二
日が傾きはじめ、通りには夕暮れの影が長く伸びていた。道三は店先の薬草を丁寧に収納しながら、特製の目薬を調合し始めた。
「竜胆に防已、それに...」
彼の手は熟練の動きで生薬を計量していく。その仕草は、まさに老練な薬種商のもの。しかし、その調合には別の目的があった。特定の生薬を混ぜ合わせることで生まれる色素は、隠し文を書くための優れた墨となる。昼は透明でありながら、夜になると微かに発光する特性を持つのだ。
「道三様」
声をかけたのは、店の小僧、清吉。表向きは丁稚奉公の少年だが、実は根来組の血を引く者だった。
「清吉、その防已、もう少し細かく刻むように」
道三は若者に指示を与えながら、さりげなく目配せをする。清吉は頷き、薬研で生薬を擦りながら、低い声で報告を始めた。
「向かいの屋敷、昨夜また不審な人物が...火薬の匂いがしました」
道三の手が一瞬止まる。火薬。それは単なる武器としてだけでなく、様々な用途に使われる危険な物質だ。特に、近年は従来の黒色火薬に改良を加えた新しい配合が、密かに広まっているという。
「硝石の量は?」
「多めでした。硫黄の臭いは弱く...」
道三は清吉の言葉の意味を即座に理解した。硝石が多く、硫黄が少ない配合。それは爆発力よりも、発煙効果を重視した特殊な調合だ。
夜も更けた頃、道三は座敷で一枚の図面を広げていた。火皿に灯した菜種油の灯りが、微かに部屋を照らす。図面には、向かいの屋敷の間取りが詳細に記されている。
「建具の配置、床下の様子、そして...」
彼の指が、屋敷の裏手にある土蔵を指す。普段は米や味噌を貯蔵する場所のはずが、最近になって頻繁に人の出入りがある。しかも、その多くは夜間だった。
道三は立ち上がり、座敷の隅にある薬箪笥に向かう。普段は貴重な薬材を収める引き出しの一つを開くと、中から小さな包みを取り出した。開いてみると、そこには極めて細かい粉末が。これは「隠れ粉」と呼ばれる特殊な調合物だ。床や畳に撒いておくと、人が踏んだ跡が微かに変色して残る。
「明日は、商談と称して...」
道三は粉の包みを懐に納めながら、明日の計画を練り始めた。向かいの屋敷に仕掛けられた罠を探る必要がある。そして何より、彼らが計画している事の全容を。
[続く...]