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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第五章 ゾア・スタンピード
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プロローグ


 ネヴが消えて三日になる。

 イデは彼女が部屋から出ていった時、声をかけなかったことを後悔していた。


 隣で笑ってくれる女のために母を捨てた。

 母が戻ってこれない存在になっていたとしても、選んだのイデだ。変わりない。

 あの屋敷から帰ってきて、ネヴとアルフの前ではなるべく平静を保っていた。だが部屋で一人きりになると感情にまかせて暴れた。


 ネヴが来る少し前もそうだった。

 手袋越しの彼女の体温に、ささやかな安らぎを覚えながら、舌を動かすのも億劫で、黙り込んでしまった。

 彼女に当たり散らすよりマシだと思ったのが間違いだったのかもしれない。


 ネヴに関しては、ネヴが丸一日経っても帰ってこなかった時点で、アルフが調整を図った。

 上司だというトリスという男が、危険任務に対し、手当代わりの追加有給を出したという。その有給を使って休養旅行に出かけた、と。


 ANFAの収容チームは、イデが経験したような出張任務と他の部署の手伝いがあるらしい。

 出張任務は複数掲示されたなかから指名、もしくは希望申請を出すことで引き受ける。

 危険度によって給料と追加手当が変わる。

 それがない間は、施設内の警備や実験の手伝い、外部での副業などを行う。

 問題児が多く属するチームなのもあって急な休みは多く、アルフが口八丁で丸め込んでくれた。


 それもアルフが説明してくれたことだ。

 ANFAの仕組みもしらなければ、ネヴのためになにも打てる手がない。

 時が過ぎるのを受け入れるだけの三日目の朝。イデはあの日も使っていた毛布を気もそぞろに引き剥がす。

 イデの素足がフローリングを踏んだタイミングで、ノックされた。


「……誰だ?」

「トリスだ。話がある。アルフさんもいるよ」

「やあ、おはよう。早くから悪いねぇ」


 アルフの言い方は、イデの拒絶を考えもしていなかった。

 イデはわざとらしい溜息をつき、二人の客人を招き入れる。


「片付いてねえけど」


 すぅっと入ってきた二人は、そそくさとドアをしめた。

 アルフがベストの胸元に手を入れ、どこからともなくてのひら大の機械を取り出す。


「アルフさん、メアリー(、、、、)は?」

「いない」

「よし。盗聴は問題なしだね」

「盗聴?」


 おっかなびっくりするのも無視し、トリスはイデと目を合わせた。


「ネヴくんがいるのは彼女の生まれ故郷だと思う。母君と住んでいた場所で、南の端っこにある温暖な島だよ。特産物は柑橘類。名をレトリ島という」


 ろくに面識もない、予想外の人物からの情報に、イデは目を白黒させる。

 だがそれ以上に、暗闇のなかにさした一筋の光に食いついた。


「本当か!?」

「ああ。他の別荘はほとんど街なかだ。十中八九間違いない」

「そうか。そうか……」


 ネヴはまるでわからないところへ、露のように消えたわけではなかった。

 安堵に胸を撫で下ろす。

 ひと呼吸のまを置いて、なるべく冷静を装ってトリスに向き合う。


「なんであんたがそれを調べる? あんたはあいつの味方か」


 アルフがいる以上、味方だとは思いたい。

 しかしネヴには敵が多かった。ドラード、ビクトリア、ダヴィデ。理由は違えど、ネヴは狙われていた。今、彼女が異様な状態であるのもわかる。

 カミッロ達を倒してきたように、トリスもまたネヴを仕事の対象とみているのではないか。

 警戒を見せるイデから目をそらさずに、トリスは返答する。


