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そうです私はニセ聖女です! 〜田舎娘は婚約破棄と追放を喜んで受け入れます〜

作者: 茅野ガク

「エステラ! お前は聖女を騙る詐欺師(ニセモノ)だ! 更に王太子である俺を侮辱するという大罪を犯した……っ。よってお前との婚約は解消、及び神殿からも追放だっ!」


 日曜の昼前。神殿の礼拝堂で事件は起きた。


 聖女の祈りの歌を聞きに訪れた大勢の人の前で、クレタウ王国の王太子レヴォルト・クレタウが金髪を振り乱し碧い瞳を血走らせながら、一人の少女を断罪したのだ。

 しかもレヴォルトの隣では、ウェーブを描く黒髪と黒い瞳の美女が紅い唇を吊り上げ豊満な胸を彼へ押しつけるように立っている。


 自分の婚約者である王子からの婚約破棄と追放宣言。


 厳しい言葉に、淡い金髪の少女――エステラの大きな空色の瞳にじわりと涙が滲む。

 まばたきの度に音がしそうなほど長いまつ毛に囲まれた瞳からこぼれ落ちた雫は、そのまま宝石になるのではと思うくらいに美しく、衛兵や神官や参拝客は状況も忘れてうっとりと彼女に見惚れた。


 エステラが薄桃色の小さくて可憐な唇を開く。

 観衆がごくりと息を呑み、神殿が静まりかえる。



「――――その婚約破棄と追放、喜んでーーっっ!!!」



 嬉し涙を流しながら、エステラは元気よく礼拝堂に響き渡る大きな声でレヴォルトに答えた。


* * *


 エステラは、超がいくつもつくほどの超超超山奥の出身だ。

 生まれたばかりの赤ん坊の頃に山の泉のほとりに捨てられ、師匠に拾われ、十六年間を人里離れた山の中で生きてきた。


 時折、魔術と薬術を嗜む師匠の元へ来る客や師匠の友人などが訪れたが、基本は師匠との二人暮らしで、都会の流行りにも洗練されたマナーとも無縁の人生だった。

 山を走り回り食べられる鳥や小動物を狩ったり、野草を煎じて薬を作ったりするのが日々の暮らしだった。


 そんなエステラが何故、聖女として王太子と婚約することになったのか。

 ことの始まりは二ヶ月ほど前まで遡る。


『師匠! 都会にはこんなに美味しいお菓子がたくさんあるんですね! 私、食べ歩きというものをしてみたいです!』


 師匠の元へ薬を買いに訪れた客が土産として持ってきたフルーツタルト。

 バターの香るサクサクとした食感の生地の上に、ナパージュでコーティングされたツヤツヤで色とりどりのみずみずしい果物が宝石のように並べられ、口に入れると果実の爽やかな甘みとトロリとしたカスタードクリームの甘さが至高のハーモニーを奏でる。


 山奥で手に入るスイーツなんて、木からもいだままの実か、それを乾燥させたものか、花の蜜くらいで、エステラはすっかり都会のスイーツに魅了されてしまった。


『確かにもうお前も十六歳だし、もっと広い世界を知っても良いかもしれないね。いいよ行っておいで。……ただし、危ないことをしていると判断した場合にはすぐに帰ってきてもらうからね』

