双子のエルフの探し物
無数の浮き島のような城――天空城――が雲とともに流れる世界。国境など存在しないかのように大空と水平線は果てしなく続いている。
空を舞う生き物は、眼下に広がる村をその影で覆い尽くすような大きさを持つ。トゲのような重層なウロコを持つもの、火を吐くもの、あるいは雷撃の鉄ついを振り下ろすもの――。異形のものたちは、天空だけでなく地上にも降り立ち、その繁栄を賛美していた。
そう、ここは魔物がひしめきあう異世界――イグナシール大陸。この世の生き物は全て生命力に満ちあふれている。動物も植物も巨大で勇壮なものが多い。
町や村は水彩画のように美しい景観を呈し、行き交う人々も神話に登場する女神のように美しいものが多くいた。
剣と魔法の世界。
中でもテペルは、傑出した才に恵まれ、若き頃より努力を惜しまなかった。この世界には成長度や熟練度を示す――レベルという数値で推し量る概念があったが、その数値も飛び抜けていた。それ以上数値が上がらない状態――計測カウンターが止まってしまう――にまで到達するほどだった。それはすなわち、カウンターストップと呼ばれた。
テペルはやがて、賢者として崇められ――テペル老師と呼ばれる歳になった。
テペル老師は、この世界でツアーガイドを営んでいる。お客は様々で、ヒューマン以外にもエルフ族や半獣人、ときには人語を話す魔物も訪れる。
――さて、今日のお客様は?
樹齢千年を超える流星樹をくり抜いて造られた家。テペル老師は、その家の中でゆっくりとした動きでほこりを払っている。どこからどう見ても、魔法使いのいでたち――。テペル老師を見ると、多くの人がそうした感情を抱くに違いない。
目深にかぶったミズーリ製の山高帽。白い口ひげを蓄えており、大魔道士の風貌を伺わせた。短く可愛らしいぽっちょりとした眉毛も、全て白かった。若い頃は戦士としても名をはせた彼だが、やはり得意なのはその風貌に違わず魔法だった。
タンタンタン。タンタンタン。掃除は続く。もちろん、テペル老師ほどの達人ともなれば、魔法づえの一振りでほこりなど未来永ごう、この世から消すことも可能なのである。しかし、本人は意外とこうした掃除を気に入っていた。
何でも、三年前に死に別れしたヒューマンの奥さんが掃除好きだったとかで、思い出すためにもあえて魔法は使わないのだという。
自宅兼ツアーガイドの仕事場であるこの場所を、今日も朝早くから奇麗にし始めた。今日は久しぶりにお客さんが来る予定である。昨晩、そのお客さんから水晶を用いた交換器――テレプスにそう連絡が入っていた。ほとんどもうけのない趣味のようなお店だが、心が弾む。
店の軒先にはこぢんまりとした看板を出している。光魔法でスペリングされた文字は「テペル老師の旅先案内所」と読める。
家の柱に埋め込まれた砂時計の砂が全て下に落ち、時を知らせた。
「イヤッホー。じいさん、今日もいい天気だなー。オイラはいなせな九官獣。そんなオイラが、九時を知らせるぜ。それじゃあ、またな老いぼれさん。長生きしろよ」
砂時計の上部から、カラクリ仕掛けの魔物が顔を出した。九官獣と自ら名乗るそのカラクリ時計のギミックは、口が悪いのが売りだ。高名な魔術師が老師の還暦祝いに贈った品で、とても精巧にできている。会話の組み合わせは五千万通り以上あるらしく、通常の人間がこの世を去るまでに、その全組み合わせを聞くことはできないほどだと言う。
「ああ、クロックス。今日もいい天気じゃ。お前さんの減らず口も相変わらずじゃな。たまには、もっと面白いことでも言えん……。とっとっと」
テペル老師が話し終える前に、クロックスを収納している扉がパタリと閉まった。いつもこんな調子で、老師の話が終わるのを待つことはしない。まあ、そんな具合に設計されているから仕方がない。だが、パメラばあさんが生きていた頃には、もっと長く出ていた気がするがのう。
テペルが折れ曲がった腰をたたきながら、柱砂時計とクロックスの小部屋に向かって小首をかしげる。と同時に、入り口の扉に据え付けられた呼び鈴が鳴る。
