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クッキーと駒鳥とグレーテル。

 いっぺんお豆で頭かち割って一分一秒でも正常に穏便に晴れがましい言葉をお吐きになったらどうですかこの犯罪未遂が! と叫んで頭突きしてお義兄様が変態らしく痛みにうっとり頬を染めている姿にぞぞぞっとしながらわたしは一気に部屋を飛び出した。ああああもうあの変態は! なんでそこで頬染めるんです?! 気色悪いわ!


 籐籠を持って勢い良く家を飛び出し、がすがすと地を蹴って暫く経ってから、オレンジクーヘンもっと食べておけばよかった、とわたしはかっくり肩を落とした。


 ————お義兄様ってば、本当に、スペックだけは上物なのに。


 もう何度目か知れない「なんでこうなった」はぬるい風にとけて消えた。









 王都の端っこにあるヴァイスクォルツ街のこれまた端にある、銀と金糸雀通りはいつも人で溢れ返っている。

 晴れがましいほどの青空に白い毛の鳥が飛び交っていた。のどかな鳴き声がわんわんと耳に響き、それが漸く途切れたかと思うと賑やかな通りの喧噪が押し寄せてくる。アルマおばさんの店からは焼きたてのパンの匂いが惜しげなく店先に零れ出ていて、丁度一服していたらしい店員の青年がにっこり笑って挨拶しながら「今焼けたとこだよ、ひときれどうだい?」とか何とかさりげなく客寄せした。わたしは笑顔で挨拶だけ返して、塗装された石畳の道をほてほてと歩く。好い天気。幼い子供達が綺麗なお母さんの手を引っ張って砂糖漬けの果物をねだっている。もうっ、今日だけですからね! と怒った顔を作りながらそのお母さんがきっちり人数分のそれを買ってあげているのが見えた。その光景がちょっと眩しくて、わたしは目を細める。

 通りを右に曲がって、奥まったところにある広場の中央、王祖の銅像と噴水の前で流しの一座が陽気な音楽を奏でている。あれはどこの国の曲だったろう。泣いた子も驚いて笑う、明るいけど不思議な異国の曲調。細い道からそうっと覗くと、灰色の帽子と西の方の、明るい色調の衣装が窺えた。うーん、カルマアスールとか、かなー。帽子に挿さってる虹色の羽根がなんとも変わってるけど。色鮮やかなフリルがわっさわさしてる。


 わたしはノインと小さく刻まれた壁のすぐ横にあるヘルガ姐さんの店へ入った。からん、ころん、と取り付けられた小さな鐘が鳴る。

 店内の壁にくっついた棚には怪し気な小物がところ狭しと並び、床には暗色の濃いめの絨毯やら掛け布の類がごろごろしている。相も変わらず怪しいったらない。おまけに隅では一際大きい象の置物が冷たい目でずうんと佇立していた。中央には勘定台が有り、その内側で薄布を頭から被った店主がだらんと安楽椅子に腰掛けて、というか足を投げ出している。


「おやいらっしゃい、グレーテル。お父さんのおつかいかい?」


 気怠そうな声と一緒に、紫っぽい煙がぼふっと顔にかかった。け、けむたい。

 

「ヘルガ姐さん……なんですかこれ、……うえ。なんか、すっごい変な匂い、っていうか、腐りかけの果物みたいな……?」

「しっつれいだね。こりゃ西方の練香だ。向こうの観葉植物の匂いとよく似てるらしいけどね。それで? 用件はなんだい。どうせくだらん材量だろ」


 ふっ、とヘルガ姐さんはまた煙を吐いた。手にもった煙管から溢れるそれは、紛うことなく紫だ。え、ええええ。いいんですかそんな色でこんな匂い。なんか危ないっぽいんですけど!

 色々突っ込みたいことはあったけども、おつかいを済ませることの方が大事だ。わたしはお父様の言いつけを思い出しながら、ひとつひとつ、指を折っていく。


「え、と……『緋の花姫』の朝露、トロールの爪、今日一番綺麗なお水、無患字、白蝶草、落羽松の葉、藪蘭のすり潰した液。それから、」


 ぐ、とわたしは途中で詰まった。ヘルガ姐さんは面倒そうに、なんだい、と聞いてくる。う、本当に、ここで頼むんですかお父様!

 非常に嫌々ながら、わたしはぼそっと続けた。


「……ヘルガ姐さんの、クッキーを」

「…………………………はあ?」


 なんだいそれは、と言いた気な視線が痛い! ああどうして今日は朝から色んな人間の胡散臭気な視線に耐えなければいけないんでしょーか! 意味が分からない!