『はい! 私そんなことはしません! 任せてください!』


 騒動を起こしたら即強制送還。

 厳しくも過保護な師匠はエステラに条件をつけて送り出してくれた。

 普通の人間ならば王都までは徒歩で一ヶ月以上かかる距離だが、慣れている師匠に送ってもらったおかげで早く着くことができた。


 レンガで舗装された大きな通りに、串焼きや果実飴を売る屋台が並び、大勢の人で賑わっている。


『すごい、飛んでる鳥より人の数が多い……! それになんだか皆オシャレ……!』


 さすが都会だ。

 シンプルな白のワンピースばかり着ているエステラには、道行く人々がみなカラフルに見えた。


『屋台も美味しそうだけど、私が目指すのはもっと……』


 串焼き肉がジュージューと焼ける音と食欲をそそる脂の匂い、焦がし砂糖を絡めたナッツの香ばしく甘い誘惑。

 それらに惹かれつつも、食べ歩き予算が無限にあるわけではないエステラは目当てのものを売っている店を探す。


『あった……! タルト専門店……!』


 赤いレンガ造りのお店のウィンドウの向こうで、エステラを夢中にさせた果実の宝石がショーケースの中に並んでいる。


『しかもフルーツタルトだけじゃない……! ショコラ? チーズ? マロン? どれも美味しそう……!』


 意気揚々とタルト専門店へ向かおうとしたそのとき。


『ゔッ! お腹が、お腹が痛い……っ!』


 エステラの前で、同じ年頃の金髪の青年が腹を抱えてうずくまった。


『大丈夫ですか?!』


 慌てて駆け寄ると、青年は脂汗をかき、碧い瞳を苦しそうに歪めている。


『どなたか、お医者さんを呼んで――』

『た、ただの腹痛だ……っ。おおごとにしないでくれ……っ』

『そんなに苦しそうなのにっ。……そうだ、私が持ってる薬を飲んでください……!』


 山から常備薬として持ってきた黒い丸薬。

 材料は山に生えている適当な野草ばかりで、臭いと味が独特だが、師匠の客には「なんにでもよく効く」と好評の薬だ。


 革の小袋から丸薬を取り出し、水筒と共に青年へ押しつける。


『なんだ、この酷い臭いは……! まさかお前、俺を毒殺するつもりか……!』

『もうっそんなことするわけないでしょう! お薬です! あなたが苦しそうだから助けたいだけ! とにかく、飲んで!』


 小柄なエステラに比べて青年の背は高かったが、よほど腹が痛いのか抵抗する力は弱々しい。

 これなら山で鹿を仕留めるときのほうが簡単だ。


 そう判断したエステラは丸薬と水を無理矢理に青年の口へ流し込んだ。


『グァっ?!』


 青年の口を押さえること数分。

 飲ませた薬がよく効いたらしく、青年の脂汗が止まり顔色も良くなっていく。


『もう大丈夫みたいね、良かった。じゃあ私はこれで……!』


 回復を見届け、今度こそタルト店へ向かおうとしたエステラの腕をがしりと青年が掴む。


『お前、もしや俺の運命の聖女だな?!』

『――――はい?』


 まさか助けた相手が、おしのびで街に遊びに来ていたこの国の王太子だったなんて、誰が予想できただろう。


 そこからは急展開で、エステラは王子を救った聖女として神殿に保護され、しかもいつの間にやらレヴォルトの婚約者ということにまでなっていた。


 急展開すぎて口が挟めなかったのもそうだが、いくら自分は聖女なんかではないとエステラが否定しても、神官たちは耳を貸してくれなかった。


『そんなそんな。ご謙遜を聖女様』

『貴女様がお持ちになった薬は奇跡の薬です』

『我々も試しましたが、この薬は本当にどんな症状も治してしまう……!』

『私は慢性的な頭痛がなくなりました』

『私は拗らせていた風邪があっという間によくなりました』

『私は水虫が』

『私なんて薄毛が治りました』

『つまり、こんなに素晴らしい薬を作れる貴女は聖女様に他ならないのです!』


 自分の作った薬で悩みが解決し、笑顔になった人たちがいる。


 それは喜ばしいことなのだが、エステラの持っている薬なんて、材料は山ならそこらじゅうにいくらでも生えている葉っぱだし、作り方も簡単だ。

 ただ材料をすり潰して丸めるだけだから、子供でも一時間もかからずに作れる。


(それなのに奇跡って言われて聖女として扱われちゃうなんて……!)


 しかも都会に出たことのないエステラは知らなかったのだが、どうやら自分の外見はここでは儚げかつ神秘的に見えてしまうらしい。


 ただの色素の薄い白っぽい金髪は、絹糸のような淡いホワイトブロンドだと褒められた。

 逆さまつ毛が刺さってチクチクすることのある目も、けぶるようなまつ毛に縁取られた空色の瞳と称えられた。

 自分では生白いだけだと思っている顔色も、シミひとつないミルク色の肌と評判になっているらしい。


(現実との乖離が凄まじいのよっ!)


 エステラは、実際は髪も肌も頑丈なだけの山奥育ちだ。

 髪は洗いざらしでも枝毛一つなく艶を保っているし、肌はどんなに太陽の下を駆け回っても日に焼けることなく荒れたこともない。かすり傷だってすぐに治ってしまう。


(実際の私とはかけ離れた『聖女様像』がどんどん独り歩きしてて怖い……っっ! 神殿でちょっと過ごせば誤解も解けるかと思ったのに、なんか逆に私の一挙手一投足を良いほうに解釈されるし!)


