第二話 : 虚無
日付が戻る。もしもそんな事態に直面したら、普通の人間は動揺し、友人や家族に連絡を取るだろう。だが、国立歩夢はそうした「普通」の人間ではない。連絡を取るべき友人も、心配をかけるほどの関心を示してくれる家族も、彼の人生には存在しなかった。
だから、歩夢はこれを「夢」だと解釈することにした。
「どうせ夢だ。ならば、いつも通り学校に行くか」
夢の中だからといって、惰性で過ごす日常のルーティンを崩すのは性に合わない。特に学校が好きというわけではないが、夢の中でありながらどれだけの解像度で「いつもの日常」を再現できるのか、自分の記憶を試すような奇妙なゲームが始まった。
――ところが、違和感が一つ。
昨日、何の波風もなく終えたはずの卒業式の「翌日」に戻っているのなら、なぜ俺は、よりによって「卒業式の前日」の学校の夢を見ているのだろうか。この奇妙なタイムスリップに、何か意味があるのだろうか?特に印象的な出来事があった日ではないはずなのに。
いつも通り学校へ向かう。下駄箱で外履きを上履きに履き替え、教室へと向かう。3-Bの、出席番号通りの席に着く。今日は授業らしい授業はなく、過去の修学旅行や体育祭、文化祭などの写真や動画を編集した「思い出ビデオ」を見る日だった。
ホームルームが終わり、スクリーンに映像が流れ始める。
最初は体育祭の映像だ。派手な活躍などしていないから、俺が映っているはずがない。そう思いながら見ていると、映像が進むにつれて奇妙な確信に変わっていく。俺は、どの動画にも、どの競技の写真にも映っていなかった。その後の文化祭、修学旅行の動画を見ても、俺の写真は一枚もなかった。
「まあ、記憶というのは曖昧なものだ。それに、俺は昨日、このビデオが流れている時は突っ伏して寝ていたはずだ。だから、映っているわけがない」
そう自己完結しかけたとき、決定的な疑問に気づく。
「……いや、待てよ」
俺は、確かにすべてのイベントには参加していた。特に、集合写真だけは、形式的に欠席は許されないから、必ず写っているはずだ。しかし、流れる映像の中で、体育祭の閉会式、文化祭の出し物前、そして修学旅行の記念碑の前で撮られた「3-Bクラス集合写真」のすべてに、俺の姿はなかった。
「なんで……俺は、そこにいたはずだ」
昨日、このビデオが流れている時、俺は突っ伏して寝ていた。内容を知らないはずだ。それに、三年間を「透明人間」として過ごした俺が、クラスメイトの顔をここまで鮮明な解像度で記憶しているはずがない。誰かの卒業後の進路の話、休み時間の何気ない会話、教室の壁の傷、教卓の上の埃の量まで、俺の記憶は昨日とは比べ物にならないほど鮮明だ。
今日の学校は昼上がり。コンビニに寄り、昼と夜用の弁当を買い、いつものように帰宅する。
部屋の隅の暗いテーブルで、弁当をかきこむ。テレビをつけ、GSを起動する。昨日の自分と、寸分違わぬ行動を繰り返す。
「これは、夢じゃないよな……」
無力な言葉が虚しく響く。
「昨日、時間を巻き戻した俺の人生は、今日という一日で何を『選んだ』んだろうか」
結局、今日一日の行動は、何も変わらなかった。
そう自嘲して、電気を消し、無機質なベッドに体を沈めた。
――そして、翌朝。
アラームが鳴る前に目が覚めた。テレビをつける。ニュース番組のオープニングテーマが流れ、アナウンサーの声が響く。
「……今日の天気予報です」
画面に切り替わった天気図を見ながら、アナウンサーが淡々と読み上げる。
「三月七日。関東地方は……」
――三月、七日。
国立歩夢の人生は、何の予兆もなく、再び「昨日」へと逆戻りしていた。