「僕は一応、君の味方――だと思う。多分」

「多分ってなんだよ、多分って」

「これでもそれなりに立場がある。心情的にネヴくんに死んで欲しくない気持ちはある。しかしそれを理由に動くわけにはいかない」


 イデの片眉がぴくりとあがる。

 トリスのいうことはもっともだ。それでもイデはネヴに肩入れしてしまう。

 肉食獣が睨みあうように動かずに話し合う二人を、アルフはじっと見守っていた。


「だが、俺の味方なんだな?」

「内情はどうあれ、目的は一致するという意味では」


 トリスの視線がちらと部屋のなかへ向いた。

 ネヴが訊ねてきた後から片付け始めたが、モノは少ない。色も足りない殺風景な部屋だ。ベッドの上は毛布がめくられたままだ。

 玄関から遠い奥の方では倒れたままの家具もある。

 イデの精神状態が平穏ではないのはわかったはずだ。


 なお、トリスはイデをおざなりに扱うような態度はとらなかった。

 姿勢はぴっしりまっすぐに。目線はそらさずぴったりと。

 誠実な男だと思った。


「だったら聞かせてくれよ。あんたの目的ってやつを。俺が納得できるようにな」


 信用しきれないがために、口調は乱雑なまま接する。トリスはこくりと頷いた。


「急にライオネル・ドラードが消えたのはどうしてだと思う?」


 トリスが単刀直入な話し方をするのはわかり始めていた。イデも同じように返す。


「ビクトリアの首がはねられたから?」

「ビクトリアの意識はまだ残っている。夢遊の異能はビクトリアの女主人、エマの能力だ」


 イデは行動を起こしただけで、ビクトリアの主人には会っていない。だからどこまでがビクトリアの仕業で、どこからがエマなのかは知らなかった。


「エマは虚弱で、異能の過剰暴走で生身の肉体で生きるのが難しくなっていた。だからビクトリアに憑依し、完全に精神の生物になることで適応したわけだが。ならばビクトリアの意識さえ無事なら、エマも消失しなかったはずだ」

「そりゃ、ネヴが中身を斬れる奴だからだろ」


 答えつつ、イデもひっかかりを覚える。


「うん。そうだ。だからエマが消え、異能の効果が打ち消しになり、患者が死んだ」


 熱心に口を動かすトリスの背を、アルフが叩く。

 無言のまま次にイデを見やり、順に椅子とキッチンを指す。

 『座って話せ。お茶を入れさせろ』という意味だ。

 イデは「人の家で自由な人だな」と呆れるも、許可をだした。


 ふと横を見れば、トリスは「ぜんぜんきづかなかった」と申し訳なさそうに口を尖らせた。

こうしてみると若人らしい。少し親近感がわく。

 引っ越してきたばかりのうえ、人を呼ぶ気がなかったのでテーブルはなかった。倒したクローゼットを引きずって机代わりにした。

 イデはベッドに座り、トリスはダンボールに腰をかけて話を再開する。


「僕もドラードさんと同じような予想は立てていた。違うのは、それが妨害可能か否かという点だ。ドラード先生は可能だと思った結果、挫折して路線変更したらしい。僕は彼女の暴走はいつか必ずやってくると思っていた。遅いか早いかの違いだ」

「信じていなかったのか?」

「信じていたからだよ。彼女は心の底から人を信じられない一方で、人を信じたいという願いを捨てられない人間だ。下手にちからがあるせいで、不満を不満のままにできない。かたちは物騒だけれど、優しいんだよ」


 マグカップからコーヒーをすすり、ぼそりと付け足す。


「予想外といえば、まあ。最後のきっかけが君になるとは思ってなかったな」


 イデは虚を突かれ、トリスの言葉を頭のなかで繰り返した。

 ネヴがこうなったのは、イデのせい? 


「彼女の願いは、目の前の人間を助けることから、根本的な革命――――世界の変容にシフトした。意識の変化は異能にも影響する。眼前の敵以外に意識が向いたネヴくんは、既に感染の性質を獲得しはじめているはずだ」