 先日など、神殿の中庭で歌っていたら歌につられて鳥や小動物が周囲に集まって来ただけなのに「さすが聖女様の奇跡の歌声!」と曲解され、その日から礼拝堂で祈りの歌として披露するはめになってしまった。


 動物が集まってくることなんて、山奥育ちのエステラにとっては日常茶飯事だ。


(おかげでますます、聖女じゃないって言っても信じてもらえなくなるし……!)


 聖女の保護という名目で始まった神殿での軟禁生活。

 一応、衣食住は保証されているし閉じ込められているわけではないのだが、街に自由に買い食いにはいけないし、提供される食事も精進料理で甘いものなど一切出ない。


(これじゃあ山にいるときよりも甘味が足りないのよぉぉぉっ! 早く私は聖女なんかじゃないって、みんなの誤解を解かなきゃ……っ! でも穏便に過ごさないと、問題になったら師匠にバレて強制送還されちゃう……!)


 すぐにでも逃げ出したい気持ちと、問題を起こして強制送還になりたくないジレンマ。

 頭を抱えなら聖女ライフを送っていたある日、王太子レヴォルトがエステラとの面会を求めてきた。


 これはチャンスだ。まずは彼の誤解を解き、自分がただの山奥出身の一般人だと知ってもらわなければ。


『あのレヴォルト様……! 二人きりでお話ししたいことがあるので、どこか静かな場所に行きませんか』


 そう言ってレヴォルトを人気(ひとけ)のない個室に呼び出したのが失敗だった。

 レヴォルトはなにを勘違いしたのか、鼻息荒くエステラに迫りだしたのである。


『二人きりになりたいなんて、お前はなかなか積極的な女だな。いいぜ、お前の気持ちに応えてやる』


 そう言って唇をタコのように突き出し、ジリジリと距離を詰めてくるレヴォルト。

 彼の見た目は整っているものの、好きでもない男にそんなことをされて嬉しいはずがない。

 むしろ、不快と恐怖のマリアージュだ。


『い、嫌……! やめてくださいレヴォルト様……!』

『なんだ、今度は照れてるのか。そんな姿も初々しくてそそるぞ』


 壁際まで追い詰められたエステラはパニックを起こした。


『ひっ……! い、いやぁ……! ――どっせえぇぇい!!!!!』


 相手が王族ということも忘れて、渾身の力を込めてレヴォルトを突き飛ばす。


『がァァァぁっっ?!?!?!』


 ドゴンッッッ!!!!

 まるで突風に煽られたかのように軽々と吹き飛んだレヴォルトの身体が、派手な音を立てて壁に激突した。

 よほど痛かったのか、床に落ちた彼はピクピクと痙攣している。


『きゃーーーーっ?! ごめんなさいごめんなさいレヴォルト様! とっさのことで手加減できなくてっ! だってまさか、王太子ともあろう方がこんなに弱いなんて思わなくて……っ!』


 エステラの心から出た素直な言葉に、レヴォルトは「お前なんて俺の聖女じゃない……!」と半泣きになりながら城へ帰っていた。


 この出来事が三日前のこと。


 レヴォルトがぶつかって穴の空いた壁を見たときは肝が冷えたが、なんだかんだ彼に怪我はなかったし、何よりやっと自分が聖女という誤解が解けた。


 ――とホッとしていたところに起きたのが、ニセ聖女だという断罪と婚約破棄宣言だ。

 しかもレヴォルトは既に自分にとっての新しい聖女を見つけ、彼女と恋に落ちたと言うのだ。

 

 もう、大喜びで応援しないわけがない。



「その婚約破棄、喜んでぇぇぇぇっっっ!!!!」



 こうして、エステラは一ヶ月以上におよんだ聖女としての神殿生活から解放された。



* * *



「お世話になりましたぁぁぁーーーー!」


 レヴォルトが断罪を始めたときは投獄される可能性もあるかもと身構えたが、エステラはあっさりと神殿の外に出ることができた。

 どうやらレヴォルトは新しく聖女として迎えた恋人を早く神殿に住まわせるために、さっさっとエステラを追放したかったらしい。


(あと、交流のあった神官さんたちが庇ってくれたから、私が犯罪者(詐欺師)として投獄されずに済んだのよね)


