表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第5話 時には昔の恋を語るね②


 ミュラーの不器用なアプローチに、私は死んだ父の面影を見ていたわ。


 そしていつの間にか、彼が訪れる時を、待ちわびる自分がいた。

 思えばあれが一目惚れであり、初恋だった。


 初めてのキスの味?

 ふふ、苦かったわよ、彼、直前に煙草を吸ってただもの。

 けどあの味は忘れられないわ。

 

 私とミュラーとの逢瀬は、あれからも続いたわ。

 いつの間にか私は、彼の専属の女郎になっていた。

 彼の金払いがあまりに良かったから、店が気を利かせたのよ。

 表向きは商売の都合、でも私は、内心では嬉しかった。

 彼が愛に飢えていたように、私もまた、愛情を欲していた。

 両親に愛を受けてから、幾年、ここまで自分を大切にしてくれる存在はいなかった。

 愛される喜びに、その温かさに気付いた自分がいた。

 そして私は、次第に彼に父の面影を重ねていったわ。

 不器用なところも、寡黙なところも、少し変わっているところも。

 全部、似てたわ。

 彼には『蒼い狼』なんて物騒な二つ名がついていた。

 けれど私の前では子犬のように甘えていたわ。

 あの青い髪を撫でるたびに、胸の奥が静かに満たされていった。

 そんな仮りそめの幸せをかみしめていたわ。


 でも、また私の平穏は壊れたの。

  

 身請けの話が来たのよ。

 相手の素性は詳しく知らされなかったわ。

 きっとどこぞの貴族か軍人、そういう類でしょうね。


 ただ私は絶望した。

 この時間が終わることが、無性に哀しかったわ。

 そして改めて思い知らされたの

 自分という存在は運命の鎖に縛られていて、決して自由や幸せというものが許されないものなのだと。


 私はこれまでの不幸を呪った。

 ミュラーには身請けの話はしないつもりだった。

 もし知れば、彼はきっと無茶をする。

 命を懸けてでも、私を連れ出そうとする。

 でも、それは違う。

 空の雲のような自由な彼の心を、私という鎖で縛りたくなかった。

 傲慢かもしれないけど、私はミュラーと対等の存在でありたかった。

 私という枷で、彼の未来を閉ざすのは嫌だったの。



 荒れる私の心と同じく、国内の情勢も荒れていた。

 当時、各地で内戦が起きていたの。


 ……そして、私の想いとは裏腹に、彼の耳に身請けの話が届いてしまった。

 ミュラーがその内戦に身を投じていると知った時、私の胸は張り裂けそうになった。

 あの彼が愛国心や正義感、使命感で動く人間じゃないことは知っていた。

 彼は金で動くハンターだ。

 きっと馬鹿なこと考えて私を連れ出そうとしてるんだ。

 私のために傷つくなんて、そんなことは望んでいなかったのに。

 私にできたのは、ただあの青空のような青い髪を撫でることだけ。

 それが、ひどくもどかしかった。

 あの時、初めて痛感したわ。


 自由になりたい、と。




 そんなあくる日、店が反政府過激派武装集団に襲撃された。

 炎に包まれた店内で、私は武装した男たちに連れ去られた。


 死を覚悟したわ。

 恐怖で、意識も失った。

 男たちの狙いはミュラーだと言っていた。

 こんな物騒な集団にただのハンターが命を狙われるなんて、ミュラーはこの内戦の戦火でどれだけ暴れまわったのだろう。

 本当に無茶で無垢な男なんだから。

 私は、男たちに向かって笑ったの。

 一人の娼婦のために命を投げ出す奴なんていない、と。

 おとぎ話ではないのだから。

 たとえ助かったとしても、いずれ私は知らぬ男に身を捧げる運命。

 そう思って、すべてを諦めた。



 長い悪夢を見たわ。

 そして震えていた。

 凶暴な獣の群れに立ち向かおうとする父の最後の姿があった。

 母の悲痛な悲鳴。

 父と母が獣に喰われていく姿が映っていた。

 全てを失った。

 深い絶望と孤独に苦しんだ。

 涙が溢れて止まらなかった。

 夢の中で叫んだ。

 救いの声を上げた。

 それは虚しくこだまするだけだった。


 目を覚ましたとき、私は誰かの腕に抱き上げられていた。

 その腕は埃と傷に塗れていた。

 顔を上げると、そこにはミュラーがいた。

 彼は、申し訳なさそうに呟いたの。


「すまん、少し遅れた」


 ああ、それがずっと聞きたくて生きてきた。


 その言葉は、私にとって世界で一番懐かしい響きだったわ。

 あの頃の父の面影が重なった。

  

