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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第五章 ゾア・スタンピード
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第一話「ギャンブル・スタート」


 収容センターへの来訪日は、実にトリスの来訪から二日後であった。

 トリスは見た目に反して行動的な人物らしい。


 あるいは彼の関わる業務が、彼をそうした性質にしたてあげたのかもしれない。なにせ、軽く話をきくだけでも、臨機応変な決断が求められそうな職務である。

 本人は「オペレーションルームで書類を読み、指示をだすだけ」とのたまったが。


 そういった激務の影を垣間見せもせず、トリスは二日後の午前九時に再び現れた。

 玄関で消音を託したゴム底の靴の紐をしっかり結び直す。

 アルフとトリスはイデを待ち、壁に背を預けて段取りを確認していた。

 イデも視線は床のまま話を聞く。

 きちんと計画を覚えているのを実感していると、トリスとの会話を思い出した。


「そういや収容センターへの侵入と収容対象の窃盗ってルール違反じゃあないのか」


 イデの何気ない指摘に、トリスの青い目が宙を舞う。

 トリスが根から真剣な性格であるのは、説明を惜しまぬ姿勢から察しがつく。

 だから何か彼なりの理があるのだろうと思っての発言だった。


「矛盾したように聞こえるかもしれない。しかしここにいるとルール通りにしすぎては回らない部分があるのも事実だ」


 イデの質問を放置できなかったトリスに、アルフが「あらら」と苦笑する。


「ルールは人を平等に扱うためのシステム。システムとは道具(ツール)だ。人が操られる側になってはいけない。安心できるからと盲目的に従えば、ルールは怪物になる。安心感という怪物を、人は知性と慈悲という美徳で御す必要がある。しかし、もとより感情的になってしまうから、公正なルールを作り出したのであって……」

「ウンウン悩まないで短く言ってくれ。不安になる」


 これはネヴとは違う意味で面倒臭い(いや、考えすぎという意味ではよく似ているか)。


「まあ。僕もそのあたりは考えている」

「へえ。じゃあ、有給とって侵入ってのは?」

「正確には『有給時に職場に顔を出す』。イデくんは正確にはまだ雇用濃厚な職員候補という立場だ。ネヴくん、アルフさんという推薦者もいる。僕は休みついでに君に職場を案内する」

「それって……結局、働いてるんじゃ……」

「これでも上級職員なんだから、勤務中なら逆に案内なんて出来ないよ」


 横目でアルフを見やる。

 赤毛の美青年はどう思っているのか。アルフがそう動くのは自然だとすっかり受け止めていた。しかし直接はまだ聞いてない。


 彼の腰には愛用の拳銃はない。代わりに真新しい警棒が彼の麗しい腰を飾っている。

 艶消しのされた黒い棒を伸ばしたり、縮めたりしていた。伸縮できるタイプの警棒だ。仕舞いきれば五センチ程度までになる。

 大変な男に大変なものが渡っている。物騒だ。

 気合いじゅうぶんである。説明不要というわけだ。

 トリスに視線を戻す。


「大丈夫。僕が有給を使って他の仕事に首を突っ込むのはよくあることだから」

「大丈夫じゃねえだろう、それは」

「いいじゃないか。今回、僕の呪いが薄いのもそのおかげなんだよ。ミアキが肩代わりしてくれたからね。イデくんがネヴくんの知り合いだっていったら、

『どうぞ、胃に優しく接してあげて下さい』

って」


 ネヴの奴、職場でもそんな扱いか。


「普段から変わってもらえばいいのに」

「一度、呪いのシフトを組んでローテーションで回そうとした時もあったんだよ。人に関わる仕事が多いので、事情を知らない職員との齟齬が頻発して取りやめになったけれど」


 心なしか悲しそうな気配をまとったトリは、こほんと咳払いをした。


「閑話休題。他に質問は?」

「盗み出すに関しては?」

「計画は既に話しているから、意味という観点においての説明になるね。収容対象たちには『脱走』してもらう」


 計画の話になり、イデの肌にぴりりと緊張が走る。

 主にトリスとアルフがたちあげた計画はかなりシンプルだ。ずさんではないが、難易度は高い。

 なにせ、ダヴィデ達のような存在を管理する場所なのだ。

 計画をたてたところで『何が起きてもおかしくない』と念押しされている。


「収容対象へのトラブルシューティングのみでなく、大前提として警備員たちがいる。遭遇は避けられない。相手によって適宜柔軟に対応する必要はあるが……法にはない人間のいいところは、柔軟性と想像力があるところだ。なんとかしよう」

