1:5 呼吸をする方法を身につけた
「ガープ。人間は狡猾やから、気ぃつけてな…」
「わかってる。心配するな」
レムを見送り、ガープはパタンと扉を閉めた。
騒々しかった部屋の中は一気にシンと静かになった。
私は妙に居心地の悪さを感じてしまっていた。
なにか言うべきのような気がするけれど、どう言っていいのかわからない。
なにせ相手は人間じゃなくて魔族なのだ。
カツカツと鳴るガープの靴音が私の前で止まり、私はビクリと身をすくめた。
奴隷としての身分をわきまえず、感情的になってガープに向かって暴言を吐き散らかしたのだ。
両手切断は免れたとしても、なんらかの罰は与えられるに決まっている。
然り。今、まさにピンチである。
憮然とした表情でガープが私を見下ろした。猫に睨まれたネズミの心境が今ならわかる。
ガープはぐっと拳を握り、振り上げた。
――殴られる!
身体をこわばらせた私の目の前で、ガープは握っていた拳の人差し指をビシッっと立てた。
「いいか、クリス。あいつの人間嫌いは半端無い。身が危うくなったら俺に言え」
私は懸命にうなづきながら返事をした。
「は、はい! ありがとうございます…!」
なんで、ありがとうなんて言葉がでてきたのか自分でも謎だ。
咄嗟すぎて、なにも考えてなかったからだろうか。魔族に感謝なんておかし過ぎる。
ガープだって、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして驚いてる。
一度言ってしまった言葉は今更回収できないとわかっていても、なんとか誤魔化そうと私はしどろもどろに言葉を捜した。
「あ、あの…。さっきのは……」
どうしよう。なんて言おう。
私が言葉に詰まって言い淀んでいると、ガープがプイと横を向いた。
「べ、べつに、おまえを助けたわけじゃないんだからな…! レムの為に止めたんだからな」
そんな事、言われなくったってわかってる。
そもそもさっき言ってしまった感謝の言葉は失言なんだ。
それなのに、ガープは更に付け加えて強調する。
「か、勘違いするなよっ!!かわいそうになったとか、そ、そんな事絶対ないんだからな…! 断じて違うからな!!!」
くどい…!
そこまで全力で言わなくたってわかってるよ。
顔真っ赤にしてまで否定しなくたって。
どんだけ照れ屋さんなんだ!
照れ屋…
照れ……?
…………。
「もしかして…照れてますか…?」
恐る恐る確認してみると、ガープの真っ赤な顔がさらに赤味を増した。
然り。図星だったらしい。
蒸気でも出そうなほど顔を赤くし、慌てふためきながらガープが口を開く。
「ち…、ばっ…、な……!」
ち、ばっ、な! ってなんだよ…もう…。
ちがう、ばか、なに言ってるんだ、と言いたいのだろうとは思うんだけど。
どうやら、まともに喋れないほど動揺しているらしい。
魔族なのに、お礼ひとつで照れてるなんて。
おどろきもものきなんとやら。
もしかすると、ガープはものすごく純情だったり――いや、それはないか。
なんといっても人間を家畜、食材と言った張本人。
奴隷として働かせた挙句、食料としてそのうち私を食べる気なのだ。
そんな恐ろしく邪悪な輩がピュアなハートを持っているはずが無い。
私が奴隷として使い物にならなければ、たちまち私は食材だろう。
ああ! この受難をいかにして乗り越えてゆけばよいものか。
神よ、あなたの御心に適う為にわたしがとるべき行いをお教えください。アーメン!
私は胸の前で指を交互に組み、神に祈り、導きを求めた。
だが、黙祷を捧げる私の耳に響いてきた声は、私の望むものではなかった。