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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第五章 ゾア・スタンピード
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第十五話「《骨細工師》」


 ヴァンニは警棒を《骨細工師》の顎骨にひっかける。

 警棒は肉のない喉を滑り、腕を胸の上なかばに届くまでつっこむ。

 《骨細工師》の犬の頭部が、異物を食いちぎってやろうと閉じた。

 杭を飲むように入れ込んだ警棒のせいで、完全にしまらない。

 だが門歯はヴァンニの二の腕を()み、長い犬歯の先端が一の腕に埋まる。


「いいぜ。どうせ感染症にはならないからさ」


 動けない《骨細工師》はヴァンニの腕を母の乳房を吸う子猫のようにあぐあぐしゃぶる。

 田舎町で流行った、下世話に面白おかしいだけの小ぶりな怪談では、怪異としての情報密度が低い。

 知能はそれこそ犬並みだ。

決まったルーティーン、彼にとっての本能に従って行動する。

近くにいる仕留められそうな動物を殺し、肉を剥がし、骨を抜いて雑貨や家具へ加工。


「場所さえわかればこっちのもんだ」


 ヴァンニはニタリと笑う。

 己の片腕をくわえさせたまま、握り拳で《骨細工師》の横っ面を殴る。

 生きている人間の肉に歯がより深くしずみ、熱い血をこぼす。

 構わず、愚直に殴り続ける。


 《骨細工師》がむやみに振り回した両腕がヴァンニの脇腹にあたった。

 抵抗する刃がギコギコと動く。

 引き締まった腹筋の奥には腸が詰まっていて、このままいけばウィンナーの皮よろしくまろびでてくるハメになる。


「ハァイ、ワンちゃん」


 ヴァンニはちっとも手を緩めない。

 無理に腕を引き抜いても、かえって栓を抜かれたボトルのように傷口が開く。《骨細工師》が再び完全な闇に消えるよりマシだ。

 死なないヴァンニにとっては、ただの時間の無駄である。


いたずらっ子(ブルローネ)がッ! おれの《蟻》に遊んでッ! 貰えてッ! よかったなあッ?」


 一区切りずつ覇気を込発する。

 犬の頭部にヒビが入った。メトロノームの如くリズミカルに絶え間なく、拳骨を振り下ろす。

 満足のいく手応えがあった。ヴァンニの硬いにぎり拳で、砕ける卵のようなわれがはいっていくのがわかる。

 ヴァンニにとっては慣れた感覚だ。


「うら、やま、しい、ぜッ!」


 犬の頭部が完全に砕けた。

 舌のない喉奥からきたキュゥンと胸をしめつける断末魔を最後に、《骨細工師》の全身が脱力した。


 《骨細工師》は頭部を破壊すると、一度動作を停止する。

 ただし、あくまで噂という方法で形をえ、複数人の無意識から生まれた存在である以上、消滅には条件がある。

 噂の完全な消滅か、適切な方法を発見して処理を行うか。

 《骨細工師》は頭部を破壊されると一定時間を置いてから再生する。その間に残った体を収容室に運べば、再収容は完了だ。


「ふー……」


 自分自身の血液がはねかえった前髪をかきあげる。

 ヴァンニは紐を手錠をもち、手探りで《骨細工師》を拘束する。

 次は、闇のなかで遊んでいる《影胞子》達とかくれんぼに勝たねばならない。

 しかし、みっともなく両腕をつきだして徘徊するようなことはせずに済んだ。

