4:2 遠く輝く星は消え、代わりに周囲が明るみだす
神の導きか、さほど迷わず薬草が生えている場所までたどり着く事ができた。
早く薬草を集めて帰ろう。
そう思いながらせっせと雑草に混じった薬草を選別しながら摘んでいるうちに、一部が赤くなっている草を見つけギョッとした。
枯れたり、変色しているわけではない。血、だ。何者かの血痕。何者かが怪我をした状態でここを通ったに違いない。乾ききっていないからそんなに時間は経っていないようだ。まだ近くにいるかもしれない。
私は、途切れ途切れながらに続く血の跡をたどった。
森に住む獣だろうと思いつつ、草やぶをかきわけ発見したのは人間だった。
うつ伏せに倒れこんでいて動かない。
私は飛び上がって駆け寄り、生死を確認した。呼吸も脈もしっかりとある。ホッと息をついて意識を失っている人間を調べた。あちこち擦り傷や切り傷があるが、大きな怪我はなく命に別状はないようだ。年は三十代ぐらいだろうか。倒れている男性は赤ひげを少し生やしており、土や血で汚れてはいるが身なりが良い。
水筒の水で傷口を洗っていると男の口から呻き声がもれた。「うぅん」と唸りながら意識を取り戻した男は、私を見るなりカッと目を剥き、断末魔のごとき声をあげて跳ね起きた。鼓膜を貫くような男の叫びに私も肝をつぶし、男から飛び退いた。
男はさっと剣を手に構えた。しかし、ギラギラとした男の眼光が急速に和らぐ。
「君は……人間なのか?」
腰を抜かした挙句、言葉も出なかった私は、男の問いにコクコクとうなづいた。
男は剣を向けた事を詫びて鞘に収めた。彼の礼儀正しさに、私もようやく落ち着きを取り戻し、怪我の手当てを申し出た。
手元にレムから|(強引に)返してもらったタリスマンがあるから、ある程度の怪我ならすぐに治す事が出来る。
癒しの術で快復させ終わると、私と男は疑問の声を揃えた。
『どうして、こんなところに?』
足を踏み入れると抜け出せないと恐れられている寂滅の森深くで、人間に出会うなんて……。
互いに抱いた疑点に男が先に語りだした。男はニックスと名乗り、瞳を曇らせ首を垂れた。
「とある少年を捜していてね…」
「人捜しですか? でも、こんな森に人なんて…」
「消息を絶ったのがこの森の近くだと聞いたんだ。もしかしたら森に入ったのかもしれないと思ってね。不吉な噂のある森だけど調べてみることにしたんだ」
「そうなんですか……。この森は行方不明者が多いと聞きます。お捜しの方が無事に見つかるようにお祈りします」
「ありがとう。…でも、もう人捜しどころではないんだ。この森は想像以上に危険だった。とくにこの辺りは……」
ニックスは恐怖を浮かべた目でぐるりと辺りを見回し、息を潜めるよう声を落とした。
「お嬢さん、今すぐここを離れたほうがいい」
"お嬢…さん"って……。
顔立ちのせいで確かによく間違われることがあるけれど……。
「あの、私は――」
男です!
