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両国橋  作者: 伊井下 弦
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両国橋

甚々と照りつける太陽と、暗黒のアスファルトから噴出す熱風が彼を包み込む。真夏だというのに、分厚いゴムの雨合羽と、淵の深いメトロ帽を目深に被り、ダンボールやら、拾い集めたアルミ缶やらで一杯の荷押し車を押しつづける。その歩みは明らかに緩やかで、まるで発条螺旋が切れかかるブリキの玩具のようだ。露出した肌は極僅かだが、それらはコールタールを塗り重ねたように、どす黒く陰惨な光りを放っていた。帽子からはみ出した髪と峨眉の仙者のような口髭は、白く細く長く彼の象徴となっていた。


靴は左右の親指の辺りが綻び、麻の紐を腰元で結び、ベルト代わりにしていた。股間のチャック壊れているので、いつも開かれたままであり、布の重なりの隙間から陰部が露出されていた。だが、雨合羽を除く全ての物の汚れ様、傷み様が同一だったので、炎天下でさえも、誰一人としてそれに気づく者はいなかった。


彼の寝床は全て、彼の押す荷台の上にあり、古びてよれよれの掛け布団が窮屈そうに荷台の天辺に結わいつけられていた。 彼は、隅田の河川敷に間借りしていた。河川敷とは言っても幅は狭く、コンクリートで固められた側道のようなもので、頭上には高速の高架が川に沿って延々と連なり夜露をしのぐ恰好の屋根となっている。ここには、堤防を軒に見立てたブルーテントが、立ち並んでいた。テントの周りには物干しやら、あぶれた調度品やら犬小屋やらで、下町長屋さながらの集住地帯となっている。


彼は確かにこの巨大な軒下に間借りしていたけれども、決まった場所は持っていなかった。昼夜を問わず、眠りたい時には、荷台の布団にうっ伏し、寝息を立てた。必要なときにはその堤防脇にダンボールで寝床をこしらえ、寒さを凌いだ。食い物にありつけた日は、それで良し後は眠りに就くだけで、そうでない日は、月が昇っても、街明かりが数を減らしても、軒を背にただしゃがみ込んで、隅田の流れに目をやっている、すると誰彼なしに、食い物やら酒やらを持ち寄ってくれた。この集住に属する者たちは、生きようとする者には寛大で、彼にとっては、ただただ優しいばかりである。このような時、彼は目と口元に僅かな笑みを浮かべ、仲間の好意に感謝の意思を現す。ごく希ではあるが、仲間の見入りが良い日には、酒や肴をご馳走になることも有る。そんな日は、言葉にもならない。「ああ~。」とか「うう~。」という音と共に仲間の話に相槌を打つ。彼の笑みや、相槌は決して人を不愉快にさせるものではなく、むしろ親しみを持って人に受け入れられるものだった。 


彼の口から漏れる言葉は、極僅かな感情を現す語彙でしかなく、内容のある話を一度も話したことはない、またその必要もなかった。この場所に住む者たちの中で、彼の事を知らぬ者は一人もいなかったが、彼の事を知っている者も一人もいなかった。彼らが此処に来た時には、彼はもう此処の住人であったので、その事以外に彼を修飾する必要は無かった。


障害を持ってこの世に生を受け、それでも頑なに"自分"と言う個性を生き抜いた独りのホームレスの生涯を書いてみました。彼を形容した部分のモデルとなったホームレスの方は実在されていました。その方は、いつもアルミ缶やらスチール缶をリヤカーに山盛りにして、紐で巌って町をゆっくりとゆっくりと練り歩かれる方でした。一度だけ歩道ですれ違う場面がありました。私も足が悪いので立ち止まってリヤカーをやり過ごそうとしたとき、すれ違いざまにその方は私を凝視され、満面の笑みと供に頭を何度も下げ、「うぉ~、うぉ~」と言葉にならない声とともに、それでもゆっくりとゆっくりと自分のペースを決して崩すことなくゆっくりと、私の横を通りすぎて行かれました。その笑顔はまだ無抵抗な赤ちゃんや子供が、周りの母親や大人たちに向けて笑う時の笑顔そのものでした。

純粋に感謝し、純粋に微笑まれたに違いないのです。それまで私は、ホームレスと言うと都会の隅っこで集まって、楽な生き方を選び社会の愚痴を言い合っている反社会的な集合体だと勝手に決めつけていたような気がします。彼らの方が、よっぽど社会的に生きているのかも知れない。

 教育の中枢にいらっしゃる方にお願いです。良い子良い子で子を育て、それでも良い子に成れなかった子を、仕方がない子として排除して、残った良い子の中から更によい子を育て上げる。そんな教育は、止めて下さい。日本には、子供は社会の天からの授かりものという考え方があるそうです。最低限のやっていはいけないこと(自身の身が危険になるとか他人を傷つけるとか)のみを、教え後は彼らの個性を見守りましょうよ。何れ私たちは彼らの基からいなくなる。彼らが多種多様に対応していける能力を身につけなければ、1国なんてあっという間に潰れてしまう。作者はそう考えます。

 後にモデルとなったホームレス方をお見かけすると、町のいたるところでリヤカー止め、荷台の上に鵜っぷして眠られている姿をよく見かけるようになりました。今考えると、相当お体が悪かったのかもしれない。そのうちに全くお見かけしなくなりました。時を同じくして、街ではアルミ缶やスチール缶は立派な資産で、業者に売って町内会の費用に充てようと言う考えが浸透し、分別ゴミの回収箱に、"無断で持ち去ることは窃盗です。持帰り禁止”の張り紙が貼られるようになりました。


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