 新しい『聖女』はエステラとは正反対のタイプのようだったから、神官たちも上に振り回されて大変だなと同情する。


「でも、これでやっと念願のあのタルトのお店に行けるわ。気持ちを切り替えて食べ歩きの旅の再開よ……!」


 しかし、エステラの前にまたしても厳しい現実が立ちはだかった。


「――――ウソでしょおぉぉ……っ。こんなの、辛すぎる……っっ!」


 エステラは目の前の光景を受け入れたくなくて、地面にくずれ落ちガックリとうなだれる。


 臨時休業。


 何度読んでも、タルト専門店のドアに貼られた紙には、あと三日ほど休店すると書いてある。

 鍵はしっかりとかけられ、店内には誰もいないようだ。


「このお店のタルトさえ食べられたら、迷惑をかけないようにすぐにこの街から出て行くつもりだったのに……!」


 エステラがニセ聖女としてレヴォルトの怒りを買っていなければ、三日間などすぐに過ぎたのかもしれないが、この国の王子に睨まれている状態で過ごすにはハードモードすぎる。


「どうせなら、あと三日遅く追放してくれればよかったのに……っ!」


 もうこのお店のタルトは諦めて王都から出ていくしかないのか。

 苦渋の決断を迫られ、エステラは地面に座り込んだまま頭をかきむしった。


「――お嬢さん、なにかお困りですか?」

「えっ?」


 突然、頭上からかけられた声。

 見上げると、逆光の中ですらりとした長身の人物が立っている。

 フードのついたマントのせいで影になってしまって顔はよく見えないが、低すぎず高すぎず耳に心地のよい声から判断すると、青年のようだ。


「なにか、困ってる?」

「あ、はい、そうなんです。このお店のタルトが食べたかったのに、お休みで……」

「あー……」


 エステラが貼り紙を指差すと、青年は納得したように頷いた。


「とりあえず、立ちなよ。薄手のワンピースで地面に転がったりしたら、ケガするかもしれないし」


 スマートな所作で手を差し出され、思わずその手を借りながら立ち上がる。

 青年の手は指が長く優美な印象だったが、指の付け根や一部が硬くなっていて、彼がふだん剣を扱う者だとわかった。


「すみません、ありがとうございます。どうしてもこのお店のタルトが食べたかったからショックで。私、すぐに別の街に移動しなきゃいけないから、このお店のお休みが終わるの待てないんです」

「うーん、そうだね。王子に断罪された聖女様が一人であと三日過ごすのは、確かに厳しいよねぇ」

「えっ」


 青年はエステラがニセ聖女だとわかっていて声をかけたのか。

 思わず手を引っ込めると、彼は薄い唇を笑みの形にした。


「はは、驚かせてごめんね。実は俺、さっき神殿の中にいたんだ。ニセモノとして追放された聖女様がどうするのか気になってさ」

「もしかして、やっぱり私は投獄される感じですか……っ?」

「あ、違う違う。俺、この国の人間じゃないから、君を責めたり捕まえたりしないよ。それに君の薬や歌声に癒やされた人がいたのは事実だから、あの王子が君をニセ聖女って言ったことには、けっこう怒ってる派」


 どうやら青年はエステラを捕まえにきたわけではないようだ。

 しかし、いくら勘違いされていたとはいえ、エステラが不相応に聖女として持ち上げられていたのは事実だ。


「あっいえ、でも、私が聖女だと勘違いされていたのは本当なんです……!」

「――へぇ?」


 この青年にも聖女扱いされては堪らないと、エステラは身振り手振りを混じえてこれまでのいきさつを彼に説明した。


「……ぷっ! ハハハ! え、おもしろ。そんな偶然と勘違いが重なること、ある……?!」


 朗らかな声をたてながら、青年は長身を折り曲げて笑う。

 笑いすぎて涙まで出てきたようで、フードに覆われた目元まで拭っている。


「面白がってもらえて、私の軟禁生活も報われます」

「ごめんごめん、君にとっては大変だったよね。それなのに、念願のタルト専門店が休みだったんだから、ショックを受けるのも当然だ」

「そうなんです……」

「うーん」


 青年が長い指を形の良い顎に当て、何かを考えるように首を傾げる。


「じゃあさ、君がこの店のタルトを食べられるように協力してあげるよ。俺の泊まってる宿屋なら神殿から離れてるし、まだ空いてる部屋があるはずだよ。俺が君の身元を保証してあげるから、そこに泊まってこのタルト店が開くまで待つといい」

