天使は閃光とともに。
むすっとするわたしをおいて二人は心底ほっとした顔で胸を撫で下ろした。それからクラウスがわたしの籐籠を見てきょとんとした。む、なんですか?
「もしかして今からお父さんとこ行くん?」
「あ、はい。そうですけど……?」
「んじゃ途中まで一緒に行こうぜ。俺らも王宮に用があるんだよ」
王宮?
さらりとクラウスの口から出た言葉にわたしは少々面食らった。アルノーはともかく、クラウスは頭の天辺から爪先まで、どこからどうみてもつんつるてんの庶民だ。わたしと同じく、王宮なんて雲の上だろう。……まあ、わたしはお父様のおつかいで、時々お邪魔しているのだけど。それだって毎度毎度心臓が飛び出そうなくらいどきどきする。別に悪いことしてないのにとっ捕まりそうで堪らなくなる。
そんなところに、何でクラウスが、用事?
怪訝に見やればアルノーが苦笑する。いやあ、とクラウスの後を継ぐ言葉尻が濁った。
「今さ、フリーダがいるんだ。王宮に。それでちょっと、気晴らしにね」
「フリーダが? どうして」
「ん、もうすぐ生誕祭だから。その関係で、ちょっとね」
よく分からない。けど、たぶん、私が了知してはいけない何かなんだろう。そういう場合、何も聞かない方が良い。きっと相手を困らせるだけでなく、迷惑もかけてしまうから。あと面倒臭いし。厄介ごとはお義兄様とお義母様の奇行で充分だ。
分かりました、と頷き、わたしは籐籠にぽこんと林檎を詰めた。
てくてくと大通りを抜け、貴族街に入る。三時の鐘が鳴った。王都は早朝の五時、お昼過ぎの三時、夕時の七時に神殿に隣接した時計台が鐘を鳴らす。神術も芯術も使わず手動で行われているから、まあまあ誤差がある。だけども時間を確認するには丁度良い。
「おー、もうこんな時間か。なんか食う? あそこで揚げ菓子売ってるけど」
自分こそお腹空いたみたいな顔でクラウスが言った。そうだねぇ、とアルノーが返す。わたしは呆れつつ頷いた。三人で蜜のかかった揚げ菓子をひとつずつ買い、もそもそ食べながら道を歩く。ちょっと目がちかちかするくらい優雅で豪奢なお屋敷が並ぶ貴族街は、道往く人もきらきらしていた。輝く金髪をくるんと巻いた貴婦人がつんつんしながら早歩きで紳士を振り払っている。……紳士? しつこい男は嫌われますよ、と声を大にして言いたい。
アルノーが何だか気後れした顔でちらちらと周りを見る。さんざっぱらお父君について通ってるだろうに、彼は未だに慣れないらしい。純朴そうなアルノーはとても、とても! 心安らぐ。まったくうちのお義兄様はどうしてああなっちゃったんでしょうねぇ。グレーテル、とちょっと冷たくて、ぎこちなくて、対応に困っている声が、今でも耳に甦る。幼い頃の、お義兄様のお声。ああ麗しきかな昔の思い出。
————そんなことをつらりつらりと考えていたとき、不意に目の前で閃光が爆ぜた。
「…………は?」
壁が破裂したんですけど。
音もなく陥没した煉瓦壁をそろそろそろと横目で見やり、わたしは絶句した。まだ目はちかちかしている。光っていうのはモロにくらうと視覚をバカにするとは知ってたけども、こんなに酷い眩しさはない。太陽だって恥じらうだろう。わたしはそんなことをぼうっと考えながら揚げ菓子の最後のひとかけらをばくりと口に放り込んだ。
「……グレーテルさあ、よくそんな余裕だな」
「いえ現実逃避です」
しぱしぱするらしく、クラウスは何度も瞬きを繰り返していた。多分景色がぼんやりするんだろうな、と同情しつつ、ふと軽い瓦礫を被って何やら生物らしき————というより人間らしき手足が見え、た、気……が?
「………………えっ」
「——————姫様!?」
えっ、姫様!?