「順番は、ダヴィデとビクトリアを優先だったか」

「ああ。ビクトリアの収容先は地下深層にある。異物管理課はひとまず心配しなくていいか」


 ANFAの地図は渡され、記憶してある。

 通路はほとんど管理のしやすさ=安全性を優先した造りになっている。だが、異物管理課とやらは別だ。


 いわくつきの呪いの品物の噂話というのは、古今東西尽きない。

 同じように収容すべき『道具』はあふれでんばかりに無数にある。わざわざ取り扱いを心得た専門チームを作るほどだ。

 自力で動くものがほとんどないのをいいことに、場所は最深に位置し、迷路のようになっていた。


 ひとめ見ただけで頭が痛くなる有様だ。魔術で異常な繋がり方をした通路もある。

 収容物が納めきれなくなるたびにより深く増築を重ね、覚えるとかそういう領域ではない。

 上に向かうように見えた階段が下に繋がる。エレベーターが横に走る。そういうレベルだ。

 この時点で頭が痛い。だのにビクトリア脱走が『最も容易』だというのだから恐ろしい。


「カミッロは地下中央層三階、ダヴィデは地下下層二階だ。カミッロは慎重に。何をしでかすかわからない」

「不安材料だっていうのならカミッロは控えたほうがいいんじゃあないか?」

「いや。ネヴくんが精神汚染に目覚めているのなら、対応できるだけの強力なチカラが必要だ。ダヴィデは影響を受けないだろうが、防御にはならない。精神に働きかけるカミッロの異能は必須になる」


 ANFAの管理センターは、収容室のある地下と、生活施設と実験区域のある地上にわけられる。

 地上では職員達の打ち合わせと治療が行われ、地下で管理を行う。

 収容施設が地下にあるのは怪異達が人目に触れる可能性を避け、脱出難易度をあげるためだ。

 ならば、まず最下層からあがっていく方式がベターなルートだろう。

 トリスの話は『計画』の後半に移動する。


「筋書きはこうだ。脱走した三体は一隻の船を盗む。脱走先はたまたま(、、、、)レトリ島だった。実際に回収任務にあたってイデくんとアルフさんの手が空いていたので、先行隊として二人で向かってもらう」

