第4話 時には昔の恋を語るね①
あなたは覚えていますか?
二人でずっと歩いた畦道の感触を。
あの土の臭い、季節の訪れを風の薫り、カワセミのツガイの鳴き声を。
私は静かな夜明け前の静けさが好きといいました。
ひんやりと冷たい風。
静寂なひと時。
薄闇の中に輝く星座の輝き。
そして、星の位置から、朝日の訪れを知る。
その陽光の閃が闇を射すところが好きでした。
けど、不器用そうなあなたはこういいましたね。
「夕暮れが山に沈む姿が俺は好きだ。夜がくればまたお前と会える」
どこまでも素直な人。
だから私はあなたに惹かれたのです。
仮初の恋と知っていても、私はあなたの逞しい腕にしがみつきました。
この恋は結ばれるものではない。
けれど、あなたの温もりを忘れたくない。
そんな不安に震える私の頭を撫でて、あなたは言いました。
「俺が全部どうにかするさ」
青髪の青年は夜明けの空を眺めながら、呟きました。
世間の常識もしらない、幼いあなた。
けど朝日を見つめる眼差しには固い意思が籠っていました。
そして、私を引き寄せ、力強く抱きしめる。
それだけで私の不安は消え去りました。
誓いの口づけ、あの時、私はあなたが何に誓いを立てたかしるよしもありませんでした。
ただ甘美な唇の味に無心でした。
思えばあの時から、心の中で決意してたのですね。
本当に不器用な人。
だから好きになったんです。
私の名前はルカ=ルクルクト。
今は、どこにでもいる妻であり母よ。
最近長女のドルチェが私と夫の馴れ初めを聞いてくる。
ドルチェも15歳、年頃の娘だ。
恋に興味をもっても仕方ない。
それは暗い話になるだろう、ひょっとしたら母の私を軽蔑するかもしれない。
しかし思えば、私と夫の出会いや恋を語ったのは初めてかもしれない。
暫し、逡巡した後、お父さんには内緒ね、という約束で昔の話を語り出した。
これは本当は優しい話なのだから、この娘なら理解してくれるはず。
私は、この国、サラブの辺境にある小さな村で育ったわ。
母と父、三人家族。
慎ましくも、確かに幸せな暮らしだった。
父は村に一人しかいない駐在のハンターで、村の外に現れる害獣を狩ることを生業にしていたわ。
私が幼い頃、この地域にはハンターは父しかいなかったから、仕事はいつも多忙で、母が作ってくれた夕飯を囲むのは、たいてい夜遅くになってからだったわ。
必ず遅くに帰ってくる父は、ぶっきらぼうに一言だけ詫びる。
「すまん、少し遅れた」
それだけ告げて、三人で食卓を囲む。
そんな日々だったわ。
そうね、不器用な父だった。
幼い娘の私に絵本を読み聞かせることはなく、代わりに歴史上の英雄譚や偉人伝を語り、釣りの仕方を教えてくれたわ。
私は、父が私を男の子と間違えてるんじゃないかと、本気で疑ったこともある。
笑っちゃうでしょ。
それでも、愛情が足りないと感じたことは一度もなかったわ。
仕事が休みの日、父は必ず私のためにパンケーキ作りを、不器用な手つきで手伝い、よく焦がしてしまったわ。
何故かとても美味しかったことを、今でも覚えている。
幸せな時間だったわ。
私たちの村は、重い税に苦しんでいた。
この地を治める貴族が村人の暮らしを顧みない人だったの。
村のみんなは悪徳貴族だと罵っていたけど、無口な父は不満を口にすることなく、黙々と仕事を続け、私達家族を守ってくれていたの。
寡黙な父だったけれど、家を出る前には必ず、私と母にこう言った。
「愛してる。夕飯は先に食べないでくれ」
少しも照れずに、真っ直ぐに見つめて。
そのたびに、私と母は顔を合わせて苦笑したものよ。
私は、確かに幸せだった。
え?
なんだかお父さんみたい?
