お義兄様は変態です。
お義兄様超怖い。
始業式を終えてこそこそ帰路についたわたしは、ぐずぐずと玄関の前でもたついていた。ああ帰りたくない。帰ってきたけど。
あのあと、わたしはお義兄様に笑顔でアルノーからひっぺがされ、アルノーは重傷(精神的に)なのにぽいっと放り投げられた。ぎゃっと悲鳴をあげたわたしに向かってにこやかに微笑みつつ、「早く晴れ姿を見せてね」と脅しにしか聞こえない言葉で退場を促したあの顔。ああ怖い。あの顔は、絶対、遠くから一部始終を見ていた顔だ。過保護の気のあるお義兄様は今間違いなくお怒りでいらっしゃることだろう。始業式中ずっと感じるわけない視線を感じてほんと怖かった。
——逃げよう。
わたしは血迷った気分でくるりと踵を返した。が。
「お帰りグレーテル、遅かったね」
あっさり開いた扉から現れたお義兄様の手にはっしと腕を掴まれた。いやー!
ずるずるわたしを引きずりお義兄様は家に戻る。わたしはがっくり項垂れた。
お義兄様のしすこんっぷりは昔からの知り合いにはとことん知れ渡っている。何せ町ででくわせばお義兄様はわたしを寒気のする美辞麗句で褒めたたえて口づけ、抱きしめては抱き上げる。羞恥心で死ねそうなわたしと違って友人達はみんな「勝手にやってろバカップル」みたいな生温い目を向けてくるのだからたまったもんじゃない。ちょっと! わたし、義妹! い、も、う、と!
(これだから恋人の一人も出来ないんです!)
見た目も中身もさっぱりなわたしは仕方ないとして、お義兄様はきっとたくさんの女性の目に留まっていらっしゃるはずなのに、未だに恋人を見たことがない。出来ればうっとりするくらいの美人さんを連れてきて欲しいものなのだけど————
「だからね、お友達の助けになるのは良いけど、危険なことはしちゃ駄目だって言ってるでしょ」
「……はい」
「ああいう場合は先生を呼びにいきなさい。君に何かあったらと思うと本当に胸が潰れるところだよ」
「……はい」
「あと軽々しく男にまとわりつかないの。ぼんやりしてると食われるからね」
「…………は、い?」
意味が分かりませんお義兄様。
怪訝になるわたしの反応が気に要らなかったのか、お義兄様はむっと秀麗な眉をひそめた。ぶに、と鼻の頭を指で押される。くっ、並以下の顔がさらに変形するではありませんか!
「分かってなーい」
「お義兄様の言葉の方が分かりません」
「……うーん、ちょっと過保護にし過ぎたかな」
ふと、お義兄様は困ったような顔になった。その通りですよ、と言いたいところをぐっと我慢する。わたしはお義兄様のこういう表情に弱い。どんなに変態でもお義兄様はわたしのお義兄様で、嫌われたら怖いと思う一番の相手だ。これでもわたしは家族を愛しているから、なるべく困らせたくないものだと思う。だけどもそうはいかないのが現状で、お義兄様はたんとわたしに甘いけれど、とてもとてもわたしの素行に厳しい。厳しいというか、妙に構いたがる。正直鬱陶しいことこの上ないのに、美人顔で困り顔をするからわたしは自分がものすごく悪いことをしたような気分になる。ずるい。ずるいったらない。
「グレーテル、そんな顔をしないで」
ふわりと身体が一瞬宙を浮いた。あんまりにも軽やかにお義兄様に抱き上げられる。同い年の間でも小柄な類に入るわたしでも、十六ともなれば随分重いはずだ。なのにお義兄様は何でもないことのようにやってしまう。子供に戻ったようで、ものすごく、ものすごく腹立たしい。むすっとするわたしにお義兄様はさっきまでの不機嫌顔が嘘のように柔らかく微笑む。ちゅ、と耳たぶを吸われた。髪の毛を払われて、首筋を撫でられる。ぞくりとした感覚が背筋をはしった。
「お笑い、グレーテル。可愛い顔が台無しだ」
「わたしはいつもこうでしょう」
「そうかな、それじゃあ僕のグレーテル。良いと言うまで目をつむっておいで」
何がそれじゃあ、だ。舌打ちしたい気分になりながらも、わたしは結局お義兄様に逆らえない。しぶしぶ目を閉じる。とろりとした闇が広がる。光が遠くにあるのにとても暗い。ふと幼い頃の記憶が甦りそうになって、それがすさまじく不快で、わたしはぎゅっとお義兄様にしがみついた。すると宥めるように背中を撫でられる。小さい頃にもされたそれは、だけど昔よりずっと丁寧で、壊れ物に触るようなのは一緒なのに、決して手放すまいとするように執拗だ。ぞわりとするほどの甘さと執着。そのようなものを含んで服の上から肌に貼り付くように撫でられる。——————こ、の。
ド変態がっ!
