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午後、小鳥のさえずりと。

 

 じゃああのお嬢様の気が逸れるまで我慢するしかないんですかね、とげんなりしつつ、わたしは古詩学の教室の扉に手をかけた。ディートリヒを振り返り、別れを告げようとしたところ、彼は構わず同じ教室に入ろうと腕を伸ばしてくる。ごん、とわたしのひたいと彼の肘がぶち当たった。痛った……っ! 軽く涙目。


「うわ、すまん! 大丈夫か」

「い、いえ、こちらこそいきなり振り返ってすみません。……ディートリヒって、古詩学、同じでしたっけ?」

「…………今更か? おまえ、もうちょっと授業中目を使え。というか当てられてるだろうが」


 で、ですよね……あれー? 何で覚えてないんだろう。わたし、確かに記憶力悪いけどそこまで薄情じゃない筈なんだけどなぁ。一つだけならともかく二つもなんて。そもそもディートリヒだよ、ディートリヒ。王子様。すごーく目立つし、何より美人さんだし、そんな簡単に失念することもないよねぇ。何でだー?


「……まあ、いい。さっさと入るぞ」

「あ、はい」


 何だか疲れたようにディートリヒは扉を開けた。半歩入って、扉を開けていてくれる。おお、紳士。さすが。ありがたく通らせていただいて、わたしは適当な席を探した。————と。


「————————!?」


 ぞくっ、と背筋を冷たいものが流れた。殺気。の、ような?

 そっと視線を上げると、そこかしこから注視されているのが分かった。驚いたような顔と、つい見てしまった、という顔が多い。けど、何だか射殺したそうな顔もちらほらしている。全員、女の子、だ。それも上等そうな顔。制服はともかく、髪飾りや装飾品がいやに凝っている。だから多分、お貴族様の娘さんだろう。豪商の子もいなくもないだろうけど、多分、この視線の原因って。

(ディートリヒ、ですよねぇ)

 考えなくても分かる。なんたって彼女達にとってディートリヒは『ただのびっくりするくらい綺麗な異性』じゃあないんだから。


「グレーテル? 何してる、早く席を決めてくれ」


 いやいやいやいや今あなたの存在で何やら大変な敵意をいただいてしまっているんですけどね!?


 見られ慣れ過ぎている為か、ディートリヒはそんな娘さん達の熱視線をさらりと無視してわたしの肩を引っ張った。ややややーめーてーくーだーさーいー! これ以上やっかみ買いたくないんですよう! って訴えても分かんないですよね! そらそうですよねでも分かっていただきたかった!

 いつまで経ってもだらだら冷や汗を流すだけのわたしに業を煮やしたのか、ディートリヒはわたしの腕を引いて教室の隅まで移動してしまった。ああ、あああ、視線が。視線が綺麗についてくる! ついてきてますよディートリヒ!? 何でそんなスルー出来るの!?


 それから古詩の先生がいらっしゃるまでわたしは何とも居心地の悪い中、諸悪の根源と和やかに会話をし続けなければいけなかった。



 ————いや、ディートリヒは善い人なんですけどね!










 アンナ=バルバラ高等神学校は半日学校だから、わたし達は昼時には家に帰ることが出来る。お弁当を持ってきても良いし、家で食べても良い。わたしは大抵家で食べる。放っておくとお義母様がお昼ご飯を抜いて『くろまじゅつ』に専念なさってしまうからだ。


「ただいま戻りましたー」


 返事がないことを承知で囁くように言い、足早に炊事場へ向かう。ぱたん、とドアを軽く押す、と。

 中側に予想外の力で引っ張られた。


「わっ?」

「お帰りグレーテル。遅いから学校を潰しに行こうかとはらはらしちゃったよ」


 ハラハラはこっちだ。なんだ潰しに行こうかって! 恐ろしい!

 ……じゃ、ない。

 え。

 何で、昼間っから、お義兄様、が。


 しかも何でこのひとはいきなり人を抱きしめやがるんですか暑苦しい!


 ぷるぷると拳を震わせている間に抱擁はきつくなっていく。ぎゅうううう、とまさにわたしが押しつぶされそうだ。髪の毛を掬うようにされて、耳たぶに唇を寄せられる。何度も頭を撫でぐりされてもう既に色々なものが口から抜け出ていた。だけどもするりと背筋をなぞるようにお義兄様のてのひらが滑り、腰の下辺りから締め寄せられてはさすがに理性が戻ってくる。


「ちょっ————やめ、放しやがれですよこの変態!」


 なんか言葉遣いおかしくなったけど気にしない!