 何があったかはわからなかった。

 でも、彼が私を、一人の娼婦のために命を投げ出して、救ってくれたことだけは理解できた。

 私はただ、溢れる涙を止めることなく、優しく微笑んだ。

 その瞬間だけは、英雄譚に出てくる姫のような気持ちでいられたの。


 ミュラーは救国の英雄になった。

 そして私の英雄にもなってくれたわ。

 

 内戦が終わった後日、私は身請け話と、自分の苦悩をミュラーに打ち明けた。

 彼は、あっさり言ったわ。

「そんなことか、俺が全部どうにかするさ」

 そして店の支配人に、荷車いっぱいの金貨の山を指して告げたの。

「この店の女、全員買い取る。足りるか?」


 無茶苦茶な人よ。

 あれだけのお金があれば、大貴族の屋敷、いえ城だって買えたはず。

 でも彼は、遊女全員に自由と当面の生活費を渡した。

 私も、自由になった。

 これからどうすればいいのか分からず立ち尽くす私を、彼は戸惑いながら、ただ迷うように見つめていた。

 本当に子どもみたいな人。

 何度も言葉を飲み込み、不器用に私の手を取った。

 初めて会った時を思い出させる、あのぎこちなさで。

 その瞬間、私を縛っていた鎖がほどけた気がした。

 

「……夕飯を作ってくれないか。家がある」

 しどろもどろに、彼は言ったの。

 懐かしい言葉だった。

 温かい言葉だった。

 胸の奥から、父との記憶が溢れた。

 私は涙をこぼしながら尋ねたわ。

「……毎日?」

「……毎日だ。嫌か?」

 私は何度も首を振った。

 涙が止まらなかった。

 私はこの運命に、初めて感謝した。


 ミュラーに出逢えたこと。

 私を救い出してくれたことを。


 父が語った英雄は、遠い物語の中にいると思っていた。

 でも違ったのね。

 こんなにも近く、隣にいたなんて。


 だから私は決めたの。

 この人に、母のように尽くそうと。





 私は自分の過去を、夫ミュラーとの馴れ初めを娘ドルチェに静かに、優しく語った。

 しかしドルチェは不思議そうに首を傾げて私に尋ねた。


「お母さん、ミュラーって誰? それがお母さんの初恋の人? お父様は?」


 私はポカンとした顔で不機嫌そうな娘を見つめてしまった。

 そうか、ドルチェは自分の父をお父様としか認識してない。

 英雄の蒼い狼ミュラーは別物の存在として思っている。

 そもそも私達夫婦の間で、互いの名前を呼び合ったりしない。

 自分の父の名前がミュラーであることすら理解していない。

 ひょっとして私の名前も?

 ドルチェにとって青髪の英雄はお父様なのだ。

 しまった、せっかく娘の父の英雄伝を聞かせたのに、これでは台無しだ。

 語り方を間違えてしまった。


 不貞腐れる娘ドルチェを諭すように、私はミュラーによく似た、青空のようなドルチェの長い髪を撫でる。

 そしてふと思う。


 この娘にはどんな恋物語が待っているのだろうか。

 ミュラーのように、この娘の父のように、大空を自由に舞う雲のような存在に出逢って欲しいものだ。 

 そしてその空の彼方へ娘を自由な運命へと手を差し伸べて欲しい。

 不器用でもいい。

 寡黙でもいい。

 ただ一途な想いが私とミュラーを繋いだのだ。

 この娘もそうなって、そうあって欲しい。

 ふと、黄昏に染まる海辺を見る。

 水平線の先に大きな夕陽が沈んでいる。

 そうか、もうすぐあの人が帰る頃か。


 暖かい潮風が優しく運ばれていく。

 海鳥の奏でる讃歌が故郷のカワセミの鳴き声に聞こえた気がした。


 過去を語り過ぎて、郷愁に駆られたのかもしれない。


 今はただあなたの帰りを待って、夕飯の仕度をします。

 あなたも父と同じで帰りが遅いのね。


 そんなとこまで似なくていいのに、フフフ……。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