44 無職の少年、悪夢
頭を身体を、圧倒的な怒りの感情が支配してゆく。
燃えるような激流が全身を駆け廻る。
熱に浮かされるままに動き続ける。
赦せない、と。
ただ一つ残された思考に縋りつく。
■い世界。
そこでナニカと戦っている。
強い。
相手が強い。
酷く小さい、その相手に。
潰せるほどに大きな自分が、どうしてだか敵わない。
何で何で何で何で何で。
腕を揮い、棘を伸ばし、牙を放つ。
そのどれもが届かない。
いや、当たってはいる。
そのはずなのに。
倒せない。
倒しきれない。
防がれ、避けられ、あまつさえ反撃してくる。
何もかもが上手くいかない。
焦りが動きを鈍らせる。
いつから戦っているのか。
どうして戦っているのか。
分からないまま、それでもなお戦い続ける。
早く終わって欲しい。
■いのは嫌いなんだ。
この相手を倒せば、■い世界が終わってくれる。
そんな気がする。
ああ、そうか。
だから、戦っているのかもしれない。
そんな思考もすぐに熱で溶けて消える。
終われ。
終わってよ。
何もかも、全部。
そうして終わりは訪れる。
唐突に。
あっけなく。
身体が沈む。
と、同時に力が抜けてゆく。
全身の熱が失われて。
やっと、■い世界が消えてくれた。
夢を見た。
そんな気がする。
けど、何を見たのか、もう思い出せやしない。
嫌な感覚だけが僅かに残るのみ。
ならきっと、悪夢だったのだろう。
当然、目覚めは爽やかとはいかなくて。
仰ぎ見る吹き抜けの空は、既に明るかった。
「目が覚めた? 気分はどう? 身体がどこか痛かったりしない?」
質問が連続する。
視線を上から横にすれば、椅子に座った姉さんの姿があった。
「ねえ――」
姉さん、と。
声を出そうとしたら、喉が痛くて言葉が続かなかった。
堪らず咳込んでしまう。
「弟君⁉ 苦しいの⁉ ちょ、ちょっと待ってて! 今すぐ、お水持って来てあげるから!」
「聞こえてるわよー。今、持って行ってあげるわ」
「なら早くして! 弟君が!」
「もぅ、ならこれでいい?」
涙が滲む視界の端。
吹き抜けの階下から、緑の蔦が伸びてくる。
「ありがと! さ、弟君。お水よ」
背とベッドの間に腕を差し込まれ、上体が起こされる。
手渡されるコップを受け取り、中身を煽る。
喉を冷たい水が通過していく。
同時に、ひりつく痛みが走る。
「ゴホッ、ケホッ⁉」
痛みに驚き、噎せてしまう。
「慌てないで、ゆっくり飲んで」
背をさすられる。
数度咳込みつつ、ようやく落ち着きを取り戻す。
「姉さん」
喉はまだ痛むけど、話すぐらいはできそう。
「僕はどうしたんですか?」
起きる前、より正確には、眠りにつく前の出来事が思い出せない。
ベッドにいつ入ったのだったか。
その前には何をしていた?
すっかり記憶が抜け落ちている。
「何を覚えてる?」
質問に質問で返されてしまった。
見返す表情は真剣そのもの。
ふざけている様子は見受けられない。
記憶を手繰る。
視線は遠く。
空を見続けていると、何となく連想されるものがあった。
雨。
そう、雨が降り続いていたような気がする。
「雨が降ってたんでしたっけ」
「数日は降り続いてたわね。でも、昨日止んだのよ」
昨日……。
今日の記憶も定かではないのに、昨日のことも覚えてないのか。
雨の間中、スライムやコロポックルと遊んでいたのを思い出す。
雨が止んだなら、どうする予定だったんだっけ。
「外に行った……?」
「ええ。ケンタウロスの狩りを見学しにね」
あ。
何か、思い出し掛けた。
地面のぬかるみ。
変なニオイ。
それで、みんなでどこかへ向かって歩いていたような。
でも、そこから先は思い出せなかった。
「多分、移動してるところまでは覚えてると思います。ただ、その先はちょっと」
「そう……。なら、その先に関しては、また後で話しましょうか。もう少し横になって休んでなさい」
「あ、はい。分かりました」
再び身体が横たえられる。
褐色の手が何度も何度も頭を撫でつける。
次第に瞼が重くなってきて。
眠気がぶり返してくる。
「ふあぁ~」
「眠くなった? お姉ちゃんがそばに居てあげるから、安心して眠りなさい」
声が次第に遠のいていく。
眠りに落ちる間際。
また悪夢を見るような予感がした。
本日は本編45話まで投稿します。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
 




