第5話 時には昔の恋を語るね②
ミュラーの不器用なアプローチに、私は死んだ父の面影を見ていたわ。
そしていつの間にか、彼が訪れる時を、待ちわびる自分がいた。
思えばあれが一目惚れであり、初恋だった。
初めてのキスの味?
ふふ、苦かったわよ、彼、直前に煙草を吸ってただもの。
けどあの味は忘れられないわ。
私とミュラーとの逢瀬は、あれからも続いたわ。
いつの間にか私は、彼の専属の女郎になっていた。
彼の金払いがあまりに良かったから、店が気を利かせたのよ。
表向きは商売の都合、でも私は、内心では嬉しかった。
彼が愛に飢えていたように、私もまた、愛情を欲していた。
両親に愛を受けてから、幾年、ここまで自分を大切にしてくれる存在はいなかった。
愛される喜びに、その温かさに気付いた自分がいた。
そして私は、次第に彼に父の面影を重ねていったわ。
不器用なところも、寡黙なところも、少し変わっているところも。
全部、似てたわ。
彼には『蒼い狼』なんて物騒な二つ名がついていた。
けれど私の前では子犬のように甘えていたわ。
あの青い髪を撫でるたびに、胸の奥が静かに満たされていった。
そんな仮りそめの幸せをかみしめていたわ。
でも、また私の平穏は壊れたの。
身請けの話が来たのよ。
相手の素性は詳しく知らされなかったわ。
きっとどこぞの貴族か軍人、そういう類でしょうね。
ただ私は絶望した。
この時間が終わることが、無性に哀しかったわ。
そして改めて思い知らされたの
。
自分という存在は運命の鎖に縛られていて、決して自由や幸せというものが許されないものなのだと。
私はこれまでの不幸を呪った。
ミュラーには身請けの話はしないつもりだった。
もし知れば、彼はきっと無茶をする。
命を懸けてでも、私を連れ出そうとする。
でも、それは違う。
空の雲のような自由な彼の心を、私という鎖で縛りたくなかった。
傲慢かもしれないけど、私はミュラーと対等の存在でありたかった。
私という枷で、彼の未来を閉ざすのは嫌だったの。
荒れる私の心と同じく、国内の情勢も荒れていた。
当時、各地で内戦が起きていたの。
……そして、私の想いとは裏腹に、彼の耳に身請けの話が届いてしまった。
ミュラーがその内戦に身を投じていると知った時、私の胸は張り裂けそうになった。
あの彼が愛国心や正義感、使命感で動く人間じゃないことは知っていた。
彼は金で動くハンターだ。
きっと馬鹿なこと考えて私を連れ出そうとしてるんだ。
私のために傷つくなんて、そんなことは望んでいなかったのに。
私にできたのは、ただあの青空のような青い髪を撫でることだけ。
それが、ひどくもどかしかった。
あの時、初めて痛感したわ。
自由になりたい、と。
そんなあくる日、店が反政府過激派武装集団に襲撃された。
炎に包まれた店内で、私は武装した男たちに連れ去られた。
死を覚悟したわ。
恐怖で、意識も失った。
男たちの狙いはミュラーだと言っていた。
こんな物騒な集団にただのハンターが命を狙われるなんて、ミュラーはこの内戦の戦火でどれだけ暴れまわったのだろう。
本当に無茶で無垢な男なんだから。
私は、男たちに向かって笑ったの。
一人の娼婦のために命を投げ出す奴なんていない、と。
おとぎ話ではないのだから。
たとえ助かったとしても、いずれ私は知らぬ男に身を捧げる運命。
そう思って、すべてを諦めた。
長い悪夢を見たわ。
そして震えていた。
凶暴な獣の群れに立ち向かおうとする父の最後の姿があった。
母の悲痛な悲鳴。
父と母が獣に喰われていく姿が映っていた。
全てを失った。
深い絶望と孤独に苦しんだ。
涙が溢れて止まらなかった。
夢の中で叫んだ。
救いの声を上げた。
それは虚しくこだまするだけだった。
目を覚ましたとき、私は誰かの腕に抱き上げられていた。
その腕は埃と傷に塗れていた。
