親愛なる友人によるとばっちり的被害について少々。
「グレーテル————!」
家にいても学校にいてもどうしてこうどいつもこいつも問題起こすんでしょーか。
抱きついてきた友人の肩をぽんぽんと叩きながら、わたしは目の前の真白いのに巨大過ぎるせいで影が出来ているしろものをぼうっと見上げた。
「フリーダ……どうしてこんなことになっちゃったんですか……」
ぶわわっと広がった翼は金色の粒子を振りまき、そやつは赤ら顔で機嫌良さげにふんふんと歌っている。大音量で。良い加減耳がびりびりしてきた。
ふわふわした、淡い栗色の髪を可愛く二つに結ったフリーダはもうすでに半泣きだ。わたしも泣きたい。
「わ、わかんない、あたし、林檎酒をちょっぴりエッセンスに使っただけで、」
——だからその林檎酒がいけなかったんですよ!
叫びたいところを堪えてなんとかため息に変換する。見上げた先では、酔っぱらって巨大化して今にも学校を破壊しそうなのにとっても機嫌は良さそうな神獣様がわふぅと大きな鳴き声をあげた。
……今日、始業式なのに。
王都の外れにひっそりと立っている我が家はいかにも怪し気でボロい木造家屋だけど、町の方に降りればほとんどが石造りだ。わたしの通うアンナ=バルバラ高等神学校もそう。貴族のお子様もわりと多く通うこの学校の強度はそれなりなのに、今にも倒壊崩壊の危機とは何とも目頭の熱くなることだ。
村外れや王都を離れると少ないけれど、神学校には大抵神獣様か聖獣様が一体いらっしゃる。建設時にお呼びして、学校への加護を乞うのが伝統だから。——そのご加護をくださる神獣に脅かされていては皮肉にもなんないけど。
何で偉大なる慈悲深き絶対不可侵の神獣様が巨大化して酔っぱらっていらっしゃるかと言うと。
普段の神獣様はころんと子犬のような小ささで、ぴすぴす鼻を鳴らしながらお眠りでいらっしゃる。そのお世話をするのが『神獣様お世話係』の仕事だ。まんま過ぎる名称は突っ込んじゃいけない。
その略してお世話係の本日の当番が、わたしの初等神学校時代からの友人であるフリーダだった。
フリーダは基本的に良いひとなのだけど、大抵何かしら自爆する。そして周囲を巻き込むのが日課だった。ここ一番の被害者は多分わたしで間違いない。酷い。ていうかそもそも始業式まで生徒に仕事を任すってところが鬼畜過ぎる。だいたいフリーダ一人に任せるからこんなことになるんだ。せめてアルノーがいれば止めてくれたかもしれないのに。……………………そこだけで被害が止まったかもしれないのに。
「うわあああああん! どうしようグレーテル、エサイアス様、うちの学校全壊させちゃうのかなぁ!」
「ちょっ、洒落にならないこと言わないでください!」
恐ろしい!
ちなみにエサイアス様というのは神獣様のお名前だ。如何にも仰々しい異国の響きを有するこの名前、学校長様がおつけになったとかどうとか。とりあえずセンス激悪のフリーダじゃなくて良かった。それからフリーダが勝手に愛称をつけようとするのを、アルノーが止めてくれて本当に良かった。恐ろしい子!
「ああもう、早く何とかしないと」
「なんとかって、どうやって!?」
「…………な、なんとかはなんとかです! ていうか、当番って二人制ですよね? クラウスでしたっけ……どこいったんです?」
「逃げた!」
「…………」
気持ちは分かる。気持ちは分かるが——————後でシメる!
ここは聖堂の裏庭で、もっと正確に言うと神獣様のまします神聖なる『奥花園』が、酔っぱらった神獣様のおかげでぶっ壊れて裏庭まで繋がった丁度境界線、っていうのが正しい。わたしはたまたま聖堂の清掃当番で早めに来ていたから、お世話係の当番だったフリーダの暴挙に巻き込まれたわけだけど。ついてないったらない。まあ他に人がいなかったのが不幸中の幸いだけど。……いや、逆に不幸中の不幸じゃ……? あれ?
