第十一話「ダヴィデ・メチェナーデ」
トリスとビィはダヴィデのいるB07号室に到着した。
長い長い廊下の行き止まりが見える。
ビィは扉に取り付けられた金属板に触れ、ニシシと口角をつりあげた。
「よしゃよしゃ、鍵は機械式だね~。難易度バリ高だろうが、ちゃちゃっと開けちゃうぞ!」
ネジでとめられた板の隙間に脚の先端をねじ込み、強引に外す。
蓋となっていた板の下から複雑に絡み合ったコードと、芸術品のように組み合わさった部品の群れが顔を出す。
収容室の扉は、基本的に機械で施錠されている。
毎週新しい担当表が見回りとデータ採集を担当する各職員に配布され、当日の朝に携帯通信機に解錠用データが送信される仕組みだ。
収容対象によっては、扉の前についてから管理室に連絡をして遠隔操作で解錠したり、アナログな金属製の鍵だったり。
「室内に入ったら監視カメラのハッキングもしてもらわないと。すまないが、手早くね」
「トリスちゃんの鬼! でもそこをどうにかしちゃうのがアタシなんだな。ほれ」
ハッキングを受け入れたドアが音もなく開く。
二人は素早く入り込み、再び施錠した。
前もって次の仕事を聞いていたビィの行動は早く、鉄の脚を釘のように壁に突き立てて壁を登った。
監視カメラが設置されたすぐ下、天井すれすれまで登攀を終え、壁の一部を破壊する。そして早速監視カメラのハッキングに取りかかり始めた。
管理室が定めた基本緊急マニュアルでは、複数脱走が確認された場合、全通路の監視カメラは一時的に切られる決まりになっている。
『目撃すること』で悪影響が発生する異常存在が脱走していた場合、監視カメラが繋がっている管理室に被害がでる危険があるからだ。
平均タイムを鑑みるに、脱走した異常存在を確認し終え、再び通路監視が再開するまで十分前後。
今後のことを考えれば、今のうちに監視カメラをどうにかしなくては、後々厄介になる。
「先に室内監視カメラは切るの?」
同時に、前述の理由から、問題のない収容室内の監視カメラは切られない。
ダヴィデは、目撃すること自体にはなんの問題もない収容対象だ。監視カメラは生きている。
「大仕事だ。こちらのことは僕がなんとかするから、通路カメラを切って」
「りょ」
ビィは機械をいじくり始める。
彼女に与えられた作業時間は、おおよそ五分。
一度に複数の思考を行える《マルチタスク》という異能をもつビィの処理能力はちょっとした演算器並とはいえ、緊迫した状況だ。
監視カメラに映らないよう手(鉄脚)を蠢かせるビィから視界を落とし、前を向く。
収容室は、収容対象に適した環境に整えられている。
自我を有さないためか従順で、危険性も低いと見なされたダヴィデの部屋は、人から見ても快適な環境に設定されていた。
常に適温になる空調。彼の屋敷から持ち出した効果な調度品の数々。バスルームさえ存在する。
景色は富裕層の有する書庫のようだ。
といっても、ダヴィデには清潔を保つ道具と書棚があればじゅうぶんらしい。
ベッドの使用も確認されているが、あたられた命令に従って、人間らしい生活ルーチンを演じているだけだろう。
その部屋の主は、本を読むための小さなドローリーフテーブルの前で腰掛けていた。
天使のようにニコニコ微笑んで、感情の乗らない青い瞳をトリスに向ける。
目と目があうと、彼は珍客のために立ち上がり、礼儀正しく胸に手をあてた。
「ごきげんよう」
「元気そうだね。ダヴィデくん」
「ええ。ここの職員という人達は僕に理不尽なことをしないし、問題なく過ごさせてもらっているよ」
異様な状況への言及はない。
ここは彼が守るべき領土、彼の故郷ではない。だから何があっても彼の対応すべきものではないのだ。
収容に不満を見せないのもそうだ。
彼は職員の熱心な説明により、自分が領主として不適当であると納得した。
領民のためにならない領主が、おもちゃ箱に片付けられるのは当然だ。
「ならよかった」
管理室長として報告を受ける立場にあるトリスは、知っている。
ダヴィデはデータ採集のために、一度分解されるだの、耐久実験だのはやっているはずだ。これからも必要があれば近しい扱いが発生するだろう。
実験と検査はルールに従い、収容対象の存在を危ぶまない範囲で行われる。
ヒトガタの収容物はだいたいそれに難色を示す。
ダヴィデは変わっている。自我がなく、感情は模倣に過ぎない彼だからだ。嫌みではない。本音である。
「君に相談があって来たんだ。僕の名前はトリス。管理室の室長だ。管理室というのは、この収容室を正しく扱うために職員に指示を与える部署だね」
「僕の検査をする人達の領主?」
「ああ。役目を与え、労働を循環させ、責任を負うものだ」