「え、いいんですか……?!」

「うん。君、面白いからもうちょっと観察してたくて」

「観察」

「俺、珍しいものを見るのが好きなんだよね。そのために色んな国をまわってるんだ」


 都会には色んな趣味の人がいる。

 けれど、聖女扱いよりも珍獣扱いのほうが気が楽だ。


「ぜひ、これから三日間よろしくお願いします!」


 ビュンッと音がするほどの勢いで、エステラは青年へ頭を下げた。


「うん。よろしくね。じゃあ宿屋に行こうか……っと、その前に着替えないと目立つな」


 確かに、真っ白な飾り気のないワンピースを着ているのはエステラだけだ。

 このままではニセ聖女だとすぐにバレてしまうだろう。


「まずは服屋に新しい服を買いに行こう」

「あ、でも私、お金そんなに持ってないのでお手頃なお店だと嬉しいです」

「そんなの俺が奢ってあげるよ。観察代金。新しい服買うまで、とりあえず俺のマント着てて」


 そう言ってフードを外した青年は、月光を紡いだような銀の髪と、山奥育ちのエステラでもわかるほど整った容姿と、金色の瞳を持っていた。



* * *



「急いで急いでシオンさん! 早くしないと、売り切れちゃう……!」

「そんなに焦らなくて大丈夫だよエステラ。あのお店が開くのは十一時からだろう? 今はまだ十時だよ」

「だって、やっとお店が再開するんですよ?! 並ばないと買えないかもしれないじゃないですか!」

「はいはい」


 やれやれと肩をすくめる青年の前を早足で歩きながら、エステラは宿屋からタルト屋への道を急ぐ。


 青年との出会いから四日目。

 今日はついに、念願のタルトを食べられる日だ。


 エステラを助けた青年は、シオンという名前で十九歳。クレタウ王国の隣国出身で、世界を見てまわる旅を終え、自分の国に帰る途中だったらしい。


 最初は勢いで彼と同じ宿に泊まると決めたことを、軽率だったかもと少し後悔したエステラだが、シオンの見てきた国々のスイーツの話を聞いているうちにすっかり打ち解けてしまった。


 黙っていると怒っているようにも見えるほど整った顔のシオンは、意外にも優しい笑顔をしていて、どこか品のある所作をしていた。


(態度も紳士だし、もしかしたら自分の国では騎士団に所属していた騎士様とかかもしれないわね)


 一種の逃亡生活のような三日間を覚悟していたのに、買い物も宿の手続きもシオンがしてくれたおかげで、エステラは注目されずに今日まで過ごすことができた。


『あのタルト店が再開するまで、この街の他のスイーツも食べに行こうよ』


 そう誘われ市場で屋台巡りをしていた日も、シオンは馬車がそばを通るときにはさりげなくエステラをエスコートしたり、荷物を持ってくれたりした。

 街中で迷子を発見したときにも、子供を肩車して親を探してやっていたし、彼はとても優しい人だ。


(神殿に軟禁されたときは食べ歩きの旅がどうなっちゃうかと思ったけど、シオンさんに出会えて良かったな)


