第十六話「地下中央層三階」
トリス、ビィ、ダヴィデの三名は、イデ達と合流すべく地下中央層三階に登ってきていた。
移動にはエレベーターを利用した。
緊急事態のため、生体認証を用いた直通こそおこなわなかったが、人目を避ける気苦労もなく快適な到着であった。
「ひとまずダヴィデくんは仕事のために連れ出したっていってある。中央層一階まではこのままいこう」
「ぼくはどうしようか。いずれは脱走しなくちゃいけないわけでしょう?」
ダヴィデはエレベーターと収容室の廊下を物珍しげに眺めていた。
はりついた薄ら笑みで、トリスに対して無邪気な弟のように智恵を請う。
「その話か。ちょうどいい。僕から切りだそうと思っていたところだ」
「おや。なら僕はどうすればよいのかな? これかい?」
ダヴィデは自身の収容室からもちだしたトランクを持ち上げた。
トランクには大きな瓶が三つ入っている。瓶の中身は粘性の強いピンク色の液体だ。
メチェナーデ家のネクロマンシーで使われる『粘菌』である。
ゾンビ達の指揮者に位置する特別固体であるダヴィデは、道具がなくとて、毎日少量の粘液を生成する。
この粘液が死体に入ると、粘液内に存在する目に見えないほど小さな使い魔が脳までのぼっていく。
脳まで達した使い魔は魔力によって脳を『巣』として、増殖をはじめる。ともに電流を発生させ、死者の肉体を指揮者の望む通りに操るのだ。
人間が当主であった頃は長い時間をかけて行われた準備も、人間らしい脆弱な精神を持ち合わせないダヴィデなら、さほど時間をかけずに支配に移れる。
「そちらはおいおい。まずは、ちょっと君の頭をいじくらせてもらいたい」
「へえ、そう。うん。必要なことなら、構わないよ」
「内容も聞かずに!? 超ウケる」
あっさり受け入れるダヴィデの代わりに、天井のビィが指摘する。
トリスは胸の前に手をかざし、緑の炎をまとう《エメラルド・タブレット》を出現させた。
「君には色々と動いてもらわないといけないから。僕の異能で君の『認識の幅』を広げる」
「トリスちゃん、そんなこともできんの? あれ、認識誤認の異能じゃあなかった?」
「おかしくはないはずだよ。誤認ってことは、認識する能力をいじくるともいえる」
トリスが指を鳴らすと炎がダヴィデを囲む。
熱量のない炎は不規則に揺らめき、ダヴィデの青い瞳に映り込む。
「異能が精神をもとに作られ、精神が知性から育まれるものであるのなら、彼という異常存在の性質に手を加えるのも不可能じゃあない。人に向けるには危険過ぎるけれどね。そも、この本と炎という形じたい、異能をこまやかに操作するための制御だし」
人ひとりぶんの大きさの炎はしばらくダヴィデを周りをうろつき続けた。
はたからみればウィル・オ・ウィスプのように漂うだけ。
トリスが本を閉じると炎もかき消えた。ダヴィデはぱちぱちとまばたきをする。
「これでよし」
「……なにか変わったのかな?」
「君は死体を遠距離で操れる。魔力を用い、粘菌を通じて死者達に指示を出す。本来はそういう限定的なネットワークを構築しているところに、別のアンテナを加えておいた」
「別の?」
「アンヘル姉弟だ」
トリスが顎をひき、前方を見据える。
空気を読んでダヴィデとビィも黙れば、まもなく悲鳴が聞こえてきた。
かすれた悲鳴は血が滲むよう。何度も叫んで枯れきった喉から抑えきれずに発せられる恐怖の雄叫びは涙ぐんでもいた。
トリスは「あっちだね」と進む方向を定めた。悲鳴のしたほうである。
「アンヘル。僕は面識ない子達だね。神降ろしなんだっけ? テレパシー能力があるとか」
