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満たされる声

作者: 高内優都

『夜中の2時に鏡の前で3回、ダンスをするように回りお辞儀をすると、あの世への扉が開かれる』。

 中高生の間でよく流行るような怪談めいた噂話が学校中に広がり始めたのは1週間ほど前からだった。スマートフォンが普及し、夜でも煌々と明かりが灯る現代でもこんな怪談話は絶滅しないものなのだなと少し不思議に思う。しかし、怪談も少しは時代に合わせて進化をしてきているのかもしれない。このような怪談は、昔だったら場所が学校に指定されていただろうが、この現代に夜中の2時に学校に忍び込もうものなら、警報器が鳴り響き警備員が押し寄せるだろう……。

 バシャッ。

 そんなくだらないことを考えながら、目の前の黒板に数式を記入していると、突如ひんやりとした白い液体が頭に降りかかった。その生臭い液体でスーツが汚れる。数学の授業の内容は全て頭に入っているため、ぼんやりと他の事を考えながら授業をするのはいつものことだった。そして、他のことを考えながら授業をしなければ、ここの教室では冷静に授業を行えなかった。

「ちょ、まりん、それ昨日の給食の残りの牛乳でしょー? やりすぎー」

「あったりー! てかこいつの授業がわかりにくいのが悪いんじゃん? 私たち授業料払ってんだからちゃんと仕事してくださーい」

 生徒たちは、牛乳にまみれた俺の姿を見てゲラゲラと笑った。

 何がわかりにくい授業だ。どんな授業をしてもまともに聞きやしないくせに。

 ……それよりも、こんな状況じゃ授業を続けられない。俺は数式を書いていたチョークを置き、授業用のノートを片付けた。

「後の時間は自習にします」

 元凶である高花まりんは、友人たちとよっしゃ、とガッツポーズをしているのを隠そうともしない。それなのに、ニヤニヤしながら俺に向かってヤジを飛ばす。

「せんせー。自習なんて無責任じゃないですかぁ? 私たち先生のせいで成績落ちんの困るんですけど」

 この言葉には返事をせず、俺は黙って教室を出た。

 更衣室で常備していたジャージに着替え、水道でスーツを少し洗う。今日の帰り、このスーツをクリーニングに出して帰ろう。

 そんなことをしているうちに授業終了のチャイムが鳴った。俺が職員室へ戻ると、学年主任が鬼の形相で俺を待ち構えていた。

「酒田先生! また勝手に授業を自習にして生徒に迷惑をかけたそうですね?! 高花さんが酒田先生を呼びに来てくれていましたよ!」

 ……このババアはジャージに着替えている俺の姿が見えないのだろうか。

「主任、授業を中断せざるを得なかった原因は高花さんによる授業の妨害のせいです。それとも、私に腐った牛乳まみれの状態で授業を続けろとおっしゃるのですか?」

「当たり前でしょう! 教師とは己の全てを投げ打って生徒に尽くすものです! ましてや高花さんのお父様には学校に多額の寄付をして頂いているのですよ?! きちんと対応してください!」

 高花まりんの父親は現職の県議会議員であり、学校に多額の寄付をしている。それを知って、学校側がなにも言えないのをいい事に好き勝手しているのは教員の誰もが知っている。

「……わかりました。以後気をつけます」

 もう何を言っても無駄だ。俺は黙って引き下がった。

 教員の仕事は朝早く、そして夜は遅い。テストの採点や課題のチェック、授業の予習などやる事はごまんとある。その日も俺は終電ギリギリの電車に乗り帰路に着いた。結局クリーニング店はとうに閉店時間を過ぎており、スーツをクリーニングに出すことはできなかった。

 家の近くのコンビニでビールと弁当を買う。最近の晩ごはんはずっとビールとコンビニ弁当だった。明かりの灯っていない1LDKのアパートに1人で帰る。ちゃぶ台前にどかっと座り、カシャっと音だけは景気のいいビール缶を一気に煽る。大しておいしいとも感じないコンビニ弁当を口に運びながら、ただビールをひたすらに飲む。しかし、今日は一気に煽ったからだろうか、いつもはビール1本程度なんともないはずなのにやけに酔いが回るのが早い気がする。俺はいつの間にか、ジャージのままちゃぶ台に突っ伏してイビキをかいていた。

 はっと目を覚ますと、外はまだ暗かった。まだ朝が来ていないことにホッとしてジャージを脱ぐ。まずはシャワーを浴びて、明日の出勤の準備をしないと。

 時間を確認すると、ちょうど午前1時50分になるとこほだった。酒井はそのまま浴槽へ行き、シャワーを浴びようとお湯を出した。曇った鏡をお湯で流し、手で少し払う。そしてその瞬間に、学校で流行っているあの怪談をふと思い出したのだ。

 あんなものはデマだ、信じてなんていない。しかし、もし本当にあの世の扉が開くのなら、俺は苦しまずに死ねるんじゃないか。

 少しばかりそんな希望を持って、酒井は浴室でクルクルと3回回り、そしてお辞儀をした。酒井は気づいていなかったが、奇しくも酒井がその行動をとったのは午前2時、ちょうどの時間であった。

