お義母様の非生産的なご趣味について少々。
お義兄様も大概おかしいけど、それはお義母様も同様だ。
わたしたちのお義母様はお義兄様と血が繋がっていないことが不思議なくらい、衝撃度大の美人で、艶やかな黒髪と神秘的な紫の瞳がため息の出るほど美しい。異国風のスリットの入ったドレスを着ても何ら笑えない似合いっぷりには頭も上がらない。
でも、変。
「———————————————ッッぁああああああッッ!」
超音波よろしく響いた奇声とともに、がしゃーん! と窓が割れる音がする。窓。何でその場にいないのに分かるかと言えば、日常茶飯事だからだ。
きしゃああああああああ! と次いで酷い唸り声。ああ朝っぱらからどうしてうちの家族はみんなやらかしてくれるんでしょうか。もうちょっとわたしに優しくなりませんか。慈愛って言葉知ってますか。聖書開く前から司祭様が繰り返すワード第二位ですよ。一位は神を敬え的な洗脳ですが。
「……お義兄様、真面目にどいてください。片付けて参ります」
「だぁめ。グレーテルはもうちょっと僕といちゃいちゃしようね。だいじょーぶ、たまには義父上に任せようよ」
誰と誰がいちゃいちゃしてるんですか頭腐ってんですか! ……ああ、腐ってるんだった。もういや。
はー、と盛大にため息を吐いて、お義兄様の腕の中でわたしはぶんぶんと頭を振った。それからまたぶんぶんと前後に揺り動かす。お義兄様は慌てたように腕を開いて跪いた。騎士様みたいにわたしを見上げる。——ああ、踏みつけてやりたい。
「駄目だよそんなことしちゃあ! グレーテルの雪花のように柔らかくて細い首が折れてしまう!」
「折れません。ちょっとどいてください」
即答してわたしは部屋の外に出て階段を上り、お義母様のお部屋に向かった。ノックもしないで中に入る。
……ああああ。
目も当てられない惨状に、わたしはくらりと目眩を起こした。今日は一段と酷い。それでも気をしっかりもってお義母様に近づく。
「お、お義母様……」
「ああああああああ!」
「お義母様!」
「ぎやあああ!」
はっ、しまった首を絞め過ぎた。
うっかり首にしがみつき過ぎたのをぱっと放す。げふうっと奇妙な悲鳴で喉を整えたお義母様がギロッと睨んできた。ご、ごめんなさい。
「ぐれぇえええてぇええええる!」
「ごごごごごめんなさい!」
さすがに首はやり過ぎました!
「また、またわたくしの邪魔をしたねぇええええ!? もうちょっとであの方を呼び寄せられる筈だったのにぃいいいい! にぃいくううういいいいいい!」
そっちか!
いつものことだから諦めてくだされば良いのに。がくっと肩を落として額を覆う。指の狭間からおどろおどろしい暗黒な品々が目に入った。
部屋中に描かれた奇妙な紋様、吹き飛んだ窓、悲惨な状況の椅子その他木材もろもろ。もうもうと上がる紫と黄色と黒の微妙過ぎる煙。
錯乱し始めたお義母様に抱き上げられては思いっきりベッドに突き落とされ、という虐待以外の何ものでもない行為を繰り返されながらわたしは遠い目になった。ああ、ベッドは壊れてなくて良かった。
お義母様は破壊活動が大好きだ。
いや、これはちょっと語弊がある。かもしれない。破壊活動は大好きだけど、もっと好きなのは人様を呪ったり、『くろまじゅつ』なる怪し気な行為をすることらしい。
初めて会った時からお義母様もそれはまあ美しいお方で、わたしは舞い上がったものだけど、それも数ヶ月もすれば「このヒトやばい」と理解するようになった。うん、お義兄様と違ってこの方はぶれないわ。……むしろ軌道修正して欲しかったけど。
あとお義母様は錯乱が得意。
『くろまじゅつ』の弊害なのか何なのか、お義母様は大抵錯乱している。にたぁっと笑うともう美人台無し。それ以前の問題だけどそんなこと言及してたらわたしはこの家で生きていけない。家族の暴走を止めるのは何故かわたしの役割になっている。酷過ぎる。しすこんのお義兄様も笑顔で「僕しーらない」なんて笑って逃げやがるんだからまったく月のない晩には気をつけろ!
