六
「道三殿、ちと特効の薬を...」
声は二人、いや三人か。足音の間隔から判断して、おそらく刀の心得のある者たちだ。
道三は素早く、しかし慌てる様子も見せずに、火皿の灯りを消した。暗闇の中、彼の手は正確に動く。まず、緊急連絡用の「早飛び」を完成させ、清吉に手渡す。
「裏の井戸から、いつもの道を」
清吉は無言で頷く。背中に仕込んだ竹ひごが、いざという時の武器となる。
「客人をお待たせするのも商売の恥」道三は通常の声量で告げる。「ただ今、薬箪笥から良い物を...」
彼は言いながら、薬研の中に特殊な粉を入れ始めた。表からは、ただ薬を調合しているようにしか見えない。だが、その実態は違う。
砂糖に似た白い結晶、それは硝石。そして、わずかな量の木炭と硫黄。この配合は、通常の火薬とは異なる。爆発力ではなく、強力な発煙効果を生む特殊な調合だ。
「清吉」道三は小声で指示を続ける。「まずは証拠の...」
その時、表の客が障子を開ける音。同時に、裏庭からも足音が聞こえ始めた。
道三は薬研の粉を、さりげなく炉の火種に近づける。
「申し訳ございませぬ、良い薬を探すのに...」
彼の手が、さらに別の小包みを取り出す。中身は「目潰し」。特殊な配合の粉で、目に入ると強い痛みを引き起こす。通常は眼病の薬として使う生薬を、別の形で調合したものだ。
清吉は既に部屋の隅に立っていた。背中の竹ひごを、素早く取り出す。これは武器としてだけでなく、井戸を降りる時の補助具にもなる。
「お待たせ致しました」道三は来客に向かって声をかける。「どうぞ、こちらへ...」
その瞬間、いくつもの事が同時に起こった。
まず、硝石の混ぜ物が発火し、強烈な白煙が部屋中に充満する。同時に、道三は目潰しの粉を、扉の方向に向かって撒いた。
「むっ!」
苦痛の声と共に、何人かが躓く音。
「清吉!」
道三の声に合わせ、清吉は井戸の方へと身を躍らせる。背中の竹ひごが、瞬時に綱となって井戸を降りる。
「くっ...」
表では、何人かの男たちが目を押さえて苦しんでいる。その隙に、道三は火皿をひっくり返した。燃え移った油が、更なる煙を発生させる。
「逃がすな!」
怒号が響く中、道三は別の手を打っていた。商人が普段使う算盤。だが、その玉の一つ一つには、特殊な仕掛けが施されている。
彼は算盤を床に投げ付けた。
「おっと、これは...」
[続く...]