2:4 時には苦悩をもたらす
ああ、せめて…。
せめて、さっき洗った洗濯物をきちんと干したかった。あの洗濯物達を輝く光のもとに導いてあげられなかった事がなんとも心残りだ。
レムの背後に見える晴れ晴れしい空をみながら、私の心は鬱々と曇った。
神よ。この手に託された洗濯物達にすら、安寧をもたらせる事が出来なかった未熟な私をお許しください。
死を前に悔恨する私の耳に、悠揚たる釣鐘の音さながらにガープの声が届いてきた。
「あー、俺だよ。俺」
セリフはオレオレ詐欺みたいだけど、正義の味方みたいなタイミングでの登場っぷり。
「俺が洗濯に持っていけってクリスに言ったんだ」
ガープ、絶対助けにきてくれるって信じてた――
なんて、
微塵にも思わないんだけど!!!!
頼むから、早く立ち去って欲しい。
なぜならば…
怒りに燃え滾るレムの視線がじっとりとガープへ移る。
今のレムは噴火寸前の火山さながらだ。火の粉がかかるぐらいじゃ済まされない。
私はあわてて、レムを止めようと腕をつかんだ。
レムの目線が素早くこちらに戻る。
無我夢中で私は言った。
「ガープのせいではありません! 勝手な事をしたのは私です。すぐに洗濯物は乾きます。だから少し待ってください。責任はその後で私が取ります」
うっとおしそうにレムが眉をしかめる。
言葉なんかでレムを説得出来るはすが無いのは重々承知。
けれど、だからといって何もせず、ガープが巻き込まれるのを黙って見ていられない。
チッと舌打ちが聞こえた。
レムは苦々しい表情で口を開く。
「早く服干してこいや」
奇跡。
然り。奇跡!
私はレムの気が変わらぬうちに、ガープを引っ張って急いで部屋を出た。
極度の緊張が薄らぐと、私は痛みを感じ呻いて床にうずくまった。
レムのメガトンキックの影響がまだまだ身体に残っている。
大丈夫か、と尋ねつつガープが呆れた様に続けて言った。
「レムの攻撃、受け止めようなんて無茶な事するなよ」
「受け止めようなんて思うわけないじゃないですか……」
「だったらすぐ俺を呼べば良かったのに。危ない時は呼べって言っただろ」
そう言ってくれるのはありがたい。
しかし現実的には電光石火のレムの前で、そんな猶予なんてない。
それに、私のせいでガープがレムと対立しなければならなくなるような状況は作りたくない。私にとってレムは恐怖の大王でも、ガープにとっては大切な仲間なのだろうから。
ガープが首をひねりながら不可解そうにつぶやいた。
「しかし、レムが洗濯ぐらいであんなに怒るなんて意外だな~…」
「ちっとも意外じゃありませんよ! レムは私がする事は全て気に入らないんです。私が人間だから」
「まぁ、確かにレムは人間嫌いだけど、それはおまえも同じだろ?」
「は?」
レムは短気、私は温厚。まったくもって正反対。
一体全体、レムと私のどこが同じだと言うのだろうか。
私は答えを求めて、ガープの顔をじっとみつめた。
ガープが口元に苦笑いを浮かべる。
「クリスは魔族嫌いだろ?」
ピシャリと冷たい水を浴びせられたような気がした。
魔族嫌い――そんな事、意識して考えてみた事も無かった。
当たり前すぎて言うまでもなく、魔族なんて当然ながら嫌いである。
人間嫌いと魔族嫌い、言われてみればどっちもどっち。魔族嫌いの私に、レムが人間嫌いだと非難する資格があるのだろうか…。
「そうですね。私は魔族が嫌いです……」
「いつから? 俺達に出会ってから?」
いいえ、と私は首を横に振った。
そう思うようになったのはいつからか?
なにかきっかけがあっただろうか? いいや、物心付いた時には魔族は邪悪なものとしてすでに嫌悪すべきものだった。
「いつから、なんて覚えてません。だけど、他の人達だって皆、子供の頃から魔族は悪しき者だと考え、嫌っています」
「俺は、他の人間たちの考えてる事を聞いているんじゃないんだけどな」
他の人間の考えではない、私の考え? 私自身の考え……。
澄んだ菫色の瞳でガープが真っ直ぐと見つめてくる。
魔族の瞳というものは実に綺麗だ。
少なくとも、この瞳は嫌いじゃない。
「まあ、いいや。洗濯するんだろ? 早くやろうぜ。俺も手伝うからさ!」
明るい笑顔でガープが手を差し伸べる。
魔族だけどガープの事だって嫌いというわけじゃない。
私はためらいながら手を重ねた。
私の考えだと思っていたものは、果たして本当に私の考えだったのだろうか――。