ともかく、こんなにけむけむしていてはまた通りがかりの親切な誰かさんが押し入ってきて騒ぎになるかもしれない。それは大変面倒なので、わたしはなんとかお義母様の手から逃れ、壊れた机の中から怪し気なタペストリーを裏返して窓に吊るし、扉を全快にした。換気が家内って……虚しい。
それから悪鬼の形相で迫ってくるお義母様のお腹にがつん! と頭突きをした。細いお義母様はそれだけでふらっと倒れる。慣れているわたしはさっさとお義母様を助け起こし、目の前でぱんと手を叩き合わせた。
するとお義母様はハッと目を限界まで見開いて一瞬魂抜けたんじゃないかというほうけた顔になる。う、目が死んでる。死んでるよこの人!
「あ、ああ、ああああ、グレーテ、ル? わ、わたくしは」
「はい、おはようございますお義母様。お義兄様が珍しくお食事を作ってくださいましたよ」
珍しく、を強調してみた。
「そう……分かったわ……」
ふっと眸の光が消えたお義母様は、三角に垂れた唇で、陰鬱そうに頷いた。ふらふら〜、と幽霊みたいに動き始める。たぶんわたしが言った通り食事に行ったのだろう。
破壊活動から醒めたお義母様は大抵こんな感じで、妙に鬱々としている。肩は下がり、前のめりで、昏い眼差しを足許に向けてはぼそぼそ喋る。ぶっちゃけ家が壊れないのでわたしはこれはこれで良いと思うのだけど、世間様は冷たいからなんとしかないとね、とお義兄様は意見を曲げない。お義兄様は妙なところでまともだ。ぜひともわたしにもまともに接して欲しい。切実に。
ああそれにしてもお義母様は綺麗だ。女の人が美しいと心が洗われる。お義兄様がお義姉様だったらわたしの心はもっと平穏なのに。
適当にお義母様のお部屋を片付けてから、わたしは一旦自分の部屋に戻り、生成りの鞄を取って階下に降りた。ふわりとくゆる塩焼きお肉の香り。あああああああもう勿体ない! たかが朝食にミュラン肉! 歯ぎしりしながらもわたしは食卓についた。ちなみにお父様はいない。というよりお父様は大抵留守にしている。仕事で家を省みない男とかそんな情緒なもんじゃなくて、超気紛れ人間だから、いつの間にかいないだけだ。そのわりに気弱だけど。
手を合わせて食前の祈りの言葉をもごもご唱えてから、あぐっと肉を食べる。……う、美味しいけど、やっぱり朝っぱらからこんなものは重い。腹にくる。
「グレーテル、グレーテル」
む、何ですかお義兄様。わたしは今お肉を食べるので忙しいのです。
「はい、あーん」
…………なに? 馬鹿にしてんの?
一瞬思考が停止した。あーん、って何年ぶり……いやいやいやよくよく考えるとわりと最近も不意打ちでやられたような……?
って、違う!
「お義兄様……いーですか、わたしはもう十六なんですよ、もう子供じゃないんです」
「あーん?」
「…………」
どうあっても押し通す気か。
助けを求めるように正面に座るお義母様を見ても、全スルー。もくもくとスープをすすっている。お義母様ー! 義娘がとっても困ってますよー! 息子さんがなんか怖いですよー!
どんなに心の中で訴えても通じるわけなく、きらきらしいお義兄様は笑顔でフォークをぶっ刺したお肉を寄越してくる。う、や、やめ——、
ばくり。
(————しまった! ついお肉の色香に負けて……ッ)
フォークに喰らいついてしまってからだらだらと冷や汗を流すわたしに向かって、お義兄様は恍惚と笑み崩れる。
「良い子だねぇ、グレーテル」
む、か、つ、き、ます!
震えるような美声で言ってからお義兄様はそっとフォークを引き抜いた。ま、負けた……と屈辱に青ざめていると白い親指が伸びてくる。う、ん、んんん?
きゅ、と唇の端を拭われた。きょとんとしていると、お義兄様はそのままぺろりと親指を舐める。——何だか妙にねちっこく、うっとりと。
「お、にい、さま?」
「汁、ついてたよ」
「……そう、ですか」
「うん。——まだまだ子供だね?」
「…………」
ああ、お義母様、どうか今すぐこの男を呪ってやってください。いま、すぐッ!