死の記憶
『死』が神格化された存在の物語
ディシーセル。彼は、『死』である。
死を司る。誰が死ぬべきか。死なねばならぬか。誰が生きるべきか。
すべての決定権を握る。
『ガドニオン』と呼ばれる神々の会議においても権力を持っている。
なぜなら彼は、人間はおろか魔物や神、器物、星などの死も左右する権利を持つからである。
対して双子の弟、エグジステル。彼は、『生』である。
生を司る。民は彼を神格化した。だが彼は現在、己の私欲のために人間を生かし、そのために追放刑を受けている。返ってくるのは50年後のことだという。
人類は古くから、あらゆる神々を信仰してきた。
起源は神話に始まり、彼らは神話を根拠にあらゆるものを建造し、言い伝え、そして伝統を守った。
現在でも、それらはあらゆる創作物や、現実世界における創造物のインスピレーションの源となっている。
しかし彼らの人生は、その神々の中でも一握りの存在に託されているのである。
雷や、水や、火や、土や、空気。また、知力や、人類の秩序、あらゆる世界の秩序を守る者はたくさんいる。
しかし、その全てがやがて進む終着点、『死』を司る者は、ディシーセルその人しかいない。
昔は彼も、情に熱い男だった。エグジステルと同じである。エグジステルは、たくさんの人間を憐れんで、人生を多分に与えた。人口の少ないところに人間を増やした。
中国やインドの人口増加はそのせいである。
しかし、気が向いたときにしかやらないなど、多少自分勝手なところがあった。
ディシーセルも、そういうところが気に入らなかった。弟なので疎ましく思ったりはしなかったが、それでも彼の行動に問題があることはわかった。
エグジステルはやがて、無数の女を手に入れた。白いタキシードに身を包み、人間界、フメンウォルドに足を運んでは女性を手に入れていた。
ディシーセルはそう言ったプレイボーイ的なところはなかった。真面目に勤勉に、神々に相談し死すべき人間を選んだ。審判の神アービタルスとも真面目に働いていた。
しかしある時事件が起きた。
エグジステルは、途上国で出会ったストリートチルドレンたちに情が移ったのだ。『判断を下す神に私情は禁物である』というルールがあるにも関わらず、彼は死に瀕している子供たちを助けたのだ。
彼はガドウォルドに帰ると、ディシーセルを追及した。
ディシーセルが仕組んだことだと。
しかしディシーセルは、運命の神によることだと言った。また、他の神の決定に個人で逆らうことはできないと反論した。
エグジステルはアービタルスに判断を仰いだ。
アービタルスは、運命の神に連絡をとったところ事実だったことを明かした。
運命の流れは、神も予期できない。運命の神は、運命を知るのみであり、運命を決めることはできない。運命の神はその運命をディシーセルに伝えた。運命の決定に逆らうことは、神の力があってもできない。逆らおうとする行為自体が禁じられているのである。
その後、エグジステルが助けた子は、息を引き取ったらしい。
一人の少女の死に、神々が悲しんだことは初めてだった。
エグジステルは、他の神の決定に背いたこと、また運命に逆らおうとしたことを理由に、100年の追放を命じられた。
ディシーセルは、そのことから勤勉になった。そのため、多くを殺した。心の痛みは彼の本質的な部分をむしばみ始めた。
そしてディシーセルにも、『運命』のジャッジが下されようとしていた。
運命の神によって、自身の死期を告げられた。
アービタルスは、彼が死ぬべきか死なざるべきかを決めようと言ったが、運命は変えられぬと言われ、断念した。
ディシーセルはもう終わりである、そう書き記し、彼は自身の名を刻んで死を選んだ。
後継者にはディシーセルの息子がついた。
なお人間は死んで行くが、運命の流れを変えることはできない。
運命は人間どころかすべてのものに平等に存在する。
しかし運命を知ることができるのは運命の神だけだ。
生きるすべてのものは、運命を知らぬままに生きている。
生きようとする自身の道が、仮に運命にすでに記された、決定した未来だとしても、我々は生きるしかない。
支配されているという自覚がないということは、自由ということなのだから。
ディシーセルはこう書き記していた。
ディシーセルが死んだとき、運命の神フェイタルスは考えた。
運命の拘束力はいかほどか。
人間の思いで運命は変えられるのか?
もし違えば、我々の考えも感情も決められていることになる。
ならば決めているのは誰なのか?
神々も含むすべてを作った『真の創造主』とはなんなのか?
しかしその真の創造主も運命の拘束を受けるのなら、結局すべてを作ったのは誰なのか……。
――運命などないのか?
頑張りました