 この街に来てよかった。

 彼と過ごしたこの三日間は予想以上に楽しかった。


「エステラ、嬉しいのはわかるけど、あんまりはしゃいでると転ぶよ。前を見て」

「きゃっ?!」


 言われたとたん、石畳につま先が引っかかり前のめりになる。そんなエステラをシオンはふわりと受け止めてくれた。

 彼はすらりとした印象だが、毎朝剣の素振りをしていたし鍛えているらしい。


「ね? 気をつけて」

「すみません、ありがとうございます」

「それにタルト専門店が近くなるってことは、神殿も近くなるってことだから、あんまり目立たないように」

「はい……」


 一応は穏便に(?)神殿から出られた身だが、無駄なトラブルは避けたい。


「まぁでも大丈夫。レヴォルトならもう新しい聖女に夢中だし、もしバッタリ遭遇しても、俺がどうにかしてあげるよ」


 三日間で見慣れたシオンの笑顔に、エステラは自分でも不思議なほど安心感を覚えた。


「ありがとうございますシオンさん。……それにしても、なんでレヴォルト様はあんなに聖女に執着するんでしょう……」

「あー、それはほら、八十年前の魔族との大戦が原因じゃないかな。あのとき勇者や魔導師と共に魔族と戦った聖女様に、レヴォルトは憧れてるんだよ」


 今から八十年前。

 エステラが暮らしていた山やクレタウ王国があるこの大陸に、人間界と魔界を繋ぐ世界の歪みが出現した。

 そこから人間界を侵略するために溢れ出た魔族と勇者一行が戦った話は、山奥育ちのエステラでも知っている伝説だ。


「なるほど。確かに、あの大戦で魔族と戦った聖女様なら憧れちゃいますよね」


 レヴォルトの強引すぎるやり方はどうかと思うが、魔族と戦った聖女に憧れる気持ちはエステラもわかる。


(師匠から、魔族との戦いの話は私もよく聞いてたもんね)