「君が自発的に脱走を企むとは考えにくい。強力な精神感応の性質をもつカミッロなら、いずれあちらからアクセスをしかけてくるだろう」
早足で目的地の廊下に近づくにつれ、すぐにそれとわかる悪臭が鼻をつく。
もうすっかり彼らには慣れた匂い。鉄だ。
またも悲鳴が聞こえる。先ほど悲鳴をあげた男が、また駄々っ子のように泣きわめいていた。
陰惨な光景を想像させる要素のなかに、場違いなハーモニーが混ざっていた。
さかんに鳴るタンバリンの音に具体的な曲名を思わせる特徴はない。即興であろう。陽気で軽快なシャンシャンというリズムに合わせ、靴で床を蹴るのが幾つにも重なっていた。
「ここを切り抜けるってわけね」
天井に張り付いているビィは腕を組んで、憂鬱に呟く。
現在は『緊急事態に駆けつけたトリスと、援護のため収容室から出されたダヴィデ』というていでいるから、エレベーターを使える。
一気に地上に行けたのに、あえて中央層二階で止まったのには理由がある。
無論、イデ達と合流するためだ。
イデとトリス達を『侵入者』と誤認させる異能は、トリスのものである。
ゆえにトリス自身は、自分に対する認識を場合に合わせて切り替えられるが、イデ達はそうもいかない。
うまくやって職員から職員証を盗んだとしても、侵入者と思われたままでは、多くの利用者がいるエレベーターには近付けない。
イデ達は廊下を渡り、ひとつひとつ階段をのぼって地上を目指すはずだ。
中央層は危険な収容対象が多い。
上層では、収容物を地上に出さない防衛ラインとして、強い警備員が待ち構えている可能性もある。
イデ達が上層に登る前に、中央層で合流しておきたかった。
そして実際、室長として、現場の職員では手に負えなくなっている箇所に手助けにいかねばならない。
有給中のため、最低限の仕事で済ませるといってもだ。
ダヴィデを出した口実も、嘘ではないと証明しなければ、後々が面倒になる。
この先で発生しているゴタゴタを片付け、信用を勝ち取り証拠を作ったあとで、ダヴィデは離反。トリスもまた『侵入者』に戻って合流する。
「相手が暴れ回るかもしれないね。ビィくんはくれぐれも速やかに壁を這いずり回って。落とされることのないように」
「あーやだやだ。早く地上におりたーい。ちゃちゃっと脱走しましょうよぉ」
不満をぶうたれるも、ビィは息を潜めた。
トリスが前にたってドアを押す。
磨かれたトリスの靴が部屋と部屋の境界線を跨ぐ。ファッションへの配慮に欠けるトリスのため、ミアキとティキが選んだ靴は、ぴちゃりと先端を湿らせる。
いつから産み落とされた血だまりなのか。
むせかえる臭気に、トリスは生理的に眉をひそめる。
その場に先に到着していた職員も含め、誰もがそうしていた。
違うのはダヴィデだけだ。母親の揺り籠に戻された赤子のように、無垢に笑みを深める。
トリス達が入った時、ドアは既に自動ロックがかけられていた。
職員証によって自動的に開閉するドアだ。実質、シャッターによる閉鎖と変わりない。
本来は果てが見えないほど長い廊下を短く区切ったそこには、二種の怪異がいた。
七体の、東洋で古代権力者の墓に埋められたという人形に似た素焼き土器の人形。
一匹の、人を軽く飲み込めるほど巨大な大蛇。
土器人形の名前は《七匹の踊るカナリヤ》。
年齢を偽って炭鉱で働いていた下層民の子ども達から生まれた怪異だ。
採掘中の事故によって閉じ込められ、真綿で首を締め上げるように寄る死に怯え、狂った。
七体のうち一体は古ぼけたタンバリンを手に、しきりに打ち鳴らす。
