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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第一章 誰しも頭のなかに
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第十一話「人の地獄は柘榴色」


 ネヴィー・ゾルズィは、人間が好きだ。その中にしまわれた真っ赤なモノが好きだ。

 胃袋に落とされるべき血肉の赤ではない。

 ネヴの言う「ヒトのアカ」は、彼女自身にしか見えないモノだ。

 神隠しに遭い、帰ってきた少女だけに見えるモノだ。


 ネヴは()る。

 人の中身は、熟れてはじけかけの柘榴(ざくろ)に似ている。

 まるまると艶めいて、いつ零れて大地に落ちようかと待っている。

 人間は、そうした無数の小粒の果実が詰まっているのだ。


 それを人はユメともいう。ヨクともいう。

 普段は抑え込まれ、実りかける寸前まで育てられ、はちきれんばかりの果実たちは、思わず手を伸ばしたくなるほど蠱惑的だ。

 誰しも頭のなかに秘めている、小さな地獄だ。

 知らず知らずのうちに、ネヴは一度だけちろりと舌を覗かせて下唇を濡らす。


「貴方の中身も視てるのよ」


 ネヴの黒い瞳が狼の姿をかたどった獣を捉える。

 黒い鞘の長脇差が引き抜かれ、闇夜の中に白銀が現れる。月光を写す刀身たるや。形なきものまでも切り落とすかの如く、鋭い。

 それは見る者を恐れさせる、(まばゆ)さの一種であった。


「視えるとも。獣を構成するヨクとユメの境界線。数多の願望が入り混じる神秘とオカルティズムの結合物。私こそは星の二十七通りの分解に長けるもの。貴方は井宿(せいしゅく)のものである」


 未熟な果実だ。

 実っていないのに、落ちてしまった実。形ばかりが大きくて、果汁は酸っぱく、みすぼらしい。くすんだ粒は真紅には程遠く。

 可愛らしいといえば可愛らしかった。


「ヒトの中身は汚くて綺麗。みな同じ。されど現世(うつしよ)にまろびでた怪物を(ほど)いてしまうのが私の仕事だから」


 ネヴは呼びかける。

 夜に浮かぶ白い頬が、薄く紅潮していた。

 熟れきらない果実(けもの)が吠える。


 砕けた意識でも黒い眼と白い刃をとらえたか。その本当の意味を理解したか。

 目の前にいるものの語りが、己への死刑宣告であると。


 鼓膜が破れそうな吠え声を聞き届け、相対するネヴは腰を落とす。

 しばっていない髪が落ちて、頬を撫ぜていった。ヴェールを垂らすように少女のまなこが隠される。


「獣、獣、獣。人を食い殺した獣。人を食ったけだものは殺してしまわねばならない。さもなくば、くちわをはめて閉じ込めて、暴れる四肢をおさえなきゃ」


 詩的なお伽噺を口ずさむように、ネヴは歌う。

 歌は己への与える自己暗示と免罪符であると、獣は知るまい。

 最期の反撃に足を勇ませて、少女の口元がかすかにほころぶことに気づくまい。


「ああ、いけない。いけないことなのだけれど――獣なのだから、よろしいでしょう――」


 きっとそれは彼女(けだもの)自身にもわからない。

 闇夜に白刃が舞う。純真無垢な輝きが閃く。

 あやまちなき仁義の一閃。

 獣を断つ刀にあるのは、隠れた欲を暴いて散らす喜びの一撃であった。


 振りかざされた爪の間を、ネヴは軽く首を傾けて避けた。

 瞬く間に潜り込む。かたむけられた刃は風に吹かれる花の如く、とらえどころがない。不思議とたおやかな剣筋が獣に吸い込まれていく。

 そっと食い込んだ切っ先は、獣の肉を裂きはしない。

 代わりに裂くのは、獣を生んだ妄執たち。



       ―執着――憧れ――嫉妬――

  ――羨望――プライド―――――

                 ―恐怖――


    

 ばらばらに。明確に。つかず離れず複雑に重なり合って、カレイドスコープのような有様になっていた構成物を。

 懇切丁寧、慈悲深く。ひとつひとつ舐って切り捨てて味わい尽くして両断して。


「混全一体・無境、この世ならざるあやしのものを霧の如く斬り散らす邪法なり――せめてもの餞別です、痛みも苦しみもない完全な無の幸福に浸りなさい」

「ォ、オオ、」


 消えゆく我が身を悟って、狼は弱々しく鳴く。怒りと混乱でなく、困惑と寂しさに満ちた細い声で。

 かつて人の形をしていた自分自身を、死の寸前でようやく思い出したように。

 不完全なる巨狼の獣、ルーカス・ルグレは、消失した。



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