 伝説の聖女は既に亡くなってしまっているが、今年で百歳になる師匠は当時のことを知っていて、よく寝物語にエステラに話してくれた。


 婚約破棄宣言のときにレヴォルトの隣に立っていた黒髪の女性が、今度こそ本物の聖女で彼と幸せになってくれることを願う。


「シオンさん! この角を曲がれば、あのタルト屋さんですよ……!」


 もう、甘い香りがここまで届いている。

 はやる気持ちを抑え、それでも走り出さないギリギリの早歩きで角を曲がろうとしたそのとき。


「火事だーーーーーー!」


 大きな叫び声が聞こえた。


 足を止め振り返ったエステラは、シオンと顔を見合わせ、どちらからともなく声の方向へ走り出した。


 感じる空気が、甘い香りから焦げ臭い煙を含んだものになっていく。


 エステラとシオンが火事の現場へ到着したきには、既に木造の住宅が大きな炎に包まれていた。


「大変……!」


 逃げ出す人に、逆行するように集まる見物人たち。

 どうにか貴重品を運び出そうとする住民に、泣き叫ぶ子供。恐慌状態になって鳴き続ける犬。


 周囲は騒然としていて、このままではいつ怪我人が出てもおかしくない。


 そんな空気を変えたのはシオンだ。


「落ち着いて! 落ち着くんだ! そこの君は小さな子供たちと女性と共になるべく遠くまで離れて! そこの君は街の消防団を呼んできてくれ!」


 彼は頬にチリチリと当たる熱気にも舞い上がる火の粉にも怯まず、冷静に的確な指示を出し続ける。

 その堂々とした態度は、他者へ命じなれているもののそれだった。


 パニックになり逃げ惑うだけだった人々が、シオンの言葉で落ち着きを取り戻していく。


 しかし火の勢いは強く、このままでは消防団が到着する前に燃え広がってしまいそうだ。


「とにかく、少しでも火を抑えなきゃ……!」


 なにか、なにか使えるものはないだろうか。

 キョロキョロと見回すと、花を売る屋台の脇に、底に少しだけ水の入ったバケツが見えた。


「すみません! このバケツのお水、ください!」

「べ、べつにいいけど、お嬢ちゃん、こんなちょっとの水じゃ間に合わないよ!」

「大丈夫です! ありがとう!」


 店主に礼を言い、バケツを抱えて走りながら、エステラは自分が育った山奥の泉を思い浮べる。


「お願い、このバケツと、山の泉を繋げて……!」


 山の澄んだ空気と、泉を泳ぐ魚、鳥たちの囀り。

 泉のほとりに立ったときの光景を具体的に脳裏に描けば描くほど、エステラの手の中のバケツが重くなっていく。


「――――繋がった! せぇの! どっせえええええぇぇぇいっっ!!!!!」


 炎に向けて思いっきり振りかぶり、エステラは渾身の力でバケツの中身をぶちまける。


 あんなバケツの中身をちょっとかけたところで、火事の勢いは少しも落ちないだろう。


 エステラの行動を見守っていた人々がそう思った次の瞬間。

 彼らは信じられない光景を目にした。


 エステラが抱えるバケツから、滝かと見間違うほどの大量の水が、勢いよく噴き出したのだ。


 しかもまるで水自体が意思を持っているかのように、的確に火元の建物へ当たり、消火していく。


 水はとめどなく噴き出し続け、やがてすっかり火を消してしまった。


「う、嘘だろ、あんなバケツで火事を鎮めちまった……!」

「いや、嘘なんかじゃない。奇跡だ、奇跡だよ!」

「奇跡だ! あの子は奇跡の子だよ!」


 ワッと歓声が上がり、人々が熱狂していく。

 その様子に、エステラは驚いて瞳を瞬いた。


「え、ぇ、へっっ?!?!?!?!?!」


 べつにエステラは無から有を創り出したわけではなく、バケツの中と泉の水を繋げただけだ。

 存在するもの同士を繋げる魔法なら、師匠に教わりさえすれば誰でも使えるようになるはずだ。


「――まさか、君がこんなにすごいことをできたなんて、驚いたな」


 いつの間にか隣に立っていたシオンが、感心したように息を吐く。


「シオンさん……!」

「君、やっぱり聖女様なんじゃないの」

「まさか! 私は師匠に教えてもらったことをしただけですよ。それに師匠ならもっとすごいです。私はさっきのバケツのお水みたいに元がないと繋げられないけど、師匠なら材料がなくても無詠唱で雨を降らせることができます」

「まさか! そんなことできるなんて、魔族との戦いで活躍した勇者たちくらいしか……」

「あ、はい。そうなんです。実は、師匠は魔族討伐に参加してたんです」


 言う必要はないと思ったから言っていなかったが、エステラを拾って育ててくれた師匠は、魔族と戦った当事者だ。


「……君の師匠の名前を教えてもらっても?」

「アルハミスって言ってわかります?」

「黎明の大魔導師アルハミスじゃないか!」

「黎明」


 確かに師匠の瞳は朝焼けのように紫色と橙色が混ざった不思議な色をしているが、まさか彼にそんな仰々しい二つ名がついていたとは。


(師匠ってすごかったんだな。帰ったら、肩たたきしてあげよう)