だんだん迷走してきた現実逃避の思考を振り払い、わたしはぐにぐにと眉間の皺を揉み解した。
「アルノーは一緒に来なかったんですか?」
「あっ、来てる、はず!」
忘れていたのかフリーダはぱっと目を見開いた。瞬時に希望か何かで頬が紅潮する。……同行者の存在を忘れてやるな。
とりあえずアルノーがくれば少しはましだ。フリーダもだけど、アルノーはより天におわす清らかなる方々の恩寵を受けやすく、大抵の神聖生物は彼を害することはない。たとえ酔っていても彼の言葉は届くはずだから。
フリーダは大きくを息を吸い、右手につけた腕輪を握りしめて、
「あああああるううううのおおおおおおおおおお!」
……吹き飛びそうなほどの大声で叫んだ。
「フリーダ、——とエサイアス様!? おまえ何したの!?」
フリーダの大声にわたしが頭をぐらぐらさせている間に、びっくらこいた風情のアルノーが息を切らしてやってきた。一体どこにいたらこんなにすぐに駆けつけられるのか——いや、違う。そうか。またそこら辺を浮遊している神々の眷属にでも運んでもらったんだろうな。神術も芯術もてんで駄目なのに、これだけは学校一なんだから、アルノーの魂には頭が上がらない。神々は魂の彩と資質、そしてその希有さと高潔さに惚れるらしい。そんな神々にも好みがあるっていうのにアルノーはほとんど全てに愛されている。本人が悪ぶっても本質は変わらないっていう証明だ。アルノー自身はちょっと恥ずかしいらしいけど。
「うわああああんアルノー! どうしようエサイアス様元に戻る!?」
「いや、ていうか……グレーテル、これどういうわけ?」
「林檎酒をお供えものに混ぜてしまったようです」
「————っの、馬鹿!」
「いったぁ!」
ガツン! という容赦ないげんこつが落ちた。もちろんフリーダの頭にだ。わたしじゃない。そんな二人を見ながらわたしはそろそろ焦ってきた。どうしよう、もうすぐ定刻が近づく。今日は始業式。学校のみんなだけならともかく、父兄の皆々様がいらしてしまう。それは困る。大いに困る。学校の面目に関わるっていうのもある——だけど何より、お義兄様にわたしが関わっていることがばれたら!
(学校が潰れる!)
もう本当にしすこんを何とかして欲しい。面倒臭い。
「あ、アルノー、お願いします。神獣様を……っ」
「あ、ああ悪い。——ったく、フリーダ、後で説教だぞ!」
「えええええええ!」
ええええええじゃねぇ!
ぶち切れそうになったところを呑み込む。アルノーは気軽げにたたっと走り出し、巨大化した神獣様に飛び乗った。なんつう不敬を! と目を剥くわたし達をおいて、アルノーはもふもふした神獣様の耳元で何事か囁き、次に口許へ歩を進めた。正直酔っぱらいを何とかする方法なんてわたしは知らない。アルノーはどうするつもりだろう。とか思っていると。
「え」
アルノーの茶黒い頭がかっ開いた神獣様の口の中に突っ込んだ。
「————————あ、アルノーがエサイアス様に食べられたあああああああ!」
ちょっと待ってくださいフリーダ! まだ食べられてません! 入っちゃっただけです!
と心中で突っ込むものの、わたしもわたしで絶叫寸前だった。えええええ、どうしよう!
青ざめてハラハラしていると、不意に神獣様がクワッと目を血走らせた。ぎゃー! 怪奇。
『げぷう』
ぽこん、と。
アルノーが放り出されたのはその時だった。
ぺっと吐き捨てられた彼はべしゃっと地面に転がった。ごろごろ転がった。哀れ。
慌ててぱたぱたと近寄ると、ぐおおおおおといたく苦し気な声で唸りつつアルノーが起き上がる。同じく駆け寄ったフリーダがあっと声を上げた。
「エサイアス様……!」
しゅるるるるる、と妙に間抜けな音を立てて神獣様は小さくなっていった。こてん、といつも通りの小柄で可愛らしいお姿でいつもの数倍気持ち良さそうに寝息を立てている。
——ま、間に合った、んでしょうか?
どきどきしつつ見守る。フリーダは小さくなった神獣様をそっと抱き上げ、背中を撫でた。けぷ、と親父臭い息を吐かれ、彼女は軽く眉をしかめる。
「お、お酒臭い……こんなに盛ってなかったのにぃ」
盛って、って。盛って、って! 毒か!
くすんとしょげるフリーダの様子に、とりあえず一件落着と息をついて、わたしは一番お疲れのアルノーを覗き込んだ。げっそりしている。
「気霊と風霊に手伝ってもらって、酒精を抜いたんだ」
「え、でも、お酒臭いみたいですけど……」
「あれはエサイアス様の周りに充満してるだけ。少なくとも始業式中は大丈夫」
おお、さすが神の寵児。ちょちょいのちょいだ。
お義兄様にばれないうちに解決したので、わたしはついつい尊敬の眼差しで彼を凝視した。居心地悪そうに照れ笑いしたアルノーは、ふとその顔色を真っ青にした。え、あれ、何でですか。
「あ、へ、え、ヘヘヘヘヘヘヘンゼルさん……っ!?」
え。
わたしの顔も引きつった。
こつ、と床を踏む音に振り返る。ああ聖堂の方からいらっしゃったのか、とどうでも良いことを考えた。
「——————グレーテル? 何してるの?」
きゃー!
わたしは精神的な恐怖のあまり、うっかりアルノーの首を絞める勢いで抱きついた。
……ええ、それが、一番まずかったって分かってますとも。