顔を上げると、そこにはミュラーがいた。
彼は、申し訳なさそうに呟いたの。
「すまん、少し遅れた」
ああ、それがずっと聞きたくて生きてきた。
その言葉は、私にとって世界で一番懐かしい響きだったわ。
あの頃の父の面影が重なった。
何があったかはわからなかった。
でも、彼が私を、一人の娼婦のために命を投げ出して、救ってくれたことだけは理解できた。
私はただ、溢れる涙を止めることなく、優しく微笑んだ。
その瞬間だけは、英雄譚に出てくる姫のような気持ちでいられたの。
ミュラーは救国の英雄になった。
そして私の英雄にもなってくれたわ。
内戦が終わった後日、私は身請け話と、自分の苦悩をミュラーに打ち明けた。
彼は、あっさり言ったわ。
「そんなことか、俺が全部どうにかするさ」
そして店の支配人に、荷車いっぱいの金貨の山を指して告げたの。
「この店の女、全員買い取る。足りるか?」
無茶苦茶な人よ。
あれだけのお金があれば、大貴族の屋敷、いえ城だって買えたはず。
でも彼は、遊女全員に自由と当面の生活費を渡した。
私も、自由になった。
これからどうすればいいのか分からず立ち尽くす私を、彼は戸惑いながら、ただ迷うように見つめていた。
本当に子どもみたいな人。
何度も言葉を飲み込み、不器用に私の手を取った。
初めて会った時を思い出させる、あのぎこちなさで。
その瞬間、私を縛っていた鎖がほどけた気がした。
「……夕飯を作ってくれないか。家がある」
しどろもどろに、彼は言ったの。
懐かしい言葉だった。
温かい言葉だった。
胸の奥から、父との記憶が溢れた。
私は涙をこぼしながら尋ねたわ。
「……毎日?」
「……毎日だ。嫌か?」
私は何度も首を振った。
涙が止まらなかった。
私はこの運命に、初めて感謝した。
ミュラーに出逢えたこと。
私を救い出してくれたことを。
父が語った英雄は、遠い物語の中にいると思っていた。
でも違ったのね。
こんなにも近く、隣にいたなんて。
だから私は決めたの。
この人に、母のように尽くそうと。
私は自分の過去を、夫ミュラーとの馴れ初めを娘ドルチェに静かに、優しく語った。
しかしドルチェは不思議そうに首を傾げて私に尋ねた。
「お母さん、ミュラーって誰? それがお母さんの初恋の人? お父様は?」
私はポカンとした顔で不機嫌そうな娘を見つめてしまった。
そうか、ドルチェは自分の父をお父様としか認識してない。
英雄の蒼い狼ミュラーは別物の存在として思っている。
そもそも私達夫婦の間で、互いの名前を呼び合ったりしない。
自分の父の名前がミュラーであることすら理解していない。
ひょっとして私の名前も?
ドルチェにとって青髪の英雄はお父様なのだ。
しまった、せっかく娘の父の英雄伝を聞かせたのに、これでは台無しだ。
語り方を間違えてしまった。
不貞腐れる娘ドルチェを諭すように、私はミュラーによく似た、青空のようなドルチェの長い髪を撫でる。
そしてふと思う。
この娘にはどんな恋物語が待っているのだろうか。
ミュラーのように、この娘の父のように、大空を自由に舞う雲のような存在に出逢って欲しいものだ。
そしてその空の彼方へ娘を自由な運命へと手を差し伸べて欲しい。
不器用でもいい。
寡黙でもいい。
ただ一途な想いが私とミュラーを繋いだのだ。
この娘もそうなって、そうあって欲しい。
ふと、黄昏に染まる海辺を見る。
水平線の先に大きな夕陽が沈んでいる。
そうか、もうすぐあの人が帰る頃か。
暖かい潮風が優しく運ばれていく。
海鳥の奏でる讃歌が故郷のカワセミの鳴き声に聞こえた気がした。
過去を語り過ぎて、郷愁に駆られたのかもしれない。
今はただあなたの帰りを待って、夕飯の仕度をします。
あなたも父と同じで帰りが遅いのね。
そんなとこまで似なくていいのに、フフフ……。