そうね、よく似てたわ……。
けれど、私が十三歳の頃、その平穏は唐突に壊れた。
肉食獣の群れが、私たちの村を襲ったのよ……。
村は蹂躙された。
ハンターだった父は、村人を一人でも救おうと、果敢に立ち向かった。
私は泣きながら必死で何度も父を止めようとしたわ
けれど父は、私の頭を優しく、相変わらずの不器用な仕草で私の水色の髪を撫でて、こう告げたの。
「すまん。少し遅れる」
本当に不器用な父だった。
その言葉が嘘だと、子供ながらにわかっていた。
それが最期の言葉になることも……。
私は父の最後の背中を瞳に焼き付けた。
父の奮闘も虚しく、村人のほとんどは肉食獣の餌食になった。
父も、母も、例外ではなかったわ。
村がそんな状態でも、この地を治める貴族は手を差し伸べなかった。
貴族は真っ先に王都へ逃げたの。
残されたのは、悲しみに暮れる私と、幼い子供たちだけ。
このままでは、飢えて死ぬ運命だった。
生き延びるため、私たちは歓楽街ベガスのスラム街へ移ったわ。
孤児院もあるし、最悪、残飯を漁れば命だけは繋げる場所だった。
幸い、村の何人かは孤児院に引き取られたわ。
けど残りは貧民街で暮らすことになった。
私も、その一人だったわ。
どん底の暮らしだったけれど、私は決めた。
残された子供たちは、絶対に守ろうと。
父に教わった釣りで魚を獲り、それを分け合って、私たちはその日を生き延びた。
釣れた魚を囲んで笑いあう時間が、何よりの救いだったわ。
もちろん、何も獲れない日もあった。
そんな日は空腹を抱えながら、私は父が語ってくれた英雄譚を子供たちに聞かせた。
希望の灯を、消さないために。
スラムの子供の中にはスリや犯罪に手を染める子もいたわ。
悲しかったが、生きるためには仕方ないと、私は咎めなかった。
ただ、自分より幼い子供たちには父や母がしてくれたように愛情を持って接した。
傍から見れば、さぞや惨めなくらしだっただろう。
それでも、子供たちの満面の笑顔を見ることができた私は、その幸せをかみしめていたわ。
十六歳の時、再び平穏は崩れたわ。
子供たちが、流行り病で倒れたの。
治療には、高額な薬代が必要だった。
私と同じ年頃の子供たちは、少年兵になるか、娼館で身を売る術しかなかった。
幼い子供が、奴隷として売られそうになった時、私は身を挺して庇い、代わりに自分の身を差し出す選択をしたわ
私の容姿を見た者たちは、高級娼館へ私を誘った。
そこでの扱いは特別だった。
栄養のある食事、美しいドレス、化粧、文字の勉強。
囲碁や舞といった教養まで叩きこまれた。
支配人は目を輝かせて、私に告げたわ。
「磨けば光る原石だ。君には特別な客を任せたい。うちの目玉としてデビューさせる」
言われるままに、私は必死に自分を磨いた。
わからないことは目上の遊女に尋ね、立派な遊郭の姫になろうと目指していたわ。
下客の前には姿を見せるだけ。
囲碁の相手をするだけ。
上客は、父に似て無口な私を選ばなかった。
覚悟してきた身としては、拍子抜けでもあった。
作法も、男の喜ばせ方も学んだ。
それでも、まだ経験していないことへの不安は消えなかったわ。
そんな時、転機がやってきた。
この街で悪名高いハンターが、店を訪れたの。
同僚たちは眉をひそめたが、私はなぜかそのハンターに好感を抱いた。
特にあの肉食獣を積極的に駆除していると聞いた時、救われた気持ちになったわ。
現れたのは、私と大して歳の変わらない青髪の若者だった。
煌びやかなドレスに身を包み、他の遊女と同じように列を作り、並び立ち、待合室で待っていると、彼は現れた。
私たちが優雅に礼をして顔を上げた瞬間、気付いた。
彼は、怯えていた。
歴戦のハンターには見えなかった。
スラムに来たばかりの頃の私と同じ目をしていた。
なんだか放っておけない気持ちでいっぱいだったわ。
彼は震える手で、恐る恐る私の名前を尋ねた。
私はできるだけ優しい声で、精一杯の笑顔で答えた。
「ルカです」
その時、初めて理解したわ
私が彼に選ばれたのだと。
そして私は心の内で決めた。
今夜だけの恋人でもいい、めいっぱいの愛を捧げよう。
父に似た、不器用で寡黙な若者に。
彼は、ただ愛に飢えていただけだった。
朝焼けの空が覗くまで、私は彼を包みこんだ。
彼の胸に抱かれながら、私は彼の名を聞いた。
「ミュラーだ」
本当に不器用な逢瀬だった。
愛の言葉を交わし合うことも、ロマンスもなかった。
だがそれが良かった。
言葉にできずとも、心は十分に伝わり切る愛の表現であったわ。
別れ際、ミュラーは実に晴れやかな顔で、私に尋ねた。
「またすぐ来る。また会えるか?」
私は胸の鼓動を抑えながら、愛おしく微笑んだ。
「もちろんです。またお会いできる日を、心待ちしています」
この時の私は、思いもしなかったわ。
彼が、ひと月もの間、毎日のように通うことになるなんて。