 二分もたたないうちに、闇のとばりがとりはらわれ、闇がすぼんでいったからだ。

 八体まで分裂していた《影法師》達は、最初の子どもサイズにまで戻って棒立ちで揺れていた。

 遊んでもらって満足したらしい。

 先んじて指示を受けた《蟻》達が、申し訳なさそうに縮こまって、《影胞子》達をおもいおもいの体勢で捕まえている。


 何人か新しい顔も追加されていた。

 仲間の死を感じ取って様子見と報告に来たのだろう。


 《影胞子》から離れない《蟻》には、肩に手を添えるものあり、後ろから抱きしめるような格好になっているものあり。

 全員、首や足の部位から激しい出血をした痕跡があった。

 《軍隊蟻》の異能のおかげで傷跡は塞がっているものの、眉間の皺は深い。興奮が去り、脳と血流の酷使による頭痛に悩まされているのだ。


「あーあー。もー。皆結構やんちゃされちゃって」


 闇のなかで襲撃されてしまった部下達の姿に、ヴァンニはケラケラ笑う。

 ヴァンニの足下、先ほどまで倒れていた《蟻》マウキスとバルトロメ、死んでいたタカハシがのそのそと起き上がる。

 《蟻》マキウスは激しい頭痛と情けなさによる渋面をはりつけて、弱々しく謝った。


「すみません、ヴァンニさん……」

「いいよいいよ。結果まるっとよければ全てよしってね。一体だったら問題なく処理できてたって。組み合わせが悪かった」


 彼らの重い反省を軽く受け流して、ヴァンニは携帯端末を片手で操る。

 赤い点はまだ依然として多い。

 しかし、その内容は重ならず、こくこくと変わっていた。


「でもって当然、ぜんぶがぜんぶ、警備チームとして恥辱を晒してるってわけじゃあないんでしょ?」


 脱走数が変わっていない。そして、内容が違うというのは、ここにはいない警備員達が次々脱走対象を元の場所へ押し戻していることを意味している。

 ヴァンニの確認に、《蟻》達は針金が通したかのように背筋をのばす。


「《トビウオ猫》は鎮圧完了しました! 現在、地上層から応援にきた探索チームに移動を任せてあります」

「《ナナカマドの太鼓打ち》の鎮圧、完了しました。重度の怪我人は治療チームに引き渡し、我々の手で収容室に」

「《自律式直進沼》の鎮圧、完了です。怪我人はなし。朝飯前に片付けてやりましたよ」


 ヴァンニはうんうんと報告を聞き入れた。

 運悪く逃げられたが、《蟻》は無能ではない。

 きちんと働いている。鎮圧、再収容と「追いつき追い越せ」の勢いで脱走が発生しているのだ。


「なんでこんなに脱走するんだ?」

「《蟻》が《鍵開け妖精》の脱走を発見しました。地下下層一階F通路を全て空室にし、《鍵開け妖精》の収容には手間を割いていましたが……プロトコル完成の前に脱走されて。こんなことに」

「発見した《鍵開け妖精》は?」

「捕獲には至っていません。小さい上に早い。かろうじて追跡は続行しています。Aチームに対し、優先して隔離すべき脱走対象をかたづけ次第応援に来るよう要請しました」

「ん。いいよ、それで」


 《蟻》達の報告と推測を頭のなかでまとめる。

 ヴァンニは取り逃した脱走者達のうちひとりに心当たりがあった。

 あの胃液がせりあがる正確な攻撃は、先輩職員のアルフのそれだった。

 見た目は全く違う人物に思える。目と頭がそう認識している。

 だがいざどう違うのか思い出そうとすると、像がうまくまとまらない。


「うーん。試しに連絡してみるか」

 

