婚約破棄の影
「ジャスミン・フランクリン公爵令嬢!貴様とは婚約破棄する!ここにいるアガサに嫉妬して、嫌がらせだけではなく、暗殺しようと殺し屋を差し向けたと判っている!捕まった殺し屋が吐いたぞ」
月一の定例パーティーで、迎えに来なかった第二王子は既に会場奥の壇上に居た。
緩やかな癖のある金髪に翠の目を持つ神経質そうな王子の横には、茶色のくるくる巻き毛の胸の大きな女が、大きな目をうるうるさせて、媚を売るように縋り付いている。
ジャスミンは腰まで伸びた輝く銀白色の髪に紫の目のすらっとした令嬢だ。身長は165センチで周りの女性より少しだけ背が高い。
ヒールを履くと170センチ位になり、175センチ足らずの第二王子はエスコートを嫌がるようになっていた。
毎度毎度、エスコートしなかった無礼を、いい加減言ってやろうと近付いたら、この台詞だ。
「はあ?アガサって、ちょっと見目が良くて爵位が上の男に、声を掛けまくって色気振り撒いてるって有名な方?その人がそうなのですね。初めてお目にかかりますわ」
「アガサは純情な奥ゆかしい女性だ!そんなのは別人だ!言うに事欠いて、酷い事を言うな!」
「いえ?殿下の横で私を睨みつけて変顔してる女に間違いないそうです。とにかく、婚約破棄は受け入れます」
「誰が変顔よっ」
ジャスミンは扇を広げて顔の下半分を隠した。にやけ口を隠すためである。
周囲にいた知り合いの淑女達も失笑している。
「婚約破棄は良いですが、ところで、嫉妬って何でございましょう?私、好きでも無い相手にそんな感情ありませんわ。王命による政略結婚ですもの。勝手な事ばかり仰らないでください」
「え、そんな、ジャスミンは私の事を好きだと…前言ってたじゃないか!」
目を見開いて、衝撃を受けた間抜け顔をする王子。
「え?前って、そうね、6歳の時に顔だけが好きだと、本人に言ったかしら?そんな10年も昔の事、よく覚えていらっしゃいますね?」
「し、失礼な!とにかく、今は私はアガサと想い合ってるのだ。そうだ、とにかく暗殺の件で取り調べだ!早く捕えろ!」
ジャスミンは、急にもじもじして顔を赤らめた。
「え、いいのに。こんな事で出て来なくて。影の意味ないじゃない」
「こんな事だから、です。ジャスミン様」
いつの間にかジャスミンの背後に、黒ずくめの男が立っていた。
「え、誰だ⁈どこから⁈」
男は180センチ超えの高身長、細身ながら鍛えた身体つき、黒髪に切長の青い目、口元は黒い布で覆われているが、かなりの男前に思える。
「俺は王の影。王子の婚約者に付けられている者です。王に命じられて、婚約者の不貞を見張り、害する者を排除する役目を負っています」
「王の影だと?私は知らんぞ⁈」
「王子じゃなくて、王の影だと言ったでしょう?」
ジャスミンは驚いている第二王子に扇子を畳んで突きつけた。
「つまり、あなたと婚約させられてから、ずっと私の側にいたのです。彼なら、私の行動を逐一知っているし、正確に定期報告しています。ですから、私が嫌がらせや暗殺(ふっと鼻で笑ってしまった。無作法だわ!私としたことが)を企てなどしていないと、影が証明してくれますわ」
「アガサ…?」
「ち、違います!私、本当に嫌がらせを!ごろつきに襲われて、そんなことするのは、フランクリン公爵令嬢位しか…」
「そうだ!取り調べをするから、取り押さえろ!」
警護についていた騎士達を指さすが、全く白けている周囲と動じないジャスミンに戸惑っている。
サッと影はジャスミンを庇うように前に出た。剣は鞘につけたまま柄に手を掛け、捧げ持つ。一応王子の前なので抜刀はしないが、いつでも抜けると言う意思表示だ。
「無罪に決まっている私に危害を加えようとする者は、酷い目に遭いますわよ?この影は王命で付いてるのですから」
「そうじゃ無くても、守る」