「そこでネヴとあっても休暇中なんだから当然。偶然か、ネヴと関係があった三人の報復と主張できる」

「報復だと彼らの今後の扱いが心配かな。カミッロくんとダヴィデくんは怪異に近しい存在だから、縁を辿って本能的に引き寄せられたとかともいえるね」


 計画をまとめなおせば、最下層から上に向かっていくことになる。

 トリスの案内で見学者として施設に入る。まず最下層に入り、ビクトリアを回収。

 ビクトリアは機械の体を持っている。都合がいいことにダヴィデとの縁も濃い。


 ダヴィデはビクトリアの体に手を施した張本人だ。

 ビクトリアに、もとい『ビクトリアがダヴィデを探し出してともに脱走』させるのだ。

 地下上層、中央層、下層は警備員が巡回しているため、彼らの注意をひく必要がある。

 彼女に起こさせた騒ぎに乗じて、カミッロも連れ出す。


 イデ達の役目は、直接騒ぎのために手を下すことなく、三人を船までエスコートすることである。

 そこからイデとアルフは『その場に居合わせたトリス直々に命令を受け』、別の船で逃亡先の島へ向かう。

 と、イデの回想が止まる。

 計画当初からトリスは収容センターで別れる予定だった。

 イデも最初は「上級職員が着いていけば怪しまれる」と納得していた。しかし計画を思い返すにあたり、もうひとつの理由に気がつく。


「脱走先の島で君は三体の収容対象を回収する。目的は回収でしかない。他に何が起こっても、君には些末なことだろう。成功すれば、それで全て解決」

「……で。あんたは、俺達が失敗した時に備えた本隊を編成する。俺達の失敗はネヴが看過できない敵対存在になった証明でもある。心置きなく処罰対象にできるってことか」


 トリスの口が閉じ、じいとイデを見つめる。

 濃いミルクティのような髪色の彼のかんばせは、血統書付きのゴールデンレトリバーを思わせる。

 整理整頓された顔立ちが真顔で人を見つめると、何もかも見透かされているような威圧感があった。

 見抜かれたという焦りはうかがえない。ようやく気づいたか、とすら言いたげであった。


「なかなかイイ性格してるな、あんた」

「ひとまず褒め言葉と受け取ろうかな」


 トリスは邪気無く小首を傾げ、胸元に手をいれた。

 自己主張の薄い、曇り一つ無い銀の懐中時計を取り出す。そろそろ家を出る時間だ。


「でもね。この作戦、君がいなければ観光不可能なんだよ?」


 作戦決行の締め切りが迫っている事実と、トリスなりの激励をまとめてぶつける。


「僕では出来ないんだ。僕が正式にネヴくんに対処するための部隊を編成させてくれと言ったら、それは仕事になる。理由だって言わなきゃいけない。前もっての準備は困難だった。そして今も。島に行き、僕が直接あの子を観測してしまったら、報告義務が出来る。詳細で、リスクをとることのない、管理者らしい報告をだ」

「…………」

「でも、君は正式な職員じゃあない。だから、正式なルールなんて知らない。偶然島で変異したネヴくんと遭遇しても、報告義務なんて知らないだろう? 君はダヴィデ達を追って島に行ったんだしね。ダヴィデ達に関する報告だけすればいいんだ」

「……ええ……」


 ちょっとそれはだいぶヤンチャな提案な気がする。

 呆れるイデにトリスは軽く肩をすくめた。


「僕自身、僕にバレないように行われたズルは気づかないフリしてるし」

「割合緩いんだな」

「ルールはみんなが過ごしやすいようにするためのもの。看過できない危険が発生しない限りはある程度気にしすぎないようにしてるんだ」

「あんたの性格だと、精神がすり切れそうだ」


 ANFAという職場はネヴのような獣憑きが長年働ける職場である。

 逆にいえば、獣憑きでもなければできないような仕事も多かろう。なにせ収容対象がアレらなのだから。

 あんな破天荒な女がいくらでもいる場所で、絶対的な規律を守らせるのがどれだけ難しいか。一方で、規律がなくなれば、それこそ身内のせいで全て台無しになってしまう。

 難しい立場だ。ルールを守り、同時に、破らざるを得ない。


 より多くを救うために自らにルールの穴をつかせようと努力するトリスでは、矛盾した行動から目を離せず、その害悪を真正面から抱えるだろう。

 ネヴと同じ。自らの悪性を無かったことにして目をそらせない。そういう類いの人間だ。

 そうやって壊れた人間を知っている。

 何気なく言った一言に、トリスはきもち、表情を和らげた。


「そうでもないよ。頼もしい部下ばかりだからね。僕が間違えれば、彼らが裁いてくれる」


 トリスが懐中時計をしまう。

 タイミングを見計らっていたアルフの手によって玄関の扉が開かれた。

 カーテンの閉じられた寂しい部屋に、一条の清浄な朝の光が、ほこり臭い闇を切り裂くように差しこむ。

 雪の上を滑ったらしい涼風が新鮮な酸素とともに吹き込んだ。肺を貫く冷気の痛みに、イデの低血圧由来のだるさを一気に吹き飛ぶ。

 トリスのスカイブルーの虹彩が冷風にも負けぬ青さをもってイデと向き合った。


「全て君にかかっている。君が彼女を人に引き戻せば、全てが君のもとに戻る。失敗すれば、彼女は海底に永遠に閉じ込められる。さあ、僕らの賭けを始めよう」


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― 新着の感想 ―
[良い点] こんのー!トリスさん、煽ってくるなあ! どうなっても後始末は僕がやるから、やりたいだけ踏ん張ってこい!ってことですよね……こういう上司ほんと素敵。 計画も、一個一個はままありそうで、全部合…
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