第四話「カミッロ・アンヘル」
「カミッロ!?」
見た目は生白い病弱な少年は、虚ろな目で姉に支えられていた。
姉のベルはその場にあった車椅子をえいこらしょとひき、カミッロを座らせる。
先ほど動揺に声をあげたトリスは、引き続き姉弟に呼びかけた。
「君達、どうしてここに。君達は地下中央層に配置されたはず」
「ちかちゅうそう?」
「地上に行くには階数があり、上からも下からでも、どの位置からでも警備員が駆けつけやすい中間地点。各収容室に妨害装置が配置された、ひときわ監視が厳しい層だよ。どうやって?」
あの村と違わぬすがたかたちのベルは、あの頃のままの動作で小首を傾げた。
閉じ込められていたこどもにしては元気そうである。
「服は汚れていないね。物理的でない、超自然的な脱出かい」
服装もそうだ。収容という言葉から、イデは病院に入院した患者の着る服を想像していた。獣憑きを外に出さないという意味で、精神病院のような像を想像していた。
姉が着ているのはスカート型、弟はズボン型のオーバーオールだ。ここでなければ微笑ましいペアルックだった。
村での衣服とは異なる趣味なので、ANFAからの支給品であろう。
「あー、うん。ちょっと待ってね」
ベルがカミッロのくちもとに耳を寄せる。
カミッロの血色の薄い半開きのくちは動いていなかったが、ベルは「うんうん」と相づちをうつ。
「おっけー。カミッロが説明してあげてっていうから、教えるね! っていっても、あたしはよくわかんないから、カミッロがいうのをそのまんま伝えるよ」
教師にあてられた生徒のように、ベルは行儀良く手をあげる。
「『ルーカス・グルレ』って知ってる?」
「――瞬間移動能力をもった狼男!」
「は? なんでここであいつの名前が出る」
懐かしい名前だ。
事件のはじまり、イデが生まれ育った街で起きた暴走した青年の名前である。
何故か納得して手を打つトリスに説明を求める。
「そうか、イデくんは知らなかったな。アンヘル姉弟の事件ののち、僕達が行った対策内容のこと」
「ああ。あのときはまだそこまで詳しい説明は省いていたからね。ヴェルデラッテ村は被害が大きかったからカバーストーリーを流布したんだよ」
「あんだけ被害がでりゃあ、真実をごまかすのが難しいのはわかる。それとルーカスになんの関係が?」
ルーカスは確かに、巨躯にもかかわらず神出鬼没にどこにでも現れた。
かといって、ルーカスとカミッロにはかけらの繋がりもないではないか。カミッロの災害的な性質に、『他者の異能のコピー』は含まれていない。
それが出来たら事態は更に悪くなったはずだ。
「【神降ろし】であるカミッロの権能を削り取るためにも、彼は正体不明の畏怖すべき神秘でなく、矮小化された現実に近づけなくちゃいけなかった」
「現実に近付ける……」
「ん。【神降ろし】は集まる畏怖と信仰の強度が強まるほど手がつけられなくなるからね」
「つうことは、人を超越した怪物ではなく、対策の打てる現実的な話まで格を落とすってことか? 病気はやべえけど、病原菌を突き止めてワクチンをつくれば、さほどパニックにはならねえ的な」
「そゆこと!」
アルフがイデに情報提供しているあいだに、トリスは顎に指をそえ、顔をしかめた。
いてはならない姉弟がいること、トリスの芳しくない表情。全てが不穏だ。
思えば、ここに脱走者がいるというのに、やけに静かだ。
管理すべき危険物が置かれていない《屋根裏部屋》にしても、足音ひとつない。
「そのカバーストーリーも『狼男』だったんだ」
「!?」
「狼男じたい、狂犬病にかかった人間であるともいわれている。あの魔女裁判を、村中に広がった感染と暴動による自滅に繋げた」
「いや、でも。ルーカス、あいつ結構前に、死んだ……んだろ」
知り合いの死は微妙に言いづらい。
周囲をいぶかしみつつ、まだ結論にたどり着けずモヤモヤを抱えるイデに、ベルが答えた。
「そだよ。カバーストーリーってのせいで、カミッロのほうはテレポートできなくなっちゃった。そーいう意味ではお兄さん達の狙い通りだったね?」
「まだ研究余地があるとして死体を残していたのが、こう利用されるとは思わなかったけどね」
「あはは。お兄さん達も満更バカじゃなかったよー。『同じ場所にいる』縁と『狼男』の繋がりを利用して、一ヶ月近く《無意識の海》と死体に遺った残留思念をありったけかき集めても、ルーカスの瞬間移動の異能は一回分しか得られなかったんだって」
「念入りにハッキングして、一回分。その一回で、ここまで移動してきたのか。僕達のもとまで?」
「ううん。ハズレ。お兄さん達と合流してと頼まれたのはアタリ」
「何? カミッロから僕達のもとへ来たいと望んだのか」
ベルはウンウンと首肯する。
そして子どもらしい細い指で、格納して一枚板になったガラスケースを指さす。
そしてオーバーオールのポケットから薄い板を放り投げた。
「移動自体は別の場所にして、そこからここに徒歩で来たよ。前みたいなスッゴイチカラはなくなっちゃった。でも近くにいる人の気配をつかむのぐらい、超簡単」
トリスの血相が変わる。
投げられた板は掌台の長方形大だった。見た目は透明なのに、ガラスと違って繊細な感触はない。
ガラスより樹脂。コンコンと叩ける素材は、イデの持つケースと同じ素材だ。
「どこかに寄ってからここへ――どこだ? どこから何を取り出した!?」
「カミッロがこれを出してっていったのよ。他になーんにもしまわれてない、変な場所から。もう出しちゃったけど、可愛かったよ! 小さい妖精みたいな子が入ってて」
「げっ!」
遅れてトリスが悲鳴をあげる。
掌大のケースにおさまる妖精型の怪異。記憶が呼び起こされ、イデもじわじわ冷たい汗が噴き出してきた。
イデにも覚えがある。
まだ記憶に新しい事件、あの鏡の迷宮があった屋敷に入るとき、アルフが借りてきた、あの!
「ピッキング・ピクシー……鍵開け妖精! まずい。あいつ、目の前にある鍵ならデジタル・アナログ・オカルトの区別なくなんでも開けるから隔離したのに!」
頭上のスピーカーからけたたましいアラームがまき散らされたのは、その時であった。
職員と思わしきアナウンスが、滑らかな発音で告げる。
『緊急事態。緊急事態。警戒レベル3。地下深層を覗く全階層で脱走が発生しました。警備員は至急、各オペレーターの指示を受け、近辺の対応にあたってください。繰り返します。緊急事態、緊急事態。警戒レベル3――』