影はジャスミンにかろうじて聞こえるくらいの声で言った。
「ありがとう、頼もしいわ」
小声で返し、扇をかざしたまま、ジャスミンは口角を少し上げる。
婚約してから付けられた、10歳上の影は、公爵令嬢の彼女を何度も襲ってくる暗殺者や、不埒な輩を悉く退けた。
何度彼の背に安心感を覚えただろう。
自分も怪我をしてるのに、真っ先にジャスミンのことを心配してくれる。あの青い目が、普段は冷徹な目が、ジャスミンを思って揺れるのが切なかった。
「本当は姿を表しては駄目なんですよ?」
と言われつつも、怖くて泣き止まぬジャスミンを放っておかなくて抱っこしてくれる優しい影。
課題で夜遅くなり、机で寝落ちしてしまうと、必ずベッドまで運んでくれる。
枕元に花が置かれて、それを見ると「また机で寝ちゃったのね」と恥ずかしくもあり、嬉しくもあり…
影との思い出に、きゅっとする胸を抑えて毅然と立つ。
「婚約者のいる男にも、見境なく粉かける女に、嫌がらせしたい女性は、他にも沢山いらっしゃるのでは?殿下も趣味の悪いこと!気分が悪くなりましたので、これで失礼させて頂きますわ」
「どう言うことだ」「違う、違うのよ、向こうが勝手に」
などと痴話喧嘩を始めた2人にカーテシーをすると、ドレスを翻して出口に向かった。
姿を消そうとした影に無理やりエスコートさせて。
ジャスミンは長い廊下を歩きながら影に不満を言う。
「全く、パーティーに出るまでの準備にどれだけかかったと思うの!全く無駄な時間だわ」
「婚約期間の方がもっと無駄な時間だ」
「まあ、そうね、でも、月一のお茶会とパーティーが鬱陶しかっただけで、気にはならなかったわ。有象無象の婚約者候補が来なかっただけでも、虫除けにはなったし」
「不埒な奴は退治したしな。これからどうする?」
「あら?そうね、私は、領地に篭ろうかしら?お祖父様とお祖母様が是非来てと仰られてたし。でも、お父様を手伝って、外国で商売するのもいいわね」
「俺は、婚約破棄が成立したら、お役御免だな」
影は無表情になった。
「駄目よ」
ジャスミンは立ち止まって影、カトル・セイゾンの腕を掴んだ。
「あなたは、これからも私と一緒にいるの」
カトルは口周りを覆っていた布をずらした。
「俺は影で」
「それは、もういいの。これからは、伴侶として、私の横に立って頂戴」
少し赤くなった顔で、ジャスミンはカトルを見上げた。
「影じゃなくて、私と一緒に歩いて?」
「俺は、本当は男爵の三男だぞ?公爵と身分差がありすぎるだろ!」
「別に相手の爵位は関係ないわ。王子妃を蹴ったのよ、私」
「だが、俺じゃなくても」
「いいえ!何だったら、父から余ってる子爵とか貰えばいいのよ」
ジャスミンはさらに詰め寄った。
「あなたが、カトルがいいのよ。10年も一緒にいて、私の事をずっと見てくれて、守ってくれたのは、あなただけよ」
カトルは、紫の瞳が涙でキラリと光ったジャスミンを見下ろすと、それ以上反論できなかった。
「わかった。俺が言うよ」
カトルは深呼吸して一気に吐き出した。
「愛してる、ジャスミン、影としてでは無く、ずっと好きだから守っていた。捨てられ同然に王の影組織に入れられて、卑屈になっていたが、ジャスミンに癒されていた。これからは、俺の為に、笑顔を見せてくれ」
「私も愛してる。私の大切な影、ううん、私のナイト。これからも私だけを守って幸せにして」
「ああ、約束する」
2人は廊下に立ち止まって抱き合い、口付けをした。
「さて、ジャスミンの父上になんて言うか考えないと。早く馬車へ行こう」
「父母には私が言えば大丈夫。いざとなったら駆け落ちよ!」
カトルはジャスミンを軽々と抱え上げ、くるっと一周回った。
「このまま、攫ってもいいか?」
「そうね!それでも良いわ!取り敢えず、第二王子から逃げましょう!重くない?」
「全然!」
2人は微笑みながら去って行った。