前編
俺は貧乳が好きだった。貧乳が好きで好きでたまらなかった。暇さえ貧乳の女の子の絵を描いていた。
そんな俺は今、人生の終わりを迎えていた。
終わりとはアニメのように劇的ではなく、随分あっけないものだ。自宅でうっかり階段から足を滑らせて頭を打って死ぬなんて……。
俺の脳内に走馬灯が流れる。しかしそこに流れたのは、よくある感じの、幸せな家族や友人との思い出の映像ではなかった。
――もっと辛く心に深く刻まれた傷、そう、貧乳キャラの胸を盛られた絵を見てしまった瞬間だ。
俺には貧乳好きとして絶対に譲れない美学があった。それこそが、『貧乳キャラの胸を盛らない』ということ。
貧乳とは芸術品だ。その価値はとても希少であり、だからこそ守らねばならない。
貧乳とはアイデンティティーだ。そのキャラ、いや、その人間をその人たらしめる一つの個性であり、それを壊すことはその人に対する冒涜だ。
貧乳とは未来への希望だ。人は貧乳を見ることで、希望を取り戻し、明日への一歩を踏み出すことができるのだ。
だからこそ、貧乳キャラの胸を盛られた画像をネットで見たときのショックは計り知れなかった。その憎しみが、まさか走馬灯にまで現れるなんて……。
俺は薄れゆく意識の中でポツリと呟いた。
「もしも……もしも……貧乳の胸を守る力があったら……」
それは俺の、人生最後の願いだった。
「もしもーし、起きてくださーい」
どこからか声が聞こえる。かわいい女の子の声だ。そうか、ここは天国なんだ。きっと俺を貧乳の天使が迎えに来てくれたんだ。そうに違いない。
俺はゆっくりと目を開ける。
「おはようございます、やっと起きましたね」
「なんだ……巨乳か……」
そこに居たのは、ただの巨乳の猫耳メイドだった。
「なんだ巨乳かとはなんですか! あなたの貧乳好きはよく知ってますけど、私は元から巨乳なんですからね。あなた様にそんなこと言われる筋合いはありません!」
メイドが頬を膨らませて怒っている。ああ、これで胸が小さければ可愛いのに。
俺は身体をゆっくり起き上がらせ、あたりを見回す。どうやらここは天国では無いらしい。俺がいたのは、絵や絨毯や壺など明らかに高価なもので溢れた広い部屋。その部屋の真ん中にある、一人で寝るには明らかに大きすぎるベッドの上だった。ベッドの側で猫耳メイドが耳をヒクヒクさせている。
「どうかしましたか?」
「ここ……どこだ……」
メイドがため息をつく。
「ヒンヌースキー様ったら、またそんな冗談を……」
「なんだそれ? 誰のことだ?」
「あなた様に決まっているでしょう! どこまで寝ぼけてるんですか! 鏡を見てください」
そう言って猫耳メイドは鏡を取り出しこちらに向ける。
「これが……俺……?」
そこに居たのは、犬耳の生えた一人の美少年の姿だった……。
◆ ◇ ◇
「えーー!! ということは、本当に今のあなた様は私のお仕えするヒンヌースキー様とは別人ということにございますか!?」
猫耳メイドの声がこのお屋敷全体に響き渡る。
彼女の名前はデカムネーノ・ワンス。俺、というか、俺の元の身体の持ち主に仕えるメイドらしい。
信じられない話だが、どうやら俺は、異世界転生をしてしまったらしいのだ。
「ヒンヌースキー様……では無いんですよね。あの、私、こういう経験は無くて、どうすれば……」
ワンスさんが困惑した様子でこちらを見ている。あぁ、本当、これで貧乳なら可愛いのに。
「俺のことはいい、それより、この世界のことについて教えてくれよ。俺の身体の持ち主がどんな人だったかとか、この世界がどういう世界なのかとか」
「はい、かしこまりました。ヒン、いえなんとお呼びすれば……」
「俺のことはワットとでも呼んでくれ」
ワットというのは、俺の元の世界でのあだ名だった。俺の本名は青須和久斗、だが少し呼びづらかったためみんなワットと呼んでいた。
「はいワット様、ワット様が今使われているお身体はこの屋敷の主、シャリバル・ヒンヌースキー様のものです。ヒンヌースキー様は幼くして家族を失い、以来私が一人であなたのお世話をしながら生活していました。このお屋敷も元はあなたの、いえ、ヒンヌースキー様のご両親から受け継いだものです」
「そうだったのか……それで、ここ、いやこの国はどこなんだ?」
さっき窓から外を見た限り、ここは随分と栄えた平和な国のように見えた。窓からみえる巨大な塔は特に立派で、栄えている国でなければあんなものは建造できないだろう。
「はい、ここはこの世界で一番大きな面積を誇る国、メチャデッカパイ帝国です。ここは性産業がとても盛んな国で至るところに……その……エッチな感じの……そういう店が溢れています」
碌な国じゃないな。と、言いかけてグッとこらえた。
「ありがとう、取り敢えず今はそれくらいでいいや。また何か分からないことがあったら聞くことにする」
「かしこまりました。……あっ、そういえばワット様、別人ということは、まさか明日の仕事のことも知らないのでは?」
そうか、俺、仕事してるのか。言われて初めてハッとした。現世では親の脛をかじり続けるクソニートだったので、仕事という発想が無かった。
「あぁ、教えてくれ、なんだ仕事って」
「お教えしましょう、あなた様のお仕事、それは……」
「それは?」
「――それは、貧乳の胸を盛る『モリモリ団』と戦うことです」
次回の更新は明日、2月3日の18:00を予定しています。