1:1 それは導きであり、試練である
そもそも、森の中で迷ったのが発端だ。
行き倒れ寸前のところ、彼らと出会い、私は命拾いした。
それから今日で三週間目になる。
運が良かったかどうかはわからない。
私は今、彼らとの出会いはこの上ない災難だったと感じている。
∴∴∴
「クリス、これ洗濯頼む」
「わかりました。洗ってきます」
「クリス、腹減った」
「食事の用意をしますね」
「クリス、ノド渇いた」
「お茶がいいですか? それとも、お酒がいいですか?」
「クリス、休憩だ」
それは、満ち満ちた桶を溢れさせる最後の一適だった。
「聞こえてるのか、クリス。休憩」
偉そうに同じ言葉を繰り返すガープを目の前に、私はついに口火を切った。
「そんな事でいちいち呼びつけないでください!!!休憩したいなら勝手に休めばいいでしょう!!」
つまり、そう。
然り。誰にだって我慢の限界というものがある。
「大体、休憩というのは一生懸命作業に取り組んでいる者が享受すべきものです! あなたは何もしてないのに何において休憩するんですか?」
ガープを思っきり睨み付け、さらにまくし立てた。
「それでも休憩なんて言うのなら、そこのベットで寝ていればどうですか!?いっそ、永遠に眠ってろ! 二度と目を覚ますなっ!!!」
私が怒鳴り散らして息を巻くとガープは肩をすくめた。
ツヤのない黒い髪をかきあげて、ガープが溜め息混じりに口を開く。
「俺はね…」
と、あきれた顔をしながら話出したガープの表情が突然凍り付いた。
菫色のその瞳に動揺が浮かんで見える。
ガープの視線は、私を通り越したその後ろをまっすぐ捕らえていた。
私の後ろに、恐ろしいものがいるらしい。
それが何であるか、私はすぐに察しがついた。
背後から漂う殺気。凶悪な負のエネルギーに胸元の刻印がチリチリと焦げるような感じがした。
――あいつだ…!!
次の瞬間、壮絶な痛みに襲われた。
心蔵を内側からえぐられるような激痛に胸をかきむしる。
叫ぶどころか、息さえも出来ない。
「……ッ…ゥ…」
声にならない声を洩らし、私は床の上に這いつくばった。
「これやから、人間は嫌なんや…」
後方からの冷たい一言と共にドスッと背中を踏みつけられる。
肺から無理矢理押し出された空気と一緒に「カハッ」っと血がこぼれた。
「おい、加減しろよ! クリスが死ぬだろ」
とガープの声。
しかし、私を足蹴にしている人物は加減なんてするはずが無い。
なにせ、あいつだ!
「オレは殺したいんやけど」
背中に加わっている圧力がググッと増す。心臓が押しつぶされてしまいそうだ。
姿を確認しなくとも、私を踏みつけているのが誰だかはっきり判ってしまう。
レムという少年に違いない。
彼の、『殺す』という言葉は冗談でもなければ脅しでもない。
レムは私を殺したいと思っている。本気も本気だ。
殺意の理由はただ一つ。
私が人間だから、だ。
一般の人間からすれば不条理の極みといえるこの理由。
しかし、彼らにしてみればこれほど正当で充分な理由は無い。
彼ら――、ガープとレムは人間に滅ぼされた一族。
"魔族"の生き残りなのだから。
そして私は現在、因果な事にその魔族の奴隷として生きている。
ああ、でも、もうじき、殺されてしまうかもしれないけれど!