第七話 : 告白
三月、三日。水曜日。
国立歩夢は無機質なベッドの上で覚醒した。今日の現実は、高校生活最後の水曜日。彼の意識には、昨日、鷺沼京子から引き出した「証言の矛盾」という名の、冷たい探求の地図が刻まれていた。
(瑛人は「競争」だと言い、京子は「じゃんけん」だと言った。この矛盾の裏に、空白の真実が隠されている)
京子から得た電話番号は、時間を超えて彼の意識に残っている。歩夢は躊躇なく携帯を手に取り、ダイヤルした。
「もしもし、鷺沼。すぐに会いたい。ファミレスで」
昨日の対面で彼女の動揺を目の当たりにした歩夢は、もはや会話に遠慮はなかった。彼の口調は、事実を暴くためだけに存在する、鋭い刃物のように冷たかった。
ファミレスの席に着くと、京子は昨日の動揺を隠し、硬い表情で歩夢と向き合った。しかし、歩夢はすぐに彼女の心の防御を打ち破った。
「昨日、お前は嘘をついた。瑛人は『競争していた』と言ったが、お前は『木の下でじゃんけんをしていた』と。どちらが嘘つきだ、鷺沼。それとも、事故の瞬間、お前はどこにいた?」
歩夢の低い、しかし有無を言わせない声が、ファミレスの賑わいの中でも異様に響く。
京子は目を固く閉じた。その瞳からは、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女は震える声で、長い間、心の奥底に封印していた真実を、吐き出すように語り始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、歩夢くん……私は、その時、木の枝にいた。あなたのすぐ後ろにいたの」
彼女の言葉は、歩夢の胸に、重い鉛の塊となって突き刺さった。
「じゃあ、足を滑らせたのは、偶然じゃないんだな」
歩夢の声は、まるで感情を失った機械のように平坦だったが、その心臓は、静かに、しかし激しく鼓動していた。
「私たちは、競争してた。でも、歩夢くんが、私よりずっと上に登って……いつもそうだった。あなたは、何でもできる。明るくて、みんなに愛されて……」
京子の息が詰まる。彼女は、絞り出すように言葉を続けた。
「私、その時、あなたの才能と、あなたの『明るい未来』が、羨ましくて、悔しくて……」
彼女は両手で顔を覆い、しゃくり上げた。
「私、一瞬、気が狂ったんだと思う。あなたが落ちるなんて、思ってなかった……足を、蹴ったの。あなたが掴んでいた枝を、思い切り叩いた」
国立歩夢を木から突き落とし、記憶喪失という空白の人生を歩ませたのは、かつての友人である鷺沼京子だった。それは、子供の悪意がもたらした、取り返しのつかない「事件」だった。
歩夢の脳裏に、事故の断片的な感覚が蘇る。京子の言葉と連動し、彼の視界の隅に、高みから見下ろす京子の、泣きながら歪んだ顔が一瞬、フラッシュバックする。
しかし、それはすぐに消え去り、確かな「記憶」には結びつかない。彼の意識に残ったのは、「突き落とされた」という決定的な情報だけだった。
「そうか……すべて、お前のせいだったんだな」
歩夢は、絶望も怒りもない、ただの事実確認のような低い声で呟いた。彼の虚無的な三年間は、誰の記憶にも残らない「透明人間」として生きることを選んだ彼のせいではなく、誰かの悪意によって作られたものだったのだ。
「ごめんなさい……私は、ずっと怖かった。あなたが記憶を取り戻して、私を憎むことが」
京子の告白は、歩夢の「透明人間」としての三年間と、彼女が抱え続けてきた「空白の真実」の重さを、一瞬で置き換えた。
歩夢は席を立った。彼は、京子の告白に対する「答え」を、この世界で出すことはできないと知っていた。どうせ、明日にはすべてがリセットされるのだ。
「……今日、お前の話を聞いた。それだけだ」
歩夢は、京子の答えを待つことなく、ファミレスを出た。
帰宅し、部屋の隅の暗いテーブルで、弁当をかきこむ。テレビをつけ、GSを起動する。
「突き落とされた」という事実が、彼の心の中で、冷たい確信へと変わっていた。
彼は電気を消し、無機質なベッドに体を沈めた。
――そして、翌朝。
アラームが鳴る前に目が覚めた。テレビをつける。ニュース番組のアナウンサーの声が響く。
「三月二日。関東地方は……」
三月、二日。
国立歩夢の意識には、「鷺沼京子に突き落とされた」という、「空白の過去を埋める決定的な鍵」が、冷たく、そして鮮明に刻まれていた。