 師匠の真っ白な長い眉毛と髭の生えた顔を思い浮かべていると、黒い髪で青い瞳の青年が焦ったように駆けてきて、シオンの前で跪いた。


「ご無事ですか! イクシオン殿下!」


 黒い軽鎧に腰に帯びた剣。

 シオンと同年代の彼はどうやら騎士のようだ。


「……イクシオン? 殿下?」


 殿下とは、王族につける呼称ではないだろうか。

 疑問符でいっぱいになった頭を傾げるエステラの前で、黒髪の青年はシオンに詰め寄った。


「殿下! あれほど危険な行動はおやめくださいと……!」

「だからって、民を救わないわけにはいかないだろう」

「他国の問題を、皇太子の貴方が危険をおかして解決する必要はないはずです!」

「困っている人間を助けるのに、どこの国かなど関係あるものか」

「ですが!」


 このままではシオンと青年の口論は終わらなそうだ。

 そう判断したエステラは、二人の間に割って入る。


「あのシオンさん。殿下って、どういうことですか?」


 エステラの疑問に答えたのは、シオンではなく黒髪の青年だ。


「失礼しました聖女様! この方は、マクスヘイズ皇国の皇太子、イクシオン・アーディ・マクスヘイズ様であらせられます!」


 いや、私は聖女じゃないんです。

 というツッコミは、シオンの正体が衝撃的すぎてさすがにすることができなかった。


 レヴォルトといい、シオンといい、都会では高貴な身分の人がこんなにもその辺にゴロゴロしているものなのだろうか。


「俺が皇太子だってバレちゃったから、もう言っちゃうんだけど」


 呆然とするエステラを見下ろして、シオンは極上の笑みを浮かべる。

 美しい彼が微笑むと、まるで天使のようだ。


「良かったらさ、俺の婚約者候補としてうちの国で暮らさない? エステラみたいな面白い子、もっと観察してみたいんだよね」

「皇太子の婚約者候補ってそんなに軽く決めていいんですか」

「いいんじゃないかな。俺、偉いし」

「でもシオンさん、私のこと珍しい動物くらいにしか思ってないですよね? 私、これでも結婚は好きな人としたい派なんです」

「けど、エステラを見ると胸がワクワクして、こんなにずっと観察していたいと思うのは初めてなんだ。君のことなら、そのうち恋愛対象としても好きになれると思う」

「えーでもぉ」


 シオンのことは嫌いじゃないが、まずは友人から始めてもいいんじゃないだろうか。

 渋るエステラに、更にニッコリと微笑んだシオンは、新たな交渉材料を提示した。


「……ちなみに、マクスヘイズ皇国(うちの国)って、有名な菓子職人が集まっていて、タルトが特産品の一つなんだよね」

「婚約者候補、喜んでぇぇぇぇっ!! 今後ともよろしくお願いいたしまぁす!!!」


 食い気味に返事をして、ビュンッと音がしそうな勢いでシオンへ向かって頭を下げる。


(わかってる。軽率だって、わかってる……! でも特産品のタルトなんて、気になりすぎるんだもの……!)


 人生に関わる決断をさせてしまうなんて、タルトとはなんと魅力的で罪なお菓子なのだろうか。


「よかった。改めてよろしくねエステラ」

「はい! よろしくお願いしますシオンさん! この街の専門店のタルトを食べたら、すぐに出発しましょう!」


 次の食べたいスイーツのためにも、心置きなくこの街を出発しなくては。今度こそあのタルト専門店へ行くのだ。

 そう歩き出したエステラの耳に、馬の蹄の音と、叫び声が聞こえた。


「エステラァァァァァァ!!!!! やっぱり、お前が俺の聖女だぁぁぁぁ!!!!!」

「ひぃっ?!」


 エステラが恐る恐る振り返ると、そこにいたのは白馬に乗ったレヴォルトだった。


「レヴォルト様?!」

「許してくれエステラ! あの女、詐欺師だったんだ! 俺の前で起こして見せた奇跡は、全部タネも仕掛けもある嘘だったんだ! アイツは俺の聖女じゃなかった!」


 あの女とは、婚約破棄の場でレヴォルトの隣にいた女性のことだろうか。

 勝手なことを叫びながら、白馬からひらりと降りたレヴォルトは、エステラめがけて突進してくる。


「キャーーー?!」


 悲鳴を上げるエステラを庇うように肩を抱き寄せ、シオンがレヴォルトを制止する。


「ストップ。これ以上、俺の未来の婚約者に近づかないでくれるかな?」

「貴様何者だ! 俺のほうがエステラと先に婚約していた! 先日の婚約破棄は無効だ!」

「ダメだコイツ、話が通じない。殺そう」


 笑顔のまま物騒なことを言うと、シオンが腰の剣に手をかける。

 あまりにも短気なシオンの言動に焦ったのは黒髪の青年だ。


「殿下いけません! 国交問題になります!」

「あーもう、お前は本当にうるさいな。ちょっとくらいいいだろう」

「何がちょっとなんですか!!」


 言い争う主従。

 青年に止められたシオンの隙をつき、エステラへ向かって手を伸ばしてくるレヴォルト。

 今、この場所は完全なカオスだ。


「レヴォルト様来ないでください! それ以上近づいたら、今度こそ本気で投げ飛ばしちゃう……!」


 レヴォルトと黒髪の青年にそれぞれ追い詰められたエステラとシオン。

 二人は顔を見合わせ、頷き合う。


「とりあえず、ここから逃げようかエステラ」

「はい! 逃げましょう!」


 差し出されたシオンの手を迷わずとり、エステラは走り出した。

 彼の大きな手と体温に、ちょっとだけ胸が高鳴ったことに、エステラはまだ気がつかない。


「イクシオン殿下ーーーーー!!!」

「エステラ、俺の聖女ーーーーー!!!」


 背後で叫び声が聞こえる。

 エステラがあのお店のタルトを食べられるのは、まだまだ先になりそうだ。




タイトルは志村けんさんの「そうです私が変なおじさんです」からインスピレーションをいただきました。


*


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― 新着の感想 ―
[一言] >エステラがあのお店のタルトを食べられるのは、まだまだ先になりそうだ。 その前に師匠に連れ戻されるに、100ゴールド!! 面白かったです。
[一言] ゴミ王子がタルト食うの邪魔するならノコギリで股間からギコギコしようぜ。食い物の恨みは全てにおいて優先される
2024/09/21 02:27 退会済み
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