そう主張しようとした私の腕を彼は力強く掴み、何かから逃げるように森の中を走り出した。
引きずるように腕引かれながら私は声をあげた。
「ちょっと、待ってください!」
「シッ!」
大声を出さないようにとニックスが指で合図する。
私は抑えた声でニックスに言った。
「私は家に帰らないといけないんです。だから離して下さい!」
ぴたりと足を止めたニックスは目を白黒させた。
「家!?君はこの森に住んでいるのかい?」
「ええ…まぁ……」
「もしかして、君以外にも人間が住んでいたり……?」
「いいえ、この森で人間を見たのはあなたが初めてです」
「そうか。そうだろう。この森は人間が住めるような場所じゃない。ここは酷く危険だ。一刻も早く森を抜ける道を探そう」
ニックスの言葉に私は首を振った。
先ほどからニックスは、ここは危険だ、と繰り返しているが、この森に慣れてきたためか私はそこまで危険を感じない。
ヤマトの治療の続きもあるし、レムが家で待っている。私が戻らなかったらガープにだって心配をかける。
「君はいままでよほど運が良かったんだろう。しかし、その幸運がずっと続くとは限らない。アレに遭遇したら君の命は無い」
「アレってなんですか?」
「……魔族だ。魔族の生き残りがこの森に潜んでいたんだ」
「魔族……」
「この付近で魔族に襲われ、仲間を殺された。ここには魔族が住み着いてる。この森で失踪者が多いのは奴らに喰われたからに違いない!!」
ニックスの言葉が耳を通り抜ける。
すぐには意味を理解できなかった。理解したくなかったのかもしれない。
体が震え、止まらない。
わずかな可能性にすがって、ニックスに訊いた。
「本当に魔族だったんですか……?」
「一瞬だけだが、目が青白く光った。人間ならそんなことはない」
「それだけなら動物かも……」
ニックスは暗い表情で話し始めた。
「私はデネブとフラードという仲間二人とこの森に入った。昨日の夜、いつものように交代で仮眠をとっていたのだがふと目を覚ますと見張りをしていたはずのフラードの姿が見当たらなかった。わたしはデネブを起こし、二人でフラードを探した。ぬかるみに足を取られ、転んだわたしはフラードを見つけた。首だけのフラードを。暗闇のなかで何かが動くのが見え、わたしとデネブは剣を向けて斬りかかった。しかし、突如大きな黒い獣が横から飛び出してきて、振るった剣はその獣に当たった。その瞬間、黒い獣の向こう側で青白く光る目を見たんだ。黒い獣はそのまま姿を消し、青白い光もすぐに見えなくなった」
ニックスのいう黒い獣と怪我をしたヤマトの姿が頭の中で重なる。
「ここまでだったら、獣の仕業だと言えたかもしれない」とニックスは声を震わせ、続けた。
「わたしとデネブは明かりをつけて付近をよく調べた。そこにあったフラードの遺体は無残なものだった。首を切り落とされたフラードは腹を切り裂かれ、足を鞭で縛られた状態で木から逆さに吊るされていた。獣の類にそんな事ができると思うか? 血を抜き、内蔵を掻き出し、おぞましいことにフラードを食べる為に解体してたんだ! 魔族の仕業としか考えられない!!」
私は血の気が引いてしまい、意識が薄れそうになった。
レムの仕業だと決まったわけじゃない、と心の中で何度も繰り返した。
「フラードを木から下ろし、首を拾って内蔵をかき集め、墓をほってフラードを埋葬した。夜が明けたらすぐにデネブと二人で町へと引き返すつもりだった。けれど、夜が明ける前にわたしたちは火矢を使う何者かに襲われた。必死に逃げたがデネブは途中で火矢に射抜かれ、炎に包まれ……」
ニックスは涙に片手で顔を覆い、肩を震わせた。
「火矢でわたしたちを襲ったのは間違いなく魔族だった。炎に照らされてその姿が見えたんだ。耳が長くとがっていた。黒髪に紫色の目をした魔族だった」
「黒髪……紫の瞳……」
私はカラカラに乾いた口の中で反芻した。
ガープの髪は黒く、目も菫色で紫だ。長くとがった耳は魔族の特徴でもある。
けれど、ガープは親切で優しくて……、レムだって本当は純粋で泣き虫で……
そんな二人が人間を殺したなんて考えたくない。
考えたくない。
考えたくないのに……。
二人が魔族というだけで、納得できる理由になってしまう。
魔族と人間、私の中で薄れかけていた境界線がくっきりと浮き立った。
「ニックスさんは早くここから逃げてください」
「君は?」
「私は……用事があります」
私はいても立ってもいられなくなって、全速力で屋敷へ駆け戻った。