 ヴァンニは携帯端末を操作する。

 連絡先は上司であり、現在有給をとって友人候補を案内中だというトリスである。

 通話はすぐに繋がった。


「警備員Bチーム、ヴァンニでーす。休暇中ごめんね~」

『いいよ。急用……だろうね。アラームは僕にも聞こえた』


 いちから説明するまでもなく、トリスは要件を読み取る。


「話が早い。でも要件は脱走じゃあないんだ。侵入者を発見した」


 ヴァンニはスピーカー越しにトリスの様子をうかがう。

 正面から接しても、責任感の強さから表情がかたい彼は、普段から反応が控えめだ。


「トリスちゃん、今どこ?」

『地下下層二階、左通路Bライン。ダヴィデの収容室』


 短く帰ってくる位置情報。

 トリスはすぐ近くにいた。偶然か、はたまた。

 ヴァンニもトリスの異能は知っている。他人の認識を狂わすことが可能な異能。

 わざわざ疑わせるような情報を素直に明かせるのは、ヴァンニの勘がまとはずれという意味なのか。


「わあ、おれもすぐ近くだよ。なんでそんなところに?」

「脱走のお誘いをしに来てる」


 思わず乾いた引き笑いがもれる。

 淡々とした口調は冗談に聞こえない。かといって、トリスとてまだ若者だ。意外と真顔でふざけるユーモアぐらい持ち合わせてもいる。たいていタイミングが悪いだけで。

 普段ならかわいげのある性格も、今は真実を覆い隠すようで、やりづらい。


「君、たまに笑いづらい冗談いうよね。個人的に気になることでも?」

『さほど個人的な用でもないが。この後死体が出るならば、使いようがあるでしょ。仕事の相談だよ』

「成程ね」


 大型の脱走が続けば、死傷者も増える。

 トリスは前任の管理室長と比べれば、圧倒的に職員に優しい。

 前任は獣憑き達を社会のゴミとみなし、犠牲も構わず働かせた。社会に巣くう癌細胞なのだから、消え去るのは当然である、と。

 犠牲を払い、大きな成果を次々あげるタイプだった。


 前任室長の死後に就任したトリスは、逆に、プラスの増加よりマイナスの削減を重要視するタイプだ。

 長期的な成果を見越し、きっちり人材を育て、将来的に安定した実績をだすのが彼の目標だった。


 だが、今はまだ整いきっていない。

 人を育てるには時間がかかる。育った人材は優秀な成果を残すが、それなりの数が育つ前に死んでしまっては「前のほうがよかった」といわれかねない。

 そのために、優先的に(、、、、)死ぬべき人材(、、、、、、)も定められている。


 まずは蘇る《蟻》で済むよう努力しても、限界はある。

 人材育成のさなか、「どうしようもない」と判断されたものは、危険な現場に駆り出される役目に置かれる。

 ヒールストックと仮称される彼らは、悪質な暴言・虚言が酷く、協調性がない。


 職場環境と精神状態は、能力に大きな影響をおよぼす。

 暴言を受けたものは実力の半分も発揮できず、直接被害者とならずとも、その場にいるだけでも能率が落ちるという。

 ANFAでは、それはそのまま生存率の低下に繋がる。


 数が増えるほど、下がった効率のせいでとりおとす『利』は多い。

 より多くを未来に生き残らせ、強く実らせようとするトリスにとって、望ましくない存在だ。

 この後は、ヒールストック達の死体が増えてくる。

 ダヴィデのネクロマンシーなら、うまく死体を活用できる。ダヴィデは会話の成立する異常存在だ。

 話の筋はまあまあ通っているように思えた。


『話が逸れた。侵入者とは?』

「見慣れぬ不審な人間が三人。脱走対象のビクトリアとアンヘル姉弟と行動中。うちビクトリアと一人は右通路に逃走。《蟻》が追ってる。アンヘル姉弟は傍観。残る二人とは交戦中だった」

『だった?』

「逃げられちゃった」


 三人は勿論、アンヘル姉弟もいつの間にか姿を消していた。

 弟のカミッロは人とは違う感覚器官をもつため、視界が闇だろうが関係なく移動できてもおかしくない。

 大男とアルフはどう移動したのか。大男は外部の異能者か。それにしては反応が平凡だった。ここで町なら、一般市民として守ってやらねばならない気がするような驚き方だった。


『要件は』

「侵入者の報告はどう扱えばいい? 脱走と鎮圧がさ、まだ程度は小さいんだが、なにせ数が多い」

『原因はわかっている? 根本から解決しないような事態なら、いま出ている怪物達を取り押さえても意味が無い。イタチゴッコは避けるべきだ』

「一応、原因らしき鍵開け妖精はうちのが発見した」

『捕獲は』

「すばしっこい。おれらじゃ無理。どこにいるか観測しつづけるのが精一杯だね。凶悪な異常存在を相手取ってたAチームの手が空き次第、空間遮断可能な奴にすぐ来てもらうつもり」


 うてば響くように報告を重ねていく。

 トリスはひといきおいて、続きを促した。


『そうか。では先に君の意見も聞きたい。侵入者についてどう思う?』

「大脱走と合致しすぎたタイミングでの登場は怪しいなあ。でも敵意ってもんが感じられなくてさ」


 思い出すのは、《骨細工師》を仕留めた時のことだ。

 あれは、どう考えても大男が《骨細工師》を羽交い締めにして止めていた。

 ヴァンニを助ける行動。大男にとってなんの益にもならない行為。

 闇をすすむ技術があったのに、ヴァンニに追撃もせず、彼らは逃げていった。


「敵対組織の侵入にしちゃあバランスが変。ひとりは手練れ、ひとりは下層出身の素人ってこかな。気がかりなのは同行している脱走者どもだが。ぶっちゃけこっちから仕掛けなきゃ直接的な被害はでない気がする」

『わかった。時間の無駄だね。侵入者については管理室に報告、情報を共有。だが手出しするな』

「見逃すってこと?」

『いや。静かな《蟻》を選んで、バレずに追跡させて。奇襲はしなくていい』


 ヴァンニは振り返る。《蟻》達が息をのんで会話の行く末を見守っていた。

 何年はたらいても、どこか初々しい部下達の表情がいじらしい。ヴァンニは頭をがりがりとかく。


「隠密行動? おーけい。下手に人員を割くより、鎮圧に集中した方がいいか」

『被害を出さないうちは捨て置いて。右通路にいったやからも、最後は合流するはずだ。目的と侵入経路は気になる。無理のない範囲までついていって観察、情報収集を。得た情報はこまめに君に連絡させて。聞いてからの判断は任せる。死傷者の出うる鎮圧を優先』

