかは別の話だ。
「逆に、《蟻》どもは元気なもんさ。やんちゃ過ぎて手がかかる。飛び出そうとしやがるから、お手当してるとこだ。ナナカマドのせいではらわたから出火したまんま鎮圧したってえのに、どっからあんなちからがでるんだか」
サラは親指で、これから運ばれる運命にある患者達をさす。
《蟻》達と、かろうじて生き残ったヒールストック達、応援にきた収容チームメンバーらだ。ほとんどが素直に従うなか、《蟻》だけが抵抗している。
そのなかの一組のうち、抗う《蟻》にしびれを切らした治療チーム職員が拳銃を取り出す。そして《蟻》がギョッとするまもなく、迷い無く撃った。
「オラァッ! 健やかにおやすみだぜッ!」
「うわああ!? 顔の横に撃つやつがあるか!? 耳がイカれる!」
「撃たなきゃ警告にならねえだろうが! 変なとこに撃って流れ弾なんて本末転倒だし! 次はその綺麗な耳たぶを吹っ飛ばすぞ!」
同様のやりとりがあちこちで起こっている。
治療のためなら手段を選ばないのが治療チームだ。
サラの教育を立派に受けた職員達は、《蟻》達に勝るとも劣らぬ真面目ぶりなのである。
治療チームの職員のセリフだけでも異様な覇気があり、鼓膜に刺さってくる。
「暴れて嫌がるから、まず暴れられないようにする必要があんだよ……わかんだろ」
「傷のある状態で出歩けば更なる出血と病原菌の侵入の恐れがある。こうすれば清潔に完璧に治療できる。パーフェクト。実にパーフェクト」
「お手当パンチ! お手当ボディブロー!」
「は? 怪我してない? いいですよ。認めます。では少し服をめくっていただいても? できない? ほら怪我してるじゃないですか。なんで嘘つくんですか? 悲しいです」
「抵抗するな。私達の手にかかったからには明日の朝日を拝めるものと思え」
強引な会話に額を抑えるも、ひとまず胸をなでおろす。今みつかったメンバーは無事助かるはずだ。
「ありがとう。引き続きお願いします。僕は他の場所に向かうので」
中央層一階の通路にイデ達を探しに行こうと身を翻す。
「トリスの坊ちゃん。ちょいとお待ち」
「なんですか、サラさん」
振り向くと、憂うように下げた八の字眉を厳めしく寄せるという、複雑な表情をしたサラがトリスを見つめていた。
「うちの患者、いじめるんじゃないよ」
「…………」
「あと、あんたも無理しないで。たまにはカウンセリングにでもいきな」
「善処します」
トリスは話を意図的に早く切り上げて、治療チーム達から離れた。
通信機器とにらめっこして、イデ達が通れるだろう道にあてをつける。
後ろからダヴィデが静かな表情で着いてくる。頭のなかでは、あちこちにいる死者に新しい命令を出している真っ最中なのだ。
ダヴィデの最初の大仕事である。
それが終わる前に、目当ての人影が見つかった。
しかし、今度は数がひとつ多い。真っ直ぐストレートな金髪と、メガネをかけた神経質そうな少女が加わっている。
近づいた途端、真上で金属が軋む。
首が痛くなるほど見上げた。見えづらい視界で、八つの鉄脚と逆さまになったビクトリアの金髪が揺れる。
ビィが震えた声で名前を呼ぶ。
「……く、クリスティナ……」
彼女の言葉は、恐怖に震えていた。