 変わってしまったネヴの驚異性は、いやでもわかる。

 ヴェルデラッテ村で最もカミッロの悪性にさらされたのはイデだ。

 あの『無理矢理干渉される』気持ち悪さは、人であれば生理的に受け入れられない代物である。

 混乱するイデを前に、トリスははっきり切り出した。


「僕は彼女の思考には反対だ」


 スカイブルーの瞳を曇り無く突きつける彼は、真面目な好青年であると同時に、紛れもなくネヴ達職員を束ねる『上司』だった。


「あいつにもあいつなりの道理が」

「そんなことは知っている。

 しかし、改善は地道だ。地味な道と書いて地道。いきなり花開くように全て解決するなどありえない。なにがしかの変化は別のものにとっての苛政になることもある。

 説明のため例を用いよう。例えば、法だ。

 僕は人類の理性から生まれた傑作は法だと思っている。法は世界の表面を覆う、社会という共存状態を取り繕うためのシステムだ。

 この法から生まれる、『うっすらなんとなくな正義』を悪用するものがいるのも事実。

 しかし、このおかげで、どんな考えるちからのない馬鹿でも、ルールさえ守れば最低限社会に組みし、生き延びられるようにもなっている。

 法とは人を幸福にするためのものでも、正義を勝たせるためのものでもない。人を生き延びさせるためにある。

 幸福と安全を求める情治、即ちオリジナリティ溢れる情動は排除されていなければならない。平等が、法という『万人にばらまける権利』が失われる」


 ルールを定め、守り、管理する。自らのもとに集う人々みなを平等に扱うためにこそ、無温冷血なる律が必要なのだと説く。

 ネヴの情熱は、それを乱す。明らかに彼はネヴを否定した。


「変化は地道だ。工夫だ。石器を使う人間が誕生してから二百万年。最古の農業が始まったのが二万三千年前。約200年前に世界初のワクチンが発明された。何も変わらない明日だと思っていても、人は気の遠くなる時間をかけ、確実により幸福になっている」

「…………」

「ネヴくんがやっているのは侵略だ。人類の叡智たる忍耐と創意工夫という概念を食い荒らす暴食行為だ」


 イデはなにも言えなかった。

 トリスは正しい。彼のもとでならば、守られる人々は多かろう。

 しかし、イデの心に安らぎを与えたのは、イデを苦しめる悪意を憎んだネヴの憤怒だったのだ。イデを認めてくれた慈悲だった。

 トリスの意見を聞いても、ネヴを嫌えない。


 表情を曇らせるイデを前に、力強く話していたトリスの険がフッと緩む。


「それでもネヴくんは変化を望んだ。前から不満はあった。一朝一夕の願いじゃない。軽い決断か? ありえない。だったらずっと昔にやってる」

「だったらなんで。俺が? 今まで傾向はあったのに、そうはしなかったんだろ。それが俺なんかのせいで?」

「数百年後なんかでなく、今、生きているこの時に。どうしても幸せになって欲しい人間が出来たからだと思うよ」


 トリスの瞳はここにはいない友人を見ていた。

 頭を痛めつつ、どこかぬるい。成長した幼子を見るような視線だ。そういれば、トリスはネヴとほとんど歳が変わらないように見える。せいぜい数歳といったところか。


「ネヴくんは昔から超個人主義者だった。隣人と自分は違う人だけれど、自分は世界でたったひとり特別だとも思ってなかった。その人が幸せでないことで死ぬより苦しむ思いを知って、自分以外にもそういう人間がいると思ったはず。彼らもついでにまとめて救う気だ」


 その目と語り口で、トリスがネヴの味方であるとわかった。


「さて。もし本当に島で『感染』が始まっていれば、ネヴくんを殺すわけにはいかない」

「本体のネヴを殺すと、異能の対象者達が巻き添えで死ぬ可能性があるからか」

「ビクトリアの女主人のようにね」


 ここまで説明されれば、イデも納得ができる。


「僕の目的は大量死の防止だ。そして生きたまま確保しつづける以上、できる限り内々に済ませたいと思っている」

「具体的に聞かせろ」


 喰い気味に結論を促す。

 性急ではあるが、イデはこの不器用なほど真摯な青年に賭けてみることにした。

 少なくともネヴに再会するためのカードを持っているのは、トリスしかいない。

 強く出たイデに、トリスはびっくりしたように目を大きくする。それから、イデの前で初めて笑った。


「収容センターに侵入する。

 目的はネヴィー・ゾルズィへの接近および鎮圧のためのメンバーの確保だ。

 ダヴィデ・メチェナーデ。

 カミッロ・アンヘル。

 ビクトリア・マルキ。

 上の収容対象を外部へ盗み出す。安心してくれ。僕は有給をとった。勤務時間外なので、社内に貢献せずとも問題ないよ」


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[良い点] ネヴちゃんが最短直球でイデさんの幸福を目指しすぎてて、目玉落ちそうになりました。説明されると「うぉー!なるほどぉ!」ってなるけど、僕の脳内じゃ思いつかない変化……! それにイデさんの心情も…
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