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アンダーハウル  作者: 室木 柴
第四章 アヴァンチュリエの悔恨
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第二十二話「ファム・ファタル」


 ビクトリアが肘を伸ばせば、拳は届く。

 閃光弾で視界を潰されたタイミングを狙った凶刃。


「はは」


 ネヴのくちが逆三角をえがく。犬歯が凶悪な白さが、獲物を求めて光る。

 致命の一撃を放とうとしていたビクトリアが、戦士の直感で硬直した。


「はは! 下ががら空きィッ!」


 哄笑とともに左足が振り上げられた。

 下から上へ向かっての一蹴。ブーツをはいたつま先が届くより先に、避けられるはずだった。


 ビクトリアが上方へ吹っ飛ぶ。

 顎を打ち上げる強烈な一撃。

 相当な自重があるせいですぐに地に足がつき、意識も飛びはしなかったが。

 ネヴにはそれでじゅうぶんだ。

 ビクトリア、あるいはビクトリアのなかの女主人が驚愕にしろばむ。


「今、なにが」


 視線が原因を探る。その猫のような大きいひとみが空中に止まる。

 刀の柄があった。

いま、宙を舞い、重力に従って落ちてこようとしている。


 先ほどビクトリアに破壊された武器だ。

 ネヴは折れた刀を即座に捨てた。

 だが放り投げてはいなかった。そのまま床に落とした。

 そして持ち手の最後尾を軽く踏みつけて遊ばせていたのである。

 タイミングを見計らったのはネヴのほうだったというわけだ。

 ビクトリアが勝ちの目を狙って接近したので、刀をテコの尻をはじくようにたて、器用にも唾をひっかけて浮かせた後、ビクトリアの顎めがけて打ち込んだ。

 結果的に、ネヴの間合いがのび、攻撃の到達速度が速まった。


 もっとも、ビクトリアもかろうじて反撃に反応した。

 少し懐かしい金属がすれる音が、ネヴの耳たぶをかすめる。

 アッパーを喰らうと同時、放たれたロケットパンチは摩擦熱を纏う。

 直近で発射し、瞬間的に猛加速したパンチは避けきれず、ネヴの耳に火傷と裂傷が生じる。


 だら、と垂れる血と、赤く色づくやわい肌。

 勿論、致命傷とはほど遠い。


「……役に立つかもわからない攻撃手段を温存していたとは。はは」


 ビクトリアが乾いた笑い声をもらす。

 ネヴがやったのは曲芸に近しい乱暴な技だ。

 だがビクトリアが見誤ったのはネヴのギャンブル性のみではなく、研鑽である。


 ネヴは子どもの頃から大人に囲まれ、十年近く働いてきた。

 使い込まれた肉体は、わざわざ考えるまでもなく最適な動きをしてくれる。

 モノを掴む感覚、どうチカラを込めればどの程度動くのか。

 ネヴには「自分にはできる」という確信と、迷わずこなす胆力があった。


 いくら使命感があっても、ビクトリアはメイドで、彼女の主人は貴族。

 ドラードの助言通り精神を壊せなかった時点で、有利はネヴにある。


「参ったな。これじゃあ終わりにならない(・・・・・・・)じゃあないの」

「そうおっしゃるならすぐ終わりにするよう(つと)めますよ。ええ。運動は得意なので」


 ネヴは落ちてきた刀の柄を片手でキャッチする。

 刀身は半分になっていた。そう、まだ半分は「凶器」が残っている。

 腰から鞘を抜き、武器を増やすネヴから、ビクトリアはバックステップで距離をとる。

 

 ネヴがビクトリアを解体するのが早いか。

 ビクトリアが耐久しきり、息も絶え絶えになったネヴを処分するのが早いか。

 構え直し、睨み合うさなか、ふとネヴは思い当たる。


(そういえば、ドラード先生。どこにいるのかしら)


◇◆ ◇


 イデは重い重い足を引きずり、部屋を出た。

 

