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わたしを甘やかすそのひとは。

 あははははは、はい、とわたしが愛想笑いを浮かべると、短い嘆息が返ってくる。フィーネ様の尾がぺたんぺたんと地を叩いた。おお、苛立っていらっしゃる。


『それで、おまえは本当に休まなくて良いのかえ。おのれで言うのもなんじゃが、妾はこれでも高位の神であるゆえ、負担は並のものではないはずだがの』


 えっ、そうだったんですか。ちょっとすごいモフモフじゃなかったんだ……と改めて思ったことは秘密だ。言動と実力のギャップが激しい。


「えっと、でも、本当に、大丈夫だと思います。さっきより、よくなってきましたし」


 わたしのその言葉に、ほう、とフィーネ様が目を眇める。何か含みのある表情だ。けれどその意味を問う前に彼女は話を終わらせた。


『ならば、せめてこの王子に付き添ってもらうがよかろ。この城は迷う余地が有り余っておる』


 水を向けられた十二番目の王子様は、若干慌て気味に頷いた。


「あ、ああ、分かった。じゃあ、行くか」

「は、あ。そのー、すみません……」


 明らかにぎこちないディートリヒに申し訳なくなってくる。しょんぼり。けれどもそんなわたしの謝罪に対して、彼は声なく笑って首を振った。

 そしてこの部屋に最後に残ったわたしたちが、ようやく外へ出ようとしたそのとき、勢いよく扉が開いた。

 すわ不審者再来かと硬くなったところ、やってきた相手を確認して目を丸くする。息を切らして走ってきたそのひとは、ほどほどに背が高く、風になぶられても天使様のようにきれいな金の髪と、純度の高い水に晴天が映り込んだような、うつくしい蒼の双眸————


「グレーテル!」


 それは紛うかたなきわたしの立派なお義兄様なのだった。





 思わぬ人物の来訪にわたしはぽかんとしてしまい、そのため反応に遅れ、あんまりにもあっさり抱き寄せられた。ぎゅう、と容赦なくわたしを抱きしめる力は呆れるほど強く、いささか酸欠気味になる。喉の潰れた蛙みたいにぐえっと呻いて、ようやく正気に戻ってから、わたしは唯一自由な両手でばさばさともがいた。


「ぐっ、お——義兄、様。ぐ、ぐるしい、窒息、しま、す!」

「おっと、ごめんよお姫様マイネ・プリンセッシン。きみが無事だったことが嬉しくてね」


 お姫様て。

 心の底から寒気のするお言葉をサラリとおっしゃらないでいただきたい。わたしはかなりげっそりした。

 ちょっと腕を緩めてくれはしたけれど、まだぎゅうぎゅうと抱きしめてくるお義兄様。なんだかこのひとの温度は、ずいぶん久しぶりな気がして、わたしは彼の戯言に頭痛を感じながらも、大人しく抱き返した。広い背中にしがみつき、ほっと息をつく。これは、とわたしはばつの悪い気持ちで思う。これは、安堵だ。わたしは今、お義兄様に抱きしめられて、とても安堵している。見慣れたお義兄様、嗅ぎ慣れた家の匂い、わたしをただ落ち着かせるぬくい腕。

 わたしたち義兄妹(きょうだい)がしばらくそうしているのを、ディートリヒが呆気にとられた様子でガン見してくるのが分かった。それはそうだろう。わたしですら突然現れたお義兄様に未だ驚いている。そのうえ目の前で特攻ハグをかまされれば、とにかく反応に困るというものだろう。フィーネ様は興味なさそうに欠伸をしているようだけれど。

 外野を気にするわたしと違い、お義兄様はそんなのはまったく眼中に入らないらしい、ひたすら説教を続けていく。


「きみが危ないことに自ら突っ込んでいくと聞いて、僕がどれほど腹が立ったか分かる? まったく、心臓が止まるところだったよ」

「……は、腹が、立った、んですか……」


 そこは心配じゃないのか。


「そうだよ、まったく。僕のお人好しのグレーテル。きみはいつも何かを損なう選択ばかりする。まったくもって得がない」

「そんなこと、」

「あるだろう。ほら今だって、こんなに顔色が悪い。どんなに高い紙だってこんなに白くはならないだろうね」


 ぐい、と両手で頬を挟まれ、見えやすいように持ち上げられる。額がくっつく距離で、お義兄様はわたしをご覧になった。じいっと瞬くことなく観察される。

 苦しげに歪められたお顔すら秀麗なお義兄様は、血を吐くような声音で、本当に、と呻く。


「本当に、僕の目が届かないところで、危ないこと、しないでくれ。死にたくなる」


 過激な言葉にわたしはぎょっとした。お、お義兄様。そんな酷いこと、本気のお声で、おっしゃらないでください。

(——お義兄様)