 突如、浴室の鏡がぼうっと光り、頭の中に声が流れ込んできた。

「おめでとうございます! 本日の当選者はあなたです!」

「え……?」

 慌てて周囲を見回すが、鏡が淡く光っている以外に何も変化はない。しかし、確かに声は頭の中に流れ込んでくる。

「この度は、あの世ツアーへご応募くださり誠にありがとうございます! こちらのツアーでは、あの世に関する要望が全て叶う大人気のツアーになっております。あの世の見学も、会いたい人への面会も、あの世への移住だって叶います。さて、本日のご要望はどうなさいますか?」

「あの世ツアー……?」

「はい、今チケットの申し込みを行いましたよね? 午前2時に鏡の前で3回回転し、お辞儀をする。あの行動はあの世ツアーの申し込み行動になります。ただ、倍率がとても高く滅多に当選しないのですが。そして、本日の幸運な当選者があなた様になります」

 ……なるほど。少しずつ状況が飲み込めてきた。どうやら、単なるオカルト話だと思っていたが噂は本当だったらしい。しかも俺は、かなり幸運なようだ。

「あの世への移住も出来るって言ってたよな? それは俺が死ぬってことか?」

「その通りです。もちろん苦しまずに死ぬことも可能ですし、あの世での快適な暮らしも保証します。日程の調整も承ります」

「わかった。それじゃあ1週間後にあの世への移住を希望したい。……それと、」

 オプションはつけることができるか? そう酒井は姿なき声に問いかけた。


※※※


 その1ヶ月後、世間は名門私立高校の不祥事で賑わっていた。現職県議会議員の娘が通っていた高校の教師を虐め抜き、自殺に追い込んだのだ。さらにその教師は虐めを上司に報告しており、それにも関わらず対応しなかった学校側にも大きな責任があるとされ、教師が勤めていた高校の記者会見も連日報道された。その教師は、生徒に虐められている時や虐めについて上司に相談している時の音声を全て録音し、遺書と共にその音声データを大手新聞社、週刊誌に送付したのち自殺したとされている。このショッキングなニュースに対する世間の熱は、いまだに冷めることなく世間を賑わせていた。


 バンッ。

 父親から容赦無く殴られたまりんは思わず吹っ飛んだ。一見すると良識を疑われそうな行為にも関わらず、側で見ている母親らしき女性もその行為を諌めようともしない。

「パパっ! ごめんなさい! ごめんなさい……!」

「お前のせいで! お前のせいで全ておしまいだ! これからって時だったのに! 僕は辞職せざるを得なくなった! 全て全てお前が余計なことをしなければっ……!」

 這いつくばり謝罪し、縋りつく娘に父親は容赦無く蹴りを入れた。

「パパ! 許して……。許してください……。お願いします。ママ……、お願い、パパを止めて……」

 ママと呼ばれた女性は、懇願されたにも関わらず父親を止めようとしない。ただ黙って蹴られている娘を見つめ、

「お前なんて死ねばいいのよ」

と静かにポツリと呟いた。まりんの顔は絶望に染まり、父親の蹴りから身を守るために身体をギュッと丸める。

(なんでよ!!! 1ヶ月前までは普通の楽しい生活を送っていたのに! あいつをいじめてたのなんて私だけじゃないじゃない! なんで私がこんな目に!!!)

 あの教師が死んだと噂になった日から、まりんは学校でヒソヒソと遠巻きに噂されていた。さらにその後、まりんが教師をいじめていた音声が週刊誌やネット上に掲載され、今や顔写真や本名までネットに晒されている。もう二度と、まりんの望む普通の生活を送ることは難しいだろう。

「学校は辞めてもらう。あんな恥を晒した場所に通わせ続けられるか。一体いくらあの学校に投資したと思ってるんだ。お前はこれから働け。金を稼げ」

「待ってパパ! 私今ネットに顔も名前も晒されてて、そんな状況で働くなんて絶対むっ……! カハッ!」

 父親の容赦無い蹴りが、つま先が、まりんのお腹に減り込んだ。

「こんなこと知ったことか! 自業自得だろうが! それで死ぬなら勝手に死ね! 口答えは許さんぞ!」

 まりんは這いつくばり、吐き気を堪え、涙を流し、しかし自分では何も出来ることはなく、ひたすらに自分以外の誰かを呪続けていたのだった。


※※※


「どうですか? こちらでも暮らしは」

 死して快適に暮らす酒井の元を訪れたのは、あの鏡からの声の主、天使だった。

「最高ですよ。特にオプションが」

「本当ですか? よかったぁ。基本的に本商品は返品不可なので、可能な限り要望にはお応えできるようにしているんです。現世の声を聴こえるようにして欲しい、という要望も多いんですよね。心の声も聞けて便利でしょう?」

「えぇ、本当に、便利ですね」

 死後酒井が移住してからずっと、たかはなまりんの声を、心をひたすらにずっとずっと聴き続けていた。自分が死のうと思うまで追い詰めた人間の苦しむ声を、呪いを聴くことで心が満たされていくのを感じた。

「本当に最高だ。この女が死ぬまでこの声を聴けるなんて」

 天使が立ち去った後、酒井はまた、現世のまりんの声に耳を澄ますのだった。


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