垂乳女(たらちね)
どのくらい歩いたのだろう、日は沈み辺りはすっかり闇で、時折通る車のヘッドライトだけが、長くなったり短くなったりを繰り返していた。彼はその場で一夜をすごし、それから幾日かして彼は、見よう見まねでブルーテントを、こしらえた。そしてまた幾日かして、サツマイモの苗を、恵んでもらいブルーテントの脇に小さな畑をこしらえた。誰かが死んだと言えば、そのリアカーを譲ってもらい。布団やら防寒具やらを貰ったり拾らったりして、何となく彼の生活が成り立ち始めていた。
そんなある夜のこと、仲間がやたらと騒ぐので、夜中にテントの外に出てみると、南の空が尋常じゃない広域で赤々と燃えていた。よく見ると幾筋もの火柱さえ立っていた。「そろそろ戦争もおわるな?」誰かが言っていた。それから数カ月もしない内に、新型爆弾が落とされ日本は、敗戦と言う形で終戦を迎えることになる。
彼の属する集住の結は、堤防を境に街側に住居を移した。堤防を引っ越していく住民達に石をぶつけられたり、酷いことに集住の長などは、住民達になぶり殺されたりもした。このとき長老は、笑顔のままで死んでいったので、住民たちは怖がりそれ以来、必要以上に酷い事はしなくなった。
集住したもの達の間では、もう少し社会が落ち着くまでは、ここで集住していることに越したことはないと言う結論に成っていたので、最初の二・三年は誰も動こうとうはしなかった。それでも五年も迎える頃には、田舎へ帰るとか仕事が見つかったと言っては、この集住を離れて行った。十年も経つ頃には、彼も母や妹を、感じられる場所に移りたいという理由で、墨田の辺りまで南下してきた。そのうち、川沿いに高架の道路が完成すると同時に、彼は両国橋の辺りへと更に南下して定住した。
彼は此処に来てから、アルミニューム缶及びスチール缶を分別収集し、浅草橋にある業者に売り、対価として僅かなお金を手に入れた。まだ暗い内に本所辺りを徘徊し、缶を拾い詰めた、時には粗大ゴミの売れそうなものは、リヤカーにいわい付け業者にうって現金を得た。寝るときは、高架を軒にしてリアアカーを止め、天辺に敷布団を引いて横に成り寒い時期には、リヤカーの上に段ボールで囲いを作り、布団を体に巻いて横になった。
本所辺りで回収し、両国橋を渡り浅草橋で僅かなお金に換え、両国橋の高架の下まで戻ってくる。雨のきつい日以外はそれらを繰り返し、20数年このような日々をすごした。そのうち彼の事を、知らない人はもういなくなっていた。彼も歳老いた、もう数年も前から痛み始めていた。特にここ数カ月前からは、それらの持病は酷くなり。彼の笑顔を曇らせた。時にはリヤカーを引くことさえままならなくなり、移動中であっても、いきなりリアカーの荷台にうっぷしながら気を失った。一日の内で何度も気を失うようになり、そのたび彼は荷台の上で眠りに着く回数がどんどん多くなっていった。
そんなある日の事である、やっとの思いで集めて缶類を浅草橋で引き取ってもらい。その帰り、両国橋へと戻る時のことである。この日も炎天下で風ひとつない天候でであった。いつもより遥かに重く感じるリアカーを引きながら両国橋に差し掛かった。両国橋は橋の中央を天辺にて、傾斜の少ないアーチ型をしていた。橋の袂からゆっくりとゆっくりと重くなったリアカーを引きながら今日も天辺を目指した。雨合羽の中で汗が群れて異様な臭いを発していた。
ゆっくりゆっくり登り終え、天辺に辿り着いた瞬間彼は見た。下った先の橋の欄干の植え込みに赤子を抱いて、絣の着物を半分はだけて、白い大きな乳房をつかみ出し、赤子に乳を含ませている女が見て取れた。母である。母は彼を見つけると開いた方の手で、おおげさに彼を招き寄せた。彼は母を見つけ、リアカーを置き去りにし、母の元へ駆け寄った。「うぉ~うぉ~」と叫びながら、何度も橋の上で転びながら、母の元へと走り出した。
暫くして、両国橋の杯の天辺で引き手を失った錆びと汚れで赤黒くなったリアカーが、一台置き去りにされていた。日はすでに傾き、海風が隅田河を上流へと遡っていた。
(完)