 ぐっと目尻に涙が溜まる。

 あなたの義妹は、そんなに信用ならないですか。

 いや、とわたしは震える声で囁いた。無様な訴えだった。


「いやです、そんなことは、やめてください。わたしは、お義兄様をおいて、死にません」


 その声はあまりにも小さく、あまりにも弱く、おそらくお義兄様にしか届きはしなかっただろう。もしかしたら、フィーネ様には聞こえていたかもしれない。でも、ディートリヒには聞こえていないといいと思う。同級生にこんなみっともないところを端から端まで知られるのは、やっぱり恥ずかしい。家族に甘えて駄々を捏ねる姿なんて。

 お義兄様は仕方なさそうに微笑み、わたしの目のふちにそっと唇を寄せた。からい涙を吸いとり、宥めるようにゆっくりと頭を撫でてくださる。ゆるやかに溺れるような気持ち良さに、わたしは目を細める。お義兄様の金の髪がきらきらしていた。睦言のような、どこかほろ苦く、けれど限りなくわたしを甘やかす声が降ってくる。

 

「ああ、そうだね。きみは、僕の自慢の義妹(いもうと)だもの」


 ええ、そうです、お義兄様。

 わたしは、あなたに恥じないわたしでありたい。

 喜びを表すように笑み綻べば、優しい苦笑を洩らしたお義兄様が、ふわりとわたしを抱き上げた。子どもにするようなやり方で高く持ち上げられる。びっくりしたわたしは思わず小さな悲鳴をこぼした。


「な、何するんですか、降ろしてくださ……」

「馬鹿を言うものじゃないよ。そんなに具合が悪そうなのに、うちまで歩いていけないだろう」

「そ——れ、は」


 ない、とは言い切れないけれど。

 口ごもるわたしに悪戯っぽい笑みをちらりと寄越すと、お義兄様はよいせとわたしの腰を腕に座らせるように抱えた。早業についていけなくて、平衡感覚をうまく取れずにお義兄様の首にかじりつく。うろたえるわたしの頬にちゅっとついばむようなくちづけが降りた。


「お、お義兄様、ほんとにやめてください。は、はずかしい……」


 この歳でこの恰好、ありえない。一桁の歳の子どもじゃあるまいし。

 本気で嫌がっていると、お義兄様はさも哀しげな溜息を吐いた。


「昔は、僕に抱っこされるのが大好きだったのに」

「こっ——子どもの頃の話です!」


 かああっ、と羞恥に耳まで赤く染まる。まったくもう! これだから身内というやつは。子どもの頃の話なんて、黒歴史しかない。そもそも、わたしがブラコンだったことがすでに黒歴史なのだ。恐るべし幼少時代。穴に埋めたい。


「ほうら、大人しくしていなさい。帰るよ」

「お、おろ、おろし、」

「お友達に、挨拶」


 いやに常識人ぶったことを言われ、わたしはしぶしぶ黙り、ディートリヒとフィーネ様を見やった。ディートリヒと目が合う。ああ、もー、恥ずかしいなあ。あれもこれもそれもぜんぶお義兄様のせいだ。気まずい。


「ディ、ディートリヒ」

「あ、ああ、なんだ」

「では、その、えっと……また学校で」


 ああ、とディートリヒは嬉しそうに微笑んだ。軽く片手を上げ、顎を引く。


「また学校で。ゆっくり体を休めてくれ」


 気遣いの言葉にこくりと首を振り、今度はフィーネ様と目を合わせる。意図的に。

 叡智をたたえた深淵な瞳は吸い込まれそうな奇妙な引力に満ちている。この方のことを、お義兄様はどれだけご存知なのだろう。そして、お父様は? あの壜を、いったい全体、どういうつもりで渡してきたのか。謎は尽きない。言いたいことが形にならないわたしに向かい、フィーネ様は狼の顔で、嫣然と笑った。


『さらば、ヨハンの娘。いずれまた、近いうちに』


 予言めいた一時の別れの挨拶に、わたしの喉がごくりと唾を飲み込む。また、近い、うちに? このひとは、神様、なのに? わたしなんかと、関わることが、あるのだろうか。でも、わたしの理性ではない部分は、彼女の言葉は決まりきった未来だと肯定している。

 だから、はい、と応えた。


「はい、また。今日は協力くださり、ありがとうございました」

『何、大したことではないからの』


 一通りのやりとりが終わったのを見て取ったお義兄様が、もういいか、という視線を向けてくるので、ひとつ頷く。そうすると、お義兄様は蕩けるような甘ったるい笑顔になった。……ぞわ、と何か悪寒がした。


「さあ、それじゃあ帰ろうか」


 こうしてやっと、わたしは家路に着くことになった。

 長かった不可解な一日が、ようやく終わりに向かい始める。

 お義兄様の、一定の速度を保った、穏やかな歩みとともに。

 ……家族?

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