「了解!」


 通話を切る。

 トリスの指示はまっとうだ。

 警備チームの目標は損害を減らし、災害を外界に解き放たないこと。

被害を出す気が無い侵入者より、牙をむく害獣だ。

わからない侵入者達の目的を恐れて手間をさくには、害獣たちの爪はあまりに鋭い。

ヴァンニは待機していた《蟻》のひとりを呼ぶ。


「タカハシ」

「はい」


 呼ばれた《蟻》は、静かに一歩前に出る。

 《蟻》タカハシは東洋人とのハーフで、他の男と比べると肉付きが悪かった。

 一方、胆力には目を見張るものがあり、復活するとはいえショックの大きい『自死』を行ってもケロリとしていた。

 《蟻》としての感情の流入と暴走がないタカハシは、常に落ち着いた青年だ。


「おまえは早々に交代要員で死んだおかげで、感情の蓄積が浅い。オーバードーズも起きてないだろう」

「では僕が追跡しますか?」


 薄い唇からはささやかに動く。興奮はすっかり抜け、本来の柳のような面持ちを取り戻している。


「ああ。ブチぎれられたら困るから、《蟻》のネットワークから一時的に切り離す。殺されたらそのまま死ぬ。もしピンチになったらワンコールでいいから連絡いれろ。繋ぎ直してやる」

「ありがとうございます。できるだけ、低燃費で済むよう努力します」

「よし。他の奴らは管理室のオペレーターに連絡。各自鎮圧に迎え!」


 頭痛が治まってきた《蟻》達が、地下じゅうに散る。

 残った《蟻》タカハシは、こっそりとヴァンニに質問する。


「よろしいんですか?」

「なにが」

「本当に、追いかけるだけで」

「ああ。トリスがいうんだから、大丈夫。被害がでようと、あいつが判断した以上、最終的にそれがベターってことだ。だがまずおれ達がきっちり仕事をこなすのが大前提。巣を這い回る作業に戻ろうぜ」


 ヴァンニが肩を叩けば、《蟻》タカハシは頷いて、侵入者達の追っ手に向かった。

 最後に真面目な部下達に激励を投げかけて、ヴァンニはほくそ笑む。


「そう。おれはおれの仕事ができれば、それでいいのさ」

 

 ヴァンニ・スリーニは、警備員という仕事を天職だと思っている。

 彼は食うに困らない中流に生まれ、勝ち気な母と陽気な父、のんびりやの妹とともに育った。

 ありがちな虐待やすれ違いといった問題がなにひとつない家庭だった。当たり前に喧嘩して、仲直りできる健全な家だ。


 獣憑きであっても、彼にはまともなキャリアがあり、その気になれば一般企業にも就職できた。

 あえてスカウトを受け、ANFAの警備員になったのはひとえに、好条件だったからだ。


 ヴァンニは生まれつき人を殴るのが好きだった。

 釣り好きな人間がいて、話し好きな人間がいるように、理由なく趣味として好きだった。

 罵られずに快活に生きてきたのは、暴力は疎まれると理解していた以外に理由がない。

 疎まれるのは面倒だ。何より愛する家族に迷惑がかかる。


 かといって、単に『変わった趣味』をもって生まれただけで、好きなこともできずに一生我慢して生きるのもまっぴらごめんだったのである。

 危険な現場の警備員ならいくら殴っても怒られない。

 痛めつけられるのはわりと不快じゃなかった。

 給料もいい。しかもANFAの職員は表向き、国内有数の大会社である鉄道業の職員を名乗れる。

 大会社の警備員といえば家族も心配しない。


 ヴァンニは管理室に繋ぐことなく、通信機器をしまう。

 彼にとって大事なのは、真実と正義ではない。

 人に迷惑をかけず、楽しく生きる。人生なんてそれさえできれば上等なのだ。

 ヴァンニはトリスのことを『知らないこと』にして、鼻歌すら歌い、意気揚々と次の現場へ走り出した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴァンニ氏、やっぱ気付いてたのかー! 意外に冷静だったり、勘が良かったりする部分を見せておいて、でもやっぱり根本がまともじゃないって面白い人だ……!
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