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両国橋  作者: 伊井下 弦
3/5

お弁当

頑なに自分のペースを守りゆっくりとゆっくりと成長していく彼と、乳飲み子を抱え右往左往している母親と長屋の人々の生活は、季節を重ね。何度目かの桜の散るころ、彼は働ける歳となっていた。この場合も、長屋の誰もが、彼の行く末を案じ1年ほど前から誰彼なしに辺りをつけていてくれたおかげで、蔵前の卸問屋で僅かな賃金で下働することが決まっていた。彼は長屋の誰からも愛されていて、彼も彼の笑顔でそれに答えていた賜物と言えるかもしれない。


問屋の番頭も、彼の状態のことは承知の上だったのだが、母は初めて彼を連れて来たときには、何度も土下差を繰り返し息子の事を頼み込んだ。彼の仕事とぶりが足りないときには、番頭は大声で怒鳴ったり、事細かに彼の仕事に口を出したが、手を上げることもなく、結局のところ、寛大であったのだと言える。彼の方も、単調な仕事でさえなかなか覚えはしなかったが、怒鳴られたとしても「はい」「はい」と素直に頭を下げ番頭に従っていたものだから、彼の仕事としては、順調に事を運んでいたことになる。


 給金の当たる日は、母が必ず迎えに来た。息子の食い扶持にも足らない僅かなお金に、母は何度何度もお辞儀を繰り返し、感謝を述べた。普段は横柄で乱暴な番頭ではあるが、この日だけは、

「ご苦労さん」

と言葉をかけて親子を労い、二人が帰っていくのを見送った。


 給金が当たった日の夕食は特別なものだった、両国橋を渡った辺りの饅頭屋で、稲荷寿司買うか、肉屋のコロッケ4個を買うか息子に選ばせ、ご馳走と呼べるそれらのおかずを皿の上に盛り付けた。母は、これにも両手をあわせ

「ありがとう、頂きます」

と言って箸をつけ、そのほとんどを息子に食べさせた。


 質素ではあったけれども幸せ呼べる日々は、永遠に続くと思われたが、禍福は糾える縄のごとし、その幸せの終端は案外と早く家族の元を訪れた。それは彼が一年と数カ月、要約いくつかの仕事を覚えだした頃の事であった。妹がはやり風いわゆるインフルエンザかかたのだ。高熱を発症し生死を彷徨った。母親は、妹の看病をし内職をし、滋養強壮の為にと街中をかけずり回り、日ごろの過労も祟ってか、唯でさせか細い細い体が、日に日にやつれていくのが手に取れた。


 元気なころは、アルミの弁当箱に、飯をギュウギュウに詰め込み中央に梅干を鎮座させ、切った沢庵が弁当箱の端定番の位置を占領していた。それと、卵を頂いたと言っては、卵焼きを作り。端をおとして自分達でたべ、一番肉厚の部分歩一切れを、弁当に添えてくれたり、ある時は貰った鳥のミンチでそぼろを作り、飯を覆っていたり、昨晩だしをとったかつお節に醤油と砂糖を使って、炒りなおし、かつお節とご飯の層が何層にも重ねてあったりと、やはり質素には違いはなくとも、力強い活気に満ち溢れた弁当であったことには違いない。 


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