合わせて残りの六匹がデタラメに踊る。
過去、せめて最期の時ぐらい、楽しく逝こうとあがいた子ども達のように。
それを囲んで、職員達も踊っていた。
《蟻》達も、使い捨て職員も。
ヒールストックが身近に迫る恐怖で、鼻水を垂らして涙しながら。《蟻》達は相変わらず焦りと怒りに満ち満ちた表情で、全身で踊る。
《七匹の踊るカナリヤ》は、その存在の影響力が届く範囲にいる生命体を強制的に踊らせるのだ。
そのすぐそばで巨大な蛇がのたうつ。
神々しささえある黄金の鱗が照明の下できらめいた。
鱗のすきまに職員の血が入り込み、鱗を赤く縁取る。
蛇は縦向きに丸まっておのれの尾を噛み、蒸気自動車の車輪そっくりに回転していた。
トリスは崩れた上着を着直し、蛇をみあげる。
「《真理円環の蛇》か。《ナナカマドの太鼓打ち》といい、地下中央層の収容対象がこんなにも降りてきている。嘆かわしい。地上にいかれるよりマシだけれど」
トリス達の加入に気づいた蛇が、尾を噛んだまま動きを止めた。
尾を噛む牙のあいだにくわえこんでいたヒールストックをぺっと吐き出す。
まぶたのない、大人の顔ほどもある目玉がぎょろぎょろと回っている。
目玉はシャボン液に似た七色に染まっており、絶えず潤んでいた。
吐き捨てられたヒールストックの胴はちぎれ、オモチャよろしく真っ二つだ。
それが、蛇から離れると、上半身と下半身がくっついた。磁石のS極とN極がひかれあうように一体になる。
ヒールストックは「がふ」と血をこぼし、床にしがみつく。
「イヤだ」という一言が音になる前に、彼の繋がったばかりの胴が宙に浮いた。泣きじゃくる男はなすすべ無く、蛇の顎へ飛んで戻った。
奇怪な現象を目撃したダヴィデが、顎に手を添えて、またも食いちぎられる男を指さす。
「うわあ、あれ何?」
「《真理円環の蛇》の特性。あの蛇に殺されると、その死に方を繰り返すんだ。途中で繰り返しが途切れるまで何度でも」
トリスはいつのまにか出現させていた《エメラルド・タブレット》を、踊っていた職員にさしむけた。
「これで踊りは終わり。蛇のほうは……情報強度が高い。まあもう数回死んでもらうか」
《真理円環の蛇》は、バラール国にかすかに残った南米の神話が、ちょっとしたカルト教団によって歪んだ形で膨らみ、怪異として顕れた。
偽物とはいえ、一時は狂信者からの強固な信仰を得た存在だ。彼に注がれた願いの重みは、呆れたことに、少年七人分よりずっしりしている。
言う間にも、踊っていた職人達も順番に飛び、蛇に食い殺された。
「悪いが横暴に行かせてもらう」
トリスの親指が《エメラルド・タブレット》のページに挟まれた。
人によっては不機嫌にみられる、口角の下がった唇が開く。
「河は海へ。火は雲へ。鏡は光を真似、像は影を造る。一は全に内在し、全は一に基づく」
編まれた言葉は呪文。
異能者であり、魔術師でもある彼の有する技能のひとつ。
発動キーワードとともに、血と臓物以外なにもなかったはずの床から、土くれがわいた。
土くれはみるみるうちに高く積み上がり、人のカタチになる。
ゴーレムだ。ゴーレム達は踊り終えるやいなや、蛇のもとへ飛んで戻る体達を捕まえ、地面に押さえこむ。
最初の数十秒は浮き上がろうとした体だったが、ゴーレム達が抑え続けると、沈黙した。
繰り返される死の因果の輪が断ち切られたのを見届け、トリスは新しいページにうつる。
「上位者の座に善を満たせよ。魂の根に智の雨を降らせよ」
前提知識の無いものが聞けば、戯言のように並ぶ言葉に、蛇が鎌首をもたげた。
トリスめがけて大顎をあけ、長い牙を見せつける。