目裏に襲いくる闇も忘れてぎりりっと唇を噛み締め、思わず怒鳴りそうになったところを指で塞がれる。押し付けられたそれは心臓があるみたいな振動を含んで、それから熱い。そこから熱が伝染するようだった。せ、せくはら。これはつまりせくはらというやつではないの?!
そう思うのに今何か動くとさらに悪いことが待っていそうで、とりあえずお義兄様の機嫌が完全に回復するのを目を閉じて待つ。
「……酷いねグレーテル。君は、本当に、綺麗だから」
「……っ、」
耳元すれすれで喋んないでくださいってば! 訴えますよ!?
「めちゃくちゃに潰してあげたくなる」
————え、
えぇえ?
ひやっとした。え、お、お義兄様? ちょっとー? 何ですか今の病んでる発言。マジでやりそうだから怖いんですけど!?
こつ、と額を押し付けてお義兄様は息だけで微笑った。だいすきだよ、グレーテル。人形にして閉じ込めてあげたい。そんなことをさらっというお義兄様。ああなんてこと。一体あの麗しき日々のお義兄様はいずこに。どーしてなんだってこんなに変態一直線になってしまったのか。もしやお義兄様が行っていらっしゃった学校にはこういう人がたくさんいらっしゃるのか。いやああああ、信じらんない。わたしのすてきなお義兄様を返せ!
腹の中で大分失礼なことを叫んでいると、ふと甘い息が唇をくすぐった。こそばゆい。わ、と身体を強ばらせる。——と。
「……ん、ぅ……っ」
ちゅう、と今度は唇を押しつけられた。吸い付くように、貪るように。
「っは、……ん」
角度を変えて幾度も。首が自然と後ろへ引き、けれどもその後頭部を押さえつけられる。食べられるみたいに、接吻は続く。息つく間もない。もぞりもぞりとお義兄様の唇が動き、わたしのそれを蹂躙する。おそろしいまでに惑乱的なその感覚に乗せられて口内を唾液が溢れる。だというのに妙な渇きが疼いて口の中がからからしてきた。——う。
(ぎゃ、あ、あ!)
ひー! やばい! お義兄様どんだけしすこんなの!? 触れ合い過多過ぎー!
軽く涙目になったところで、ふっとお義兄様は離れた。けれどもほっとした瞬間再び奪われる。——ちゅ、と小鳥がついばむような口づけで。
わたしはげんなりしながらお義兄様を見上げた。……にっこりしている。これ以上なく輝いている。
(どうして!? わたしがこんなに息切れしてるのに何でこの人はまったく呼吸の乱れもないの!?)
……もしかして、実はお義兄様は女慣れしていらっしゃるのか。もしそうならさっさと恋人を作ってくれ。
「お、おおおお義兄様?」
「うん?」
「か、家族の触れ合いにしてはちょっとこう濃厚過ぎると思う、んです、が、ね」
「今更?」
くすり、と妖しくお義兄様は微笑う。そりゃ、お義兄様に口付けられるのは初めてじゃない。でも年頃の娘としては、そろそろ勘弁願いないものだ。
だって、キスって、口にキスって、こんな年にもなれば普通恋人同士でやるもんでしょう?!
「もうわたし十六なんですってば!」
「何言ってるの、これぐらい挨拶でしょ?」
「学校でこんな挨拶しませんよっ!?」
「当たり前でしょ。馬鹿だねぇ」
えー!? 何でわたしが馬鹿にされるの!?
おたおたするわたしを愛おしそうに見つめて、お義兄様はそれはそれは美しく首を傾ける。様になるところがとってもむかつく。
「解放的な人の多いセリエアゴイスティーナじゃ、こんなのキスのうちにも入んないらしいけど?」
「え、えええ? で、でででも、それはあの、あの太陽のお国では、の、はなし、で」
「兄弟愛が深いのは良いことじゃない?」
「えー……ま、まあ、そう? です、けど。お義兄様、いつまでたっても恋人出来ませんよ?」
「いーよ別に。僕にはグレーテルがいるから」
わたしがよくないんですけど!
反駁しようと口を開いたら、素早く唇で塞がれる。音を立ててキスされ、わたしは何故だか真っ赤になった。あああああもう、恥辱!
お義兄様はぺろりとわたしの耳を舐めながら、わたしの髪の毛をいじくって、蕩けるように目尻をゆるめる。
「……ね、グレーテル。君には僕がいるんだから、狼なんかに近寄らないで。恋人なんていらないでしょ?」
……ああ、病んでるお義兄様。
これってもう矯正不可なんでしょーか。
義妹はとってもとっても哀しゅうございます。
グレーテルの中では外人さんのキスハグ的なちょっと行き過ぎた挨拶として処理されております。偏ってる!
セリエアゴイスティーナ:南の華やかな似非伊太利亜ちっくなお国。