「お、お父様がですね、その、他が駄目でも絶対これだけは貰ってくるように、って! あの、」

「……ああ、……あー、ふうん。相変わらず食えない男だねぇ、あんたの父さんは。……ちっ、憎たらしい」


 今ちって言いましたよねー!?

 あわあわするわたしに「ちょっと待ってな」と言い置き、ヘルガ姐さんは店の奥に入っていった。漸くけむたさが薄らいできて、わたしはぱたぱたと残り香を手で払った。西の香り、かあ。……異文化って恐ろしい。

 ぼけっと何度来ても物珍しい店内を見物しているうちにヘルガ姐さんが戻ってきた。手にたくさんの品物を抱えている。


「はいよ、待たせたね。安心おし、全部揃ってるよ」

「え、……クッキーも、ですか?」


 突然そんなことを願ったら、焼き上がるまで待たなければいけないと思っていたのに。お父様ってば予知の能力でも身につけましたか。心の中で父を胡乱に思うと、ヘルガ姐さんは心底忌々しそうに舌打ちする。うわーお本日二度目。いつもやる気なさそうな姐さんにしては珍しい。


「ああ。あたしのクッキーはね、普通のとちょっと違うんだよ。大抵いつも置いてある。だけどあたしがそんなものを作れることを知ってる奴なんて滅多にいない。あんたの父さんも知ってたなんてね……あのスカした顔、いっぺんぶん殴ってやりたいよ」

「え、あ、は、すみません」


 発言が物騒ですヘルガ姐さん! ちょっとまってやめてわたしを射殺したそうに睨まないでください!


 こんなにヘルガ姐さんが嫌がることを、どうしてお父様が知っていらっしゃるのか。というかどうしてわたしに頼むんです。ああわたしも殴りたい。毎回毎回よく分からないおつかい頼んでからに!

 籐籠の中にひとつひとつ、受け取ったおつかいの品を収納しながらわたしは心底思った。————ああ、いっぺん(ボコ)りたい!


「お代はあんたの父さんに求めればいいんだね?」

「あ、そうしていただけると助かります」

「ん、りょーかい。お買い上げありがとね、また来なよ」


 にやりと続けられた勧誘にはいと笑って、わたしはヘルガ姐さんの店『駒鳥と雷雨』をあとにした。









 てくてくと銀と金糸雀通りを過ぎ、整備された花壇と樹林の爽やかな匂いにほっとしつつ、灰の目通りに入る。がやがやとこちらも騒がしい通りの中で、何やら真剣に話し合っている男の人たちが角に集まっていた。真剣、と言ってもどこか楽しそうで、妙に浮き足立って見える。その様子に、わたしはぱちりと瞬いた。ああ、そういえばもうすぐ生誕祭か。もうすぐって言ってもまだまだだけども。多分、男の人達は、その準備やら計画やらで話し合っているんだろう。生誕祭は我らが王陛下のお誕生日で、国を上げての大祭になる。呑んで騒いで祝って喜び、陛下の治世に祝杯を上げる。地方でさえそうなのだから、王都はさらにそれが顕著で、演し物や路上での食べ物の販売はもとより、それに仮装行列なんてものまで起きる。あの流しの一座もそのひとつなのかもしれない。ってことは、これからどんどん、王都にはお客さんが増えてくるってことだ。暑苦しくなるなぁ。

 そんなことを考えつつ、マルゴおばさんから林檎を買い、お代を支払ったところで聞き慣れた声に呼びかけられた。振り向くと、相手がぱっと相好を崩す。


「やっぱり! グレーテル、何してんの? おつかい?」

「クラウス。それにアルノーも。二人こそどうしたんですか。灰の目通りにいるなんて、珍しいじゃないですか」

「ちょっと買い物に……————いや、ちょっと待て。おまえ本当に一人か?」


 急に焦った様子で辺りを見回し始めたクラウスに「はあ?」とわたしは思いっきり眉を跳ね上げた。何を言っているのかこのひとは。どっからどう見ても一人でしょうが。


「おつかいですから。一人に決まってるでしょう」

「い、いや、でもさ…………ヘンゼルさんは?」


 青ざめた顔でアルノーが聞いてくる。ヘンゼルお義兄様? ……ああ、またあのひとですか。合点がいって、わたしはふかーくため息を吐いた。どーしてこう、お義兄様は居ても居なくてもわたしに平穏を与えてくださらないのか。まったく。


「いませんよ、一人です。お義兄様は今おうちで休んでいらっしゃる筈ですから。アルノーこそ、フリーダと一緒じゃないなんて珍しいですね」

「や、グレーテルほどじゃないよ……」

「……」


 なんなんですか、その聞き捨てならない台詞は。失礼な。

 

 

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