襲いかかろうとして、動きが止まった。
その目玉がおのが顎をみる。
真っ赤にそまった口腔に、ぎゅうぎゅうに死体と骨が詰まっていた。
呪文のあいだに食われて死んだヒールストック達たちだ。白眼をむき、我が身をえぐり、蛇のあぎとが閉じるのを塞ぐ。
トリスの数歩うしろで、ダヴィデがにっこり微笑む。
「照応し、笛吹きのもとに下方から木を登れ。一は全に内在し、全は一に基づく」
トリスが呪文を唱え終えた。
瞬間だった。
太陽かとみまがう光球が蛇をのむ。
勿論、正気に戻れば太陽にしてはあまりにささやかな緑炎の玉は、しかし、思うまま生死を貪り食う蛇を即座に燃やし尽くす。
音無く盛る豪炎がやめば、残っているのは、一枚の黄金の鱗のみだった。
「……終わりました?」
職員のひとりが、恐る恐る問う。
トリスは無言で頷いた。
指を指揮棒をふるようにふるのに応じ、ゴーレム達が傷ついた職員を抱え上げた。
「君達は重傷。因果を切ってから削ったから、蘇ってからまた殺されることはない。かといって、傷が癒えるわけでもないから、早く治療チームに行きなさい。運ばせよう」
ゴーレム達は主人に応じ、職員を抱えて廊下を出る。
ほっとしたように安らぐ職員もいれば、「まだ戦える」と暴れて吠える《蟻》もいた。
どちらも平等にゴーレムは連れ出す。
嫌がる《蟻》もそのうち観念して、自ら治療チームへ連れて行くようゴーレムに命じるだろう。
職員達がいなくなってから、ダヴィデはトリスの袖を引いた。
興味津々といった表情をつくり、消えていく《エメラルド・タブレット》を目で追う。
「今のはどうやったの?」
「ん。まあ、君には色々働いてもらうし。礼儀として教えてもいいか」
重要な武器といえる異能を明かすのには、言外に『対策のうちようもないし』と含まれている。
トリスは死体を片付けるゴーレムに鱗を託しながら、できるだけ簡単に説明した。
「エメラルド・タブレット――僕の異能でなく、書籍のほうね。本では、超意訳すると、人は皆、神であるとされる。悪意や悲観といったマイナスのエネルギーのせいで、その神性を包んでしまっている状態」
「じゃあ僕も神様なのかな」
「強い祈りをもとに、確固たる信念によって形作った神秘という意味では、八百万的にじゅうぶんそういえるじゃあないか?」
適当に肯定からは、真剣か冗談かわからない。
「ちなみに僕は人並みにカバラを履修している。カバラでは魂は個体の記憶の集合体とされる。なので、僕らは魂は精神の核であり、精神の核は記録の集合から成ると仮定している。今やったのはそういうこと。あれを構築していた『記録』を吹っ飛ばした」
説明を聞いたダヴィデは、道具特有のロジカルシンキングから、トリスの説明を素早く正しく理解した。
ついで、『情報を構築して作られた存在』として、渋い顔をする。
「……君の異能って、実はものすごく危険?」
「使い勝手悪いよ。情報生命なら、《無意識の海》にあれを構築させるに至った情報が残っているし、核を残せばそのうち戻ってくるけれど、人相手だと情報強度が低すぎて人格ごと霧散して廃人になる」
逆に言えば、消してしまうだけなら、わりあいいつでもできるということだ。
「僕、君には逆らわないようにしようかなあ」
「今日はそうしてくれないと困るよ。本当。困るからね」
わざとらしく肩をすくめるダヴィデに、トリスはじろりと睨んで念押しした。
「ともあれ、これでこの廊下は勧めるね。急ごう。ここを抜け次第、ダヴィデくんには僕を裏切ってもらうぞ。そして張り切ってイデくん達と合流だ」