第二十四話「終わりの始まり」
ビクトリアが大きく舌を打った。
感情が昂ぶると、体の持主であるビクトリアの面があらわれるらしい。
「ふっ」
呼気を込めて放たれたのは刺突。
交差の形でむかい来るビクトリアの拳とパイルバンカーを柄で受け流す。
ビクトリアの目が刃の切っ先をたどった。瞳孔がカメラのレンズとシャッターのようにすぼむ。
力強い刺突、それも急所を正確に見定めた攻撃は、ナイフばりに短くなった刀剣でも致命傷になるまで深い裂傷を与えうる。
ビクトリアは首を傾げてかわす。
その小さな顔面に、すかさず鞘での殴打が入った。
「はやッ……!?」
ビクトリアの驚嘆に、ネヴも同意する。
本来、ネヴは機械を相手どるのは苦手だ。
ネヴの異能は『見えないものを視る』。
それは主に『対象物の構成を見抜く』というかたちで使われる。
だが人間の脳は、同時に二つ以上の行動をとれるようには出来ていない。できているように見えても、実際はうまくタスクをコントロールをして、平行して別々に進めているのだ。
特に、物理的な攻撃は装備でカバーされる可能性があるため、対象がどのような性質でできあがっているのかという概念面で攻撃する。
決してカバーできない、中身の生身の部分を解体するのだ。
逆に、『生身の人』とほど遠い、機械を代表とした文明の粋は難しい。
文明とは多数の人間が関わってできあがった代物だからだ。個人の感情の入らない、巨大なデータの集合体。現実世界における【無意識の海】といってもいい。
発達した技術であるほど複雑で、辿るのに時間がかかる。からみあった毛糸玉をほぐすようなものだ。
動かず喋らず立ち塞がるレンガの壁とはわけが違う。
ビクトリアは、『生身』でありながら『機械』である。
ネヴの異能が最も発揮しづらい構成を持つ存在のひとつ――であるはずだった。
「あはっ」
刃が関節に滑り込み、左の手首にかむ。
「怖いぐらいに絶好調」
ネヴの喉は我ながら意外なほど落ち着いていた。
たき火の底に埋まった、黒くくすんだ火種のようだ。
新しい風が吹き込めば、今すぐにでも燃え上がる、冷えた灼熱の温度だ。
ネヴの掌底がビクトリアの下顎に触れ、押し上げる。
「ごきげんよう」
腐っても機械だ。ビクトリアの身体には大量の生命維持ギミックが仕込まれていた。
特に急所は頑健だった。機械の構築をはじめ、防御のまじないが四種もかけらている。
異なる魔術を同時にかけると打ち消し合ってしまう場合もあるなかで、相当な手間暇だ。
今日は素晴らしく目の調子がいい。
ネヴは抱きしめるのに酷似した体勢でビクトリアの頭を抱え込み。可愛らしいまるい頭部を、胴体とお別れさせた。
◇◆ ◇
メンテナンスがしやすいよう、首を取り外せるシステムがあったのかもしれない。
さらさらの金髪に指を通し、頭部を掴むと、断面からぽたぽたと液体が垂れた。
血液ともオイルともつかないそれは、すぐに流出をやめる。
「すごいですね。魔術と科学の申し子みたいな体じゃあないですか。こんなことができるってわかっていれば、メチェナーデ家も完全解体まではされなかったかもしれないのに」
ビクトリアが口を開こうとする。
つりあがった眉目から、容易に小うるさい文句が飛ぶのを想像できたので、ハンカチを詰め込む。
脳と胴が離れたせいで手が動かず、外される心配をせずに済んで気が楽だ。
ネヴはふわふわした心地で階段を降りる。
生まれて初めてお酒を飲まされた時を思い出す。
種類はカシスオレンジだったか。甘いお酒で飲みやすかった。酔いはしなかったが、どことなく怖くて、飲み過ぎないようにしようと考えを改めたっけ。
ネヴの周りはほとんど年上ばかりだった。敬語になったのも教育ばかりが理由ではない。
大人のひとりが未成年のネヴに酒を与えようとして、アルフが笑顔で相手の利き手の関節を極めたのが懐かしい。
つまり、今のネヴはあまりいい状態ではない。はずだ。
酒の思い出とこの感覚を照らし合わせると、そういうことになる。
「ああでも、いい気分です。私はうんとよくやったしね。イデさんもアルフも喜んでくれるはず」
気づかぬうちに明るい笑みが浮かぶ。
これがありのままの私で、一番いい状態なんだという気さえした。
るんるんスキップで、階段の先の廊下を進む。
ビクトリアの首もぴょこぴょこくるくるはずんだ。
直感でイデ達のいる方向を探ると、その通りの場所に彼らはいた。
「イデさっ……」
再会に喜色満面で呼びかけようとして、かたまった。
イデはちからなく壁に背を預けていた。
おってアルフをみると、彼も遊びのない深刻な顔でイデの肩を叩いていた。
状況のわからないネヴに、アルフが重々しく伝える。
「イデくんのお母さんが亡くなった」
「え?」
「数分前に突如ドラードが消え、即座に患者たちのいたホールに駆けつけたが……全員、ダメだった」