お飾り旦那の変化
いつも食事会場となっている広間へ到着すると、先に着席していたアデル様に、服飾係のおばさんが声をかけた。
「旦那様、奥様のお色直しが終わりました」
「おお、そうか。ならば食事を始めよう」
食事中でも職務は休めないのか、食卓にまで何かの書類を持ち込んでいるアデル様が、書類から顔を上げずに言う。
なんだかワーカホリックの気があるのはわかっていたけど、この人も大概だなぁと私が呆れていると、服飾係のおばさんが意味深な含み笑いをした。
「旦那様、恐れながら――今の奥様をひと目見たら驚かれるかも知れませんよ」
は――? と、アデル様が書類から顔を上げた。
それと同時に、服飾係のおばさんが私を広間へと誘い、私はおずおずと広間へ足を進めた。
なんだか、ちょっと恥ずかしかった。
私がもじもじ下を向いたまま進み入ると――はっ、とアデル様が息を呑む声がした。
「ぐ、グレイス――!?」
グレイスなのか? と続きそうな声に、私は顔を上げた。
アデル様はかなり驚いたような表情で固まったまま、私を凝視している。
おや? なんだろうこの反応は。
私の方も驚いて少し固まった。
そりゃいつも無茶苦茶な言動をこの屋敷にばら撒いている自覚はあるし、そうするたびにアデル様にヤレヤレソレソレと呆れられるのはこの半月あまりで日常になっていた。
だけど――アデル様の、この表情だけは、いまだかつて見たことがなかった。
ぽかんとしてしまった私を、なんだか腑抜けたような表情で見つめた後、アデル様が思わずという風に口を滑らせた。
「きっ、綺麗だ――」
「へ?」
私が問い返すと、ハッとした表情になったアデル様が慌てたように口を手で覆った。
「あ、いや――いっ、今のはなんでもない――! な、なんだか妙な空気になってしまったな。すまない。そっ、それでは食事を――!」
「旦那様」
服飾係のおばさんの目がキラリと光り、アデル様がぎくっとしたような表情を浮かべた。
え? と私がわけもわからずおばさんを見ると、おばさんはまるで近所の悪童を叱るかのように腰に手を当てた。
「旦那様、いくら旦那様でも、お色直しをした女性を見て気の利いた一言もかけないのは、紳士としてどうなのですか? グレイス様は貴方様のためにこのように着飾っておいでなのです。おわかりですね?」
いや、別にアデル様のためとかじゃなくて、言われたからそうしただけなんですが。
私は既のところでそう口にするところだったが、おばさんは私をまるきり無視してアデル様を睨みつけたままだ。
その視線に追い詰められるように視線を泳がせたアデル様がしばし俯き、私の方をチラと見た後……なんだか観念したような表情になった。
「グレイス」
「はい」
「ま、まぁ……いいんじゃないか。前よりも、凄く……」
「ふぇ?」
「そ、その、なんだ、君もちゃんと着飾ればちゃんとそれなり以上の貴族令嬢なんだと、まぁ、なんというか、それなりに見られるじゃないかと、まぁ、うん……」
「え? ちょっと何言ってるかわからないんですけど、どういうことですか?」
「あ、ああもう、相変わらず鈍感だな、君は……!」
ゴホン、とわざとらしく咳払いをして、アデル様は視線を逸したまま、ぼそぼそと言った。
「その服も、装飾品も……よく似合っている。――綺麗だ、と、思う」
綺麗。人生で初めて言われた言葉に、私は喜ぶとか恥じるとかいう前に、その言葉が理解できなくて固まってしまった。
綺麗。綺麗とはなんぞや? それが私なんかにかけるべき言葉なのだろうか。
いつも泥に塗れ、ボロ同然のツギハギを着て山野を駆け巡っていた私が。
私よりもそこらの野良猫の方がまだ身綺麗にしているぐらいの私が、綺麗――?
「アデル様、あの、今の言葉って――?」
「奥様、それでは食事といたしましょう」
服飾係のおばさんはそう言って私の質問を遮り、不思議に満足そうな笑みを浮かべて私を食卓の椅子にいざなった。
何もかも意味がわからん。私は釈然としない気持ちのまま、アデル様の向かいの席に座り、その顔を覗き込もうとしたのだけれど、アデル様はなんだか赤く見える顔を逸したまま、私と目を合わせようとしなかった。
その後、なんだかお互いに無言で食べた食事は、不思議と味というものがわからなかった。
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