深川
そんな過去を必要としない彼にも、必然としての生い立ちはあった。彼が十歳になった頃の話である。父親が亡くなり、僅かな伝を頼りに本所の先の深川の外れに移り住んだ。であるから母と彼と妹の三人の生活は、慎ましやかとは到底よべぬところから始まった。
それでも三社やら朝顔やら鬼灯やら花火やらの季節を過ごし、知らぬうちに母と彼と赤子の妹は、深川の溝板長屋の結に迎え入れられていた。この結の女たちは、口はきつかったが、それでも夕飯のおかずを、わざと多めに作り、余ったからと言っては、三人の所へ持って来てくれた。芋の煮っ転がしやら、蕗を煮たもの、土筆の卵とじに、街で食べたハンバーグを真似てこさえてみたもの等々、三人の食卓は子供達の最低限の栄養を、満たすためには十分なものになった。その施しを母親もまた断りもせず、
「有難うございます。」とだけ言って頂戴した。
それもこれもこの長屋の大家のお上が、「困った時はお互い様、遠慮して断ったりなんかしちゃいけないよ。快く有難うって言って、人の施は感謝して受けとるってってのが、この長屋のしきたりだ。だからあんたも出来る事があったら進んで、それやりましょうか?っていっとくれ。良いかい無理だけはしちゃいけないよ」っと言ってくれたのが事の発端である。 母はと言うと内職である裁縫の腕前は確かなものであったので、この長屋の者達の小さなほころびやら、かぎ裂きを一手に引き受た。なにせ長屋に住んでいる男も女も、木是わしく急がしかったので、母の結を重宝していた。
このような長屋には、必ずと言って気のいい世話好きの若衆がいるもので、ほおずき市だったり朝顔市だったりの時期になると、若衆は母親の許可を得て、彼を連れ出し、二人は、深川から浅草寺までの沿道を闊歩した。
この日も若衆は、彼を連れだした。墨田の花火である。彼にとって生まれて初めての花火。まだ明るいうちに浅草に着いた二人は、まず浅草寺を、お参りすることにした。若衆は浅草寺の賽銭箱の前で深々とお辞儀をし、両掌をあわせた。彼もこれに倣い両掌を合わせお辞儀をした。後に彼の彼自身を形容するこの作法は、このもしかして浅草寺の観音様のお導きだったのかも知れない。浅草寺でお参りを済ませた二人は、人ごみに紛れ込みあずま橋へと人の流れに身を預けた。橋の天辺で、大玉がはじけて真っ赤な大輪を、夜空に咲かせた。
けたたましい音と振動で彼は、慌てふためきあずま橋の上を奇声を上げて逃げまどった。橋の袂で若衆は、やっとの事で彼の手を捕まえ彼を堅く抱きしめた。
「ごめんごめん、本当にびっくりしたろ。悪かったなごめんな」
この後、彼は長屋に着くまで若衆の手を、堅く握りしめ放そうとはしなかった。よほど怖かったに違いない。長屋に着くと若衆は母親に事情を説明し、深々と頭を下げた母親も恐縮しきりで、「これに懲りずにまた誘ってやって下さいまし。」
と何度も頭を下げていた。ひとときそんな時間が過ぎたあと、若衆は母親にしがみついていた彼の頭をくしゃくしゃとなぜ、屈みこんで
「今日はごめんな、また行こうな」と言って、二人に背を向け歩きだした。
二軒ほど歩いたとき、彼は若衆の基へ駆け出より、若衆の尻から手をまわして若衆の胴を抱え込んだ。驚いた若衆が振り返り見下ろすと、彼は、にこにこと精いっぱいの笑顔を若衆に贈り、また母親のもとへ走り帰った。この笑顔もきっと観音さまが、彼にお授けになったものに違いない。