リリーン。リリーン。透き通るような鈴の音は、一直線の洞窟のような家の中に優しく響き渡った。
「見えられたようじゃな。今行くぞい」テペルはそう言って、足を玄関に向けた。
玄関に姿を見せたエルフの双子は、短い腰巻きの裾を軽く上げ、エルフ流の挨拶をした。テペル老師は、二人のエルフを見比べてこう思った。
〈何と面妖な。背格好が一緒で顔も寸分違わずうり二つ。しかし、肌の色だけこうも違うとは〉
長寿のエルフ族のため、年齢は余り意味を持たないが、人間の見た目で換算すると――十四、五と言ったところだろうか。老師は二人の少女を見て目を細めた。
耳先が人間よりもややとがっている特長はあるものの、それ以外はヒューマンとさほど変わりはない。森に仕え、森に生きる。エルフは優しい心を持った森の民だ。
向かって右側に立つ少女は、活発で利発そうな小麦色の肌をしていた。小柄な体に、申し訳程度の革製の衣装をまとっている。エルフは薄着の子が多いが、それにしても……。まるで真夏の格好だ。
左側の少女は、反対に大人しく従順そうな顔をしていた。肌は透き通る水晶のようで、白くつややかだった。彼女の服装もおそろいで薄着だった。今の季節はまだ秋先なのでそれほど寒くはないが、テペル老師は、見ているだけで自分が寒くなりそうだった。
「よく、いらっしゃいましたのう。ここは、旅のお世話をする……まあ、ちょっとした案内役みたいなところじゃ。まずは、入ってくだんせ」
テペルがエルフの少女二人を、家の中へ案内する。二人は物珍しそうに家の中を見回す。それもそのはず、奇麗に整頓してはいるが、どの調度品も老師の力量に見合った戦利品ばかりなのだ。レベルカンストした彼の戦利品は、おいそれと入手できる代物ではない。
部屋の右隅には、砂漠の教国リザの紋章にもなっているヘルタイガーのハク製。二本の牙がむき出しになっていて、そのどう猛そうな口からはみ出ている。そして、お客用のソファの材質は、全部水でできていた。水の魔法で固められたそのソファの中には水生植物が生え、何と色鮮やかな魚まで泳いでいる。
極めつけは、そう、無限砂時計のクロックスだ。柱型の巨大砂時計は、砂が全部落ちきると、自然と上に戻り始める。時計を逆さにすれば済むことだが、それが逆流するのがこの時計の面白いところだ。ちょうど重力に逆らって砂が登る回だったので、それを二人のエルフは興味深げに見つめた。
「ほっほっほ。さて、お嬢ちゃん方。特製のライモンティーでも飲みながら、お話を聞かせてもらおうかの」
テペルは白磁のティーカップにコハク色の飲み物を入れて、二人の前に置いた。
「ありがとうございます。とっても素敵なところね、ここは。あっ、私、チョコナって言います。こっちは妹のクリム。私たち双子なんです」
と褐色のエルフの方が言う。そう紹介されると、白肌のエルフもペコリと頭を下げた。
「ク……クリムって言います。あのっ、今日はよろしくお願いいたしますっ。ケホンッ」
たどたどしい口調で、妹と呼ばれたエルフが言う。小さなせきをしていた。
「ふぉっふぉっ。結構。それでお嬢さん方、どちらへの旅を御所望かのぅ。ワシの魔力で行けるところなら、どこにでも案内して進ぜよう。ワシのことは、気軽にテペルと呼んでくれ」
テペルがこの案内所を開業したのには理由があった。移動魔法は、魔力の強さによってその行き先が制限されてしまうのだが、老師ほどの魔力があれば大抵の場所に直接行くことができた。それが洞窟の最深部であれ、天まで届く塔の最上階であれ、だ。
もっとも、彼のレベルカンストの技術を生かせるという理由もあったが、一番は旅好きだった奥さん――パメラばあさんの影響である。二人で、この世界のあらゆる所を旅したものだ。
やがて、姉のチョコナが口を開いた。
「一度でいいので、カドケラス山脈のてっぺんに行ってみたいんですけど。テペルさん、そこまで行けますか?」
その話しぶりに、テペルは思わず吹き出してしまった。行けるかじゃと? 面白い、このワシに向かって。