「成程。なら、ここにおさめられている僕の持主ともいえるのかな」
「そう言うことは可能だが、僕の役目は管理であり、奴隷を作ることではない。今からする相談は組織でなく僕個人の願いだ。聞き入れるかどうか、君自身に権利がある」
「君個人の?」
ダヴィデはわざとらしく顎に手をそえ、悩むそぶりをする。
「どういった相談なのかな。任意で頷けといわれれば、僕は僕自身の基準に従ってしまうよ。もしかしてさほど重要ではないの?」
ダヴィデは言外に、内容によっては頷かない自由があることを不思議がった。
「非常に重要だ」
「そう……でも、あなたは僕の領民ではないし」
「僕はそうだ。だがこれは、結果的に君の領民に関わる話になりうる」
「おや。確認するね。君のいう『僕の領民』とはデイパティウムの住人という意味で合っているのかな?」
「答えはイエス」
大真面目に肯定するトリスに、ダヴィデがかぶっていた温厚な青年の皮が剥げる。
完璧なバランスに設計された微笑は、領主としての沈静したおももちに上書きされた。
「ネヴィー・ゾルズィの暴走が近い」
「ああ。ビクトリア達は僕とおなじく、彼女を止められなかったんだね」
「やはり話は聞いていたか」
ダヴィデは足を組み、優雅な、人によっては尊大ととれる姿勢をとる。
外がにわかに騒がしい。逃げた収容対象が侵入したらしい。
追加でやってきた《蟻》の怒声がうるさい。
怒鳴り声は開戦ののろしでもある。彼らは異常存在と戦うのでいっぱいで、わざわざ鍵のしまっている部屋をあらためるという無駄な労働はすまい。
「職員さん達が忙しそうなのも、関係しているのかな。しかし、それがデイパティウムとどう関係が? 魔眼が精神汚染の性質を得るだけなら、彼女がうちの街に足を踏み入れなければいいだけの話じゃあないか」
ダヴィデはまだわからないようだった。
今居る人間も少なく、やがて残った住民も流れ出るだろう寂れた街を、わざわざ感染先に選ぶ理由がない。
脱走というリスクと違反をおかしてまで、ダヴィデを選んだ説明にはなっていないと指摘した。
「かもしれない。――彼女の異能が、『見ただけ』で済むのなら」
トリスは床に目を落とし、あげる。
「僕はそう思っていない。彼女はこのままだと、ある種の神性を得る」
「……なんだって?」
人形であるはずのダヴィデが驚愕に瞳を震わせる。
彼の脳には、父から与えられた魔術師の知識も詰め込まれている。
トリスの予想は魔術師の常識に反していた。
人が、神になる。
現世の肉をもった生物が、己の存在を超越する。
魔術の始まりの多くは、不滅への到達、人の進化を目指して形作られたものではある。だがそれは探求者が語る最果てであり、未だ実現者のいない空論でもある。
ダヴィデは目の前の男の正気を疑うように眉をひそめる。
トリスは大真面目なしかめ面だった。
「君、僕を騙っている?」
「考えてみてほしい。神――僕らの定義する神――は、《無意識の海》に住まう概念の象徴、情報生命のことだ。あらゆる生命の有する意思、知性がいだく情報がつどい、かたちづくられ、結果的にまとまった巨大『一』だ」
椅子が倒れる。
ダヴィデが急に立ったのだ。椅子をひくこともなく。
慌てたのではない。椅子をひく手間も惜しい危機だとわかってのことだった。
「君もネヴくんの性格は知っているはずだ。ネヴくんの目的はもしかするとそれかもしれない」
「人を救う――無数の人間に『感染』し、情報を大量に蓄積し、巨大に膨らむ。神は《無意識の海》に大量に流入した情報だが、一度成立してしまえば、逆もまた然り」
人間特有の雑多なノイズのないダヴィデは、理解が早かった。
神という存在は、近い例えをあげるなら『常識』だ。一度根付いた常識は、ひとりが忘れ去ったところで消えてなくならない。
おおよそほとんどがもっていて当然な、思考のもとになる。
「神として、《無意識の海》を通じて人類全体へ情報を流し込む。今の人間の意思を、根底から汚染してしまうつもり……なのか? 彼女は……?!」
ダヴィデが理解したトリスの予想は、最悪といっていい。
何故なら、ネヴはもともと『こちら側』の存在だ。
【神降ろし】でさえ、その巨大さから、化身や似通った性質をもつ伝承・怪談の怪物の形で出現する。
だが確固たる本体が、最初からこちらにあるということは――その情報生命としての規模、サイズは、将来的に計り知れない。
なにせ神性本体が、自ら歩き回って、情報を増やし続けるのだから。
それが強力な感染力をともなうのなら、更に悪い。
もしもネヴが神性を獲得した未来。それは思考に対する『感染爆発』という意味になってしまうのだ。