その台詞にぎょっとするわたしの横を、ばびゅんと光の速さでアルノーが駆け抜けていく。そうして白いひと(たぶん光のせいでそう見えるのだと思う)の傍に跪き、ぐいぐいと引き上げてやる。アルノーがフリーダに対してでなく血相を変えるのは本当に珍しい。わたしはぽかんとして、同じくぽかんとするクラウスと目を見合わせてから、慌ててアルノー達に駆け寄った。何だかよく分からないけど人命救助は大切だ。
白いひとが起き上がる。白いひとはどうやら瓦礫だけでなく白い布も被っているようだった。司祭様が身に纏うような長い裳裾のご衣装に、伸びる白い袖は外側に開いている。首のあたりまでを覆ったやっぱり司祭様のような服と、胸元に下がる十字架。あまり見られないけれど、うちの国には女性の司祭様もいらっしゃる。随分前は修道女様しかおられなかったのだけども、幾年か前に女性の王陛下が女性に対する差別的なものごとにたくさん異議を唱えたとかで、今のシュテンヘルツは女性にはとても暮らしやすいと言える。とは言え万事が万事そうというわけでもないのが痛いところだけど。仕方ない。女性蔑視というのはつまるところ女を己より弱いと勝手に勘違いした上に正当に評価されるべき賢さに嫉妬してままならぬ感情を支配欲に変えた男の愚かしさの象徴のようなものだ、とヨハンナ先生が仰っていた。ヨハンナ先生は女性を差別する男がこの世で一番嫌いなのだそうだ。曰く、『ある頭さえ使わないバカ』だから。
「……いたたたた……うー、擦りむいちゃった」
わたしはぱっと目をまん丸くした。霧が晴れるように視界が鮮明になってくる。うわあ。すごい、綺麗な、声! 夢見るような、でも甘過ぎない、きらきら光を振りまくみたいな天音。
白いひとが顔をあげる。アルノーが手伝い、彼女はふわっと立った。まさに、ふわっと。
目が合った。
「……う、」
(うわあああああああああああああっ! 超ッ、美少女、です!)
わたしは感激した。ちょっぴり泣きそうになった。もう、完璧なまでの、美少女! こぼれおちる光の輪を描く銀色の髪はくるくると先が緩やかに波打っていて、聖母様が微笑むような黄金の瞳は長い睫毛に縁取られて、さらには光の加減できらりと虹色に変化する。服の上からでも細いと分かる肢体。ちらりと覗く足もてのひらも真っ白だった。
彼女はわたし達と、それからアルノーを見上げて、ぱちぱちと目をしばたたいた。
「あ、あれ? アルノー? どうしているの?」
「姫様こそ、どうしてこんなところにいらっしゃるんですか……!? それに今日はフリーダがお会いしに行ったはずでしょう」
「あ、うん、でもね、ちょっとあって……ねぇね、あの子達はアルノーのおともだち? 可愛いね!」
美少女に可愛いって言われた! たぶん森の仲間達的な意味合いだと思うけど!
わたしは知らず知らずのうち、クラウスの裾をぐいぐい引っ張っていた。のだけども、反応がない。んんん? 見上げると、クラウスは彼女のあまりの美しさにやられたらしく、声も出ない様子だった。
「やべ……お迎えきてね?」
「わたし、クラウスと共死になんて嫌ですよ。ちょっとシッカリしてください。おかげで目ぇ覚めちゃったじゃないですか」
「……グレーテルのドライクール……」
「クラウスは言葉のセンス最悪です」
言い合うわたし達を尻目に、アルノーはあからさまにしまった、という体で顔を覆った。天まで仰いでいる。でも白いひとはにこにこするだけだ。
「だーいじょうぶ、アルノーのおともだちだもん。怖いことなんてしないでしょ?」
「そりゃ、そうですけど、でも」
「だいたいアルノーがみだりに姫様なんて呼ぶからだよ。いつも『ユティ』で良いって言ってるじゃない?」
「恐れ多いんですよ……」
わたしとクラウスはぴたりと動きを止めた。再び顔を見合わせる。姫様。ユティ。司祭様らしきご衣装。アルノーが顔見知りで、しかも敬語を使う相手?
……あれ? なんかいやーな予感してきましたよ?
アルノーはため息をつくと、数少ない周囲の目からも隠すように、わたし達を煉瓦向こうの小さな路地裏まで連れていった。壁と壁に挟まれた空間を、白いひとは新鮮そうに眺めている。
「……姫様。自分で自己紹介お願いします。俺、あとでイーナ様に殺されたくないです」
「もー、心配性だなぁ。わたしが大丈夫って言ってるんだから、そうじゃないことなんてありえないよ。そうでしょ?」
にっ、と悪戯っぽく笑って彼女はアルノーを見上げる。深いふかーいため息が返ってきたのを確認してから、そのひとはわたし達に向き直った。にっこりと、それはもう天使様と言って差し支えないお顔で微笑まれる。
「こんにちは、はじめまして。わたしはユスティーナ・エレン・ラウラ・エリーザベト・クリューゲル。シュテンヘルツの巫女ってことになっているけど、ユティって呼んでくれると嬉しいな!」