「ふぉっふぉっ。行けるかと問われれば『もちろん』という答えになるのかのぅ。そこまでワシの魔法で連れて行ってあげることは可能じゃ。ウチは、それを生業としているからのう。じゃが、あそこはイグナシール大陸の中でも最も高くそびえる山脈じゃぞ。そこにいくからには、よほどの理由があるはずじゃ。それを教えてくれないか」
テペルはゆっくりと、人なつっこい瞳で二人のエルフを見返す。その瞳は、全ての真がんを見通す千里眼のような輝きを持っていた。
「えっと……」チョコナは答えに窮していいよどんだ。すると妹のクリムが、伏し目がちに答えた。
「そこに、忘れ物をしちゃったんです。それを、取りに行きたくて……。でも、私たち二人だととても無理なんです」
「ふむ、探し物か。まあ、よかろう。あそこは絶景のところだしのぅ。」
テペルは、ワシの奥さんもあそこから見る景色は大好きじゃった、と心の中で付け加えた。
「しかし、お二人さんはその薄着で行く気なのか? 天気がよければよいが、あそこは場合によっては雪原にもなる恐ろしいところなんじゃぞ。幾らお前さんたちがエルフ族とはいえ、それは真夏の格好ではないか」
テペルは、少し意地悪な口調で言った。山を甘く見てはいけない、――そうたしなめるためだった。
「平気よ、私たちって、寒さとか感じないから。ねぇ、クリム」お調子者の姉が言う。
「そうだけど……。もう、お姉ちゃんったら……」
双子が互いに言葉を交わすのを見て、テペルが先を促した。
「よかろう。それでは、移動は魔法で行うものとする。特に持ち物はなさそうだが、今からいけるかのぅ」
「はい。それで……費用の方なんですけど……」しっかり者に見えるクリムが言った。
「気にしなさるなお嬢さん方。私への支払いは思い出で結構なんじゃ。旅先で一緒に魔法肖像画でも作れれば、それでいい」
「そんなんでいいのっ? クリムさん、さいっこー」とチョコナ。
魔法肖像画は、印画羊皮紙に魔法の力で瞬間的に絵を描くものである。旅行の思い出として、この世界では定番となっている。その表現力は実物と遜色がなく、正に写し取る魔法と言えた。テペルは、ふっと思い出す。パメラと描いた思い出の日々を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――この世界における、最も高い山。カドケラス山脈。
天気に恵まれたようで、思いの外暖かかった。空気も澄んでいて、旅行としては最適の日だった。
そこから見える風景――。山脈からは、大陸じゅうの全ての荒野が見渡せた。広大な森や湖はもちろん、町や村の集落などが点在している様子が広がった。
頂上から見渡せる渓谷は、鋭い断崖と岩肌をむき出しにしていた。まるで竜が下から口を開けて、登山者が落ちてくるのを待ち構えているように。
姉のチョコナが妹のクリムの横に立ち、二人でその絶景を楽しんでいる。テペルはと言うと、一心不乱に大気に向かって魔法をとなえていた。せっかくの絶景を、もっとよく見えるようにする工夫だ。もちろん、ツアーガイドとしてのサービスとしてである。
それは、テペルの焦点魔法のなせる業だった。テペルが振るつえの先には、雲や大気中から水分が集まってきた。そして、その効果による光の屈折が一点で像を結ぶように集合させた。それはすなわち、巨大なレンズの効果を発揮した。そのおかげで、眼下に広がる絶景を余すことなく堪能できるのだ。
早速二人のエルフは、テペルが起こした不思議な現象に魅入っていた。
空気が薄い山頂であるにも関わらず、二人は走り回りながら、全方位の景色を眺めていた。堪能しているようにも見えるが、どこか慌てているようにも見えた。
また、テペルの目には走り回っている二人の姿がどこか奇異に映った。まるで呼吸を忘れた魚のように見えた。
「うわっ! 見て、クリム。あそこの城がくっきりと見える。あれが……。あれが……」
チョコナが指さす先には、美しい姫君でもいそうな、三角塔を持った色鮮やかな城が見えた。そこはハイセント帝国の城だった。最初ははしゃいでいた姉だったが、城を見つけてからは、少し口調が変わったようにテペルの耳には聞こえた。