 突っ張るようにして押しのける。お義兄様は愉快そうにくすくす微笑って顔を赤くするわたしのひたいにちゅっと音を立てて口付けた。ぬああっ! せくはら!

 髪ごと頭を撫でていた手が緩やかに下がり、首を通ってわたしの頬にぴたりとてのひらをくっつけ、柔く頭を持ち上げられる。滲むような蒼い瞳。相変わらずどこか病んだ色を含んだその眼は極上の笑みを浮かべ、とろけるようにわたしを捕らえる。愛おしいとその二つの蒼が強烈にわたしに訴える。うっかりくらりとしてしまうのは仕方ない。過保護なこの義兄の愛情は、なんというか、重過ぎるくらい重い。


「グレーテル、かわい」


 ぞぞぞっ、と総毛立った。そんな艶っぽい顔で言われても! 怖ぇよ! って、う、わ。わわ。

 猫の子みたいに鼻を擦り寄せられて、目尻をぺろりと舐められた。その舌先が少しずつ頬を通り、口の端まできて、終いにはふわっとお義兄様の唇がわたしの唇の上で跳ねる。ひ、い。このぐらいは日常なのだけども、その痕を追うように上唇と下唇を丹念に舐め上げられれば恥ずかしさで死にそうになってもおかしくなんかない、はずだ。妙に心臓がばくばくする。ああ、もう、お義兄様って本当に心臓に悪い! 綺麗だから尚更何も出来なくなるんだ。


「ん……、お、にい、さま、わたし、——っふ」


 ちう、と上唇の真ん中を吸われる。吸われた端から熱くなる。疼くような痺れが走った。かぷ、と今度は噛まれて、わたしはびくりと肩を跳ねさせた。唇中あますことなく幾度も吸われて息が出来ない。僅かな隙間で必死に呼吸するからどんどん息が上がる。


「っは……ぁ、」


 不意に突き放すように離れた唇に促されて、は、と口を半開いてしまう。自然と舌が下がり、——お義兄様に絡めとられる。それが合図みたいにお義兄様にしては乱暴なほど抱きしめる力を強くして、深く口付けてきた。ぜんぶを貪られる、みたい、な。情けないことに足の力が抜けてきてがくっと膝が折れそうになる。だけども妙なところで抜かりないお義兄様は腰を掴む腕を滑らせてひょいとわたしを横抱きにした。かあああっと頬が赤くなる。ちょ、今——お尻さわ、触った! せくはらだっつうの!

 

 口内で繋がった舌が漸く抜き取られ、わたしは息も絶え絶えに半目になった。と、溢れた唾液を舐めとられる。————う、あ、あ。

(は、ずかしい……!)

 何、今日のお義兄様! いつも以上にベタベタしてくるんですけど! ひーっ、やめてキスしな、


「んう……っ」


 どうしようこれなんかわたし食べられてるみたいですよ? 接吻(キス)じゃないですよこれっ?


 ていうかわたしお義母様にお食事作んなきゃいけないのに。ていうかわたしもお腹空いてるのに。あ、何、もしかして、お義兄様もご飯食べてらっしゃらないんだろーか。 


「お義兄さ、……ふ」

「ん……、なに?」


 最後に強く口吸われたところで、漸く解放された。わたしはお義兄様の腕の中で、軽く身震いしながらしがみつく。


「あ、の、もしかしてお腹空いてらっしゃいますか?」

「——うん、まあ、そう言われれば、そうかな」


 あ、やっぱり。

 何か悪戯っぽい目が気にならなくもないけど、つまり、わたしをご飯代わりにしやがられたということらしい。やめてください。義妹食べないでください。

 とは言っても、空腹は確かに堪え難いものだって、わたしは知ってる。だからこれはあんまり責められない。少なくともわたしは。


「わたしもお昼まだなんです。今作りますから、少しま、」


 ぐう、とわたしのお腹が不満げに鳴いたのは丁度その時だった。珍しくお義兄様はマトモそうな表情できょとんとする。それからくすりと柔らかく微笑んだ。くっ、なんか、微笑ましい顔されてる! ああああもう恥ずかしいなあ!


「いーよ、僕の可愛い小鳥持ちのグレーテル。今日は僕がお昼ご飯を作ろうね」

「っ!」

「あいたっ、もう酷いなグレーテル。そんな可愛らしく踏まれるとねぇ…………どきどきしてくる」

「変態いいいい!」


 羞恥のあまりがつっと踵を振り回してお義兄様の腰を蹴りつけるとド変態的な言葉が返ってきて、わたしはぞわぞわーっと背中を駆け抜けた悪寒ごと叫んだ。



小鳥持ち=お腹の音。です。指摘されると結構恥ずかしい、ですよね!

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