 患者達をおさめていた部屋だ。巨大なホールの中心に『それ』はあった。

 無数に折り重なった女神像の群れ。

 スプリット積みのようにびっしり組み合った女神像は、まじまじと近くから確かめると、足の部位が継ぎ目無くひとつになっていた。

 まるで象牙色のキノコである。


「鏡のもこいつが原因だったのか、やっぱり」


 ダヴィデ然りカミッロ然り、こういったものはろくな印象がない。

下手に触ると手痛いしっぺ返しを喰らう。


「最小の手段で止めねえと」


 記憶のなかの『迷宮の女神像』と『ホールの女神像』を照らし合わせる。

 基本的な造形は毛先のひとつまで瓜二つだった。

 違うのは、


「……目の色が違うな」


 迷宮にあったのは赤瑪瑙の眼球がはめられていた。

 ホールの女神像も瑪瑙は瑪瑙であるが、赤のみでなく、ちらほら黒が混じっている。

 白眼の部分も宝石に染められている造形は、遠目に見ればくりぬかれた眼窩に見間違えてしまうだろう。

 

 イデは上着からポケットナイフを取り出し、女神像によじ登る。

 そして意を決し、赤い瑪瑙の目をくくりぬいていった。

 ひとつくりぬくたびに猛烈な吐き気に襲われる。実際、何度か胃の中身が逆流した。

 さりとて、ネヴに至っては毎回入院沙汰なのだから、嘔吐などまだ可愛らしい。

 

 最後は薄い胃液のなかに、何か赤黒いものが混じりだし、冷や汗が止まらなくなっていた。

 かくしてイデは無事、赤い瞳に摘出した。

 変異が起きたのかは、素人のイデにはさっぱりわからない。

 下腹部がじくじく痛んでたまらない。臓腑を雑巾絞りされたかのようだ。


 一秒でも早くその場に留まりたくなくて、ほうほうのていで部屋を出る。

 そこで。いつかのように。

 ひとりの男とかちあった。


「――――あんた」

「ああ、君だったのか……懐かしいね」


 酷くげっそりと痩せて、いくらか無精髭が生えていたが。

 ライオネル・ドラードがそこにいた。

 落ちくぼんでクマの出来た相貌で、彼はちからなくイデを見上げる。


「確か、君はANFAの職員じゃなかったよね。もしかして僕が巻き込んでしまったのかな。参ったなあ。そんなつもりじゃあなかったんだけれど」

「あんた……あんた、なんのつもりなんだよ」

「え?」


 癖のある髪が生えたこめかみをひっかくドラードの胸倉を掴もうと腕を伸ばす。


「主治医ってことは、あいつの健康を一番守る奴のはずだろ。なんでこんなことを!」


 ほんの数秒前まで意気消沈していたのが嘘のように、怒りがあふれ出る。

 この冴えない中年男が組織を抜け出て、ビクトリア達になにかしらの取引をもちかけなければ、ネヴはあんなに傷つかなくてよかった。

 そして、イデの母ナタリアがこの世にかえらぬ人になってしまうことも、きっとなかった。


「ああ、そうか。君も……はは」


 ドラードは一切抵抗しなかった。

 代わりに、イデの広い掌が、ドラードのよれたシャツの胸元をすりぬける(、、、、、)


「……!?」

「確かに私がしたことは愚かだ。でも僕は知っているんだ。あの呪われた母子のことを。ANFAのことも。このまま成長すれば、いずれ最悪なことになる。その最悪の可能性に比べれば、早く終わらせてあげるべきだったんだ」


 イデは己の掌を軽く開閉する。

 掴めるのは空気ばかりだ。いるはずのドラードに触れない。

 さながら、よく見える幽霊に触っている、ような。

 疲れ果て、夢の虜囚へと逃げた医者はわらう。


「君も僕の二の舞になってはいけないよ。教えてあげようか。あの母子になにがあったのか」


 ドラードの手が、逆にイデのほうへのび、


「その子から下がれ、先生!」


 イデの後方から、パンパンパンと小気味いい銃声が撃たれた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 先生はただお母さんに誘惑されただけじゃなくて、何やらもっと最悪を感知してる!? 少なくとも先生が宗旨替えしたくなるほどの「最悪の可能性」なんて、あの後この人は何を見たんだ……。 そして、ネ…
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