クリムは姉に合わせながらも、ある一方向だけを凝視していた。テペルもその方角を見た。数百年はたっているとみられる深緑の森がその一帯に広がっていた。その近くには、先ほど姉が示したハイセント帝国の城が見える。文明と自然の対比に見えた。
その森の一角に、クリムが凝視している場所あった。茶色の何か。テペルの焦点魔法を持ってしても、初めはそれが何か分からなかった。
次第にはっきりとしていく輪郭。霧が晴れていくように、その場所の正体がはっきりとしてきた。森の大きな領域が、焼け野原になっていたのだ。その一帯の木は焼き放たれ、元にそこに何があったのかは分からなかった。
そして火種がくすぶっているのか、薄い煙が幾つか立ち上っていた。
二人のエルフは言葉を失ったように黙り込み、ただその焼け野原を眺めていた。それは、永遠に続く沈黙のようだった。
やがて、クリムの方が口を開いた。
「ありがとうございました。テペルさん。私たちはこれで前に進むことができます」
テペルには、その言葉の意味はさっぱりだった。
「はて? ここには、忘れ物を取りに来たのじゃなかったかな? それは、もう見つかったのかい?」
すると、二人そろって大きくうなずいた。
「それはよかった。ならば記念撮影といこうかのぅ。ほれ、ここなんてどうかの?」
テペルは、一番よく景色が見える断崖付近へ移動した。そして魔法肖像画のための呪文をとなえ、三人は広大な風景をバックに姿勢を正した。この魔法はある一定の時間、同じ姿勢をとり続けなくてはならない。
三人ともかしこまった笑顔をつくった。少しの間だったが、テペルは頭を巡らせた。
すると、森の風景と自分の記憶が重なり合うかのように、ある聞いた出来事が頭に浮かんだ。
ちょうど数か月前のある夏の日――。ここから遠くに見える、ハイセント帝国は自国防衛という名目の元、近隣領土への侵略を開始した。文明技術を総動員した、いわば戦争だった。領土拡張の意味合いは覆い隠され、その侵略は正当化されたと聞く。
世俗に疎いテペルだったが、少し前に見た回覧板の内容に思い当たった。ハイセント帝国に侵略され、滅ぼされた国があったはず。
――それが森の民。深緑のエルフの里か。
その思いにたどり着くと同時に、頭上でポンとはじける音がした。魔法肖像画が完成する合図だった。
三人は、その出来映えを一緒にのぞき込んだ。真ん中に立派なひげを蓄えたテペル老師が映り、左右にエルフの少女の姿が収まっていた。しかし二人とも半透明の姿で映っていた。やがて、どちらともなく言った。
「文明の進化。そして、人の争いをとがめることは決してできません。私たち森の民はそうして、何千年も生きてきました。生木のような白い木も、焼けただれてしまっては最後ですが……。それでも人間はその愚かなことを繰り返し、そして成長する生き物なのです。そこには成長があるのだと信じています」
二人のエルフは、人間に区分されるテペル老師に悲しげな瞳を向けた。そして、声をそろえて言った。
「もうお分かりでしょう、私たちがたどった悲惨な運命について。ですが私たちは、人間に復しゅうすることは考えていません。ただ、私たちの奇跡を胸に刻んでおきたかったのです。私たちは森がある限り、また立ち上がることができるでしょう。そのためにも、森の景色を焼き付けておきたかったのです」
一呼吸置いて、森の民は続けた。
「ありがとう。テペルさん。とても素敵な旅ができましたわ」
「いいえ、こちらこそ。ワシが魔法肖像画だなんて言い出すものだから、無理をさせちまったみたいじゃな」
本来であれば、その姿を写すことは難しかったはずだ。気力を振り絞ってもらったおかげで、半透明であれ姿を写し取れたのだ。テペルはそう理解した。
「さようなら、テペルさん」
「さようなら、森の気高きエルフの民よ」
互いに手を振った。
テペルは魔法を使わず、山道をゆっくりと降りていった。
雄大な山の姿を一度だけ振り返ったが――